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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄代表の奧田清志です。
ここでは健康に関することや、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども交えながら、気楽な気持ちでお話させていただこうと思っております。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO145) 巨大なパパイヤと出会いました。 ( 2012/05/17 )

  

  

  

 一週間程前の出来事ですが、何気なく立ち寄ったJAのスーパーで、とてつもなく巨大なパパイヤに出会いました。私の沖縄在住40年の人生で出会った、最大のパパイヤである事に間違いありません。まさかの驚きと大きな喜びが、今もずっと私の心の中に続いておりますので、思い出のコラムの中に書き残しておこうと思います。

 私達夫婦は、数年前からパパイヤに特別の思いを抱く様になっているのです。そのきっかけとなったのは、昨年まで住んでいた借家の小さな庭に、突然パパイヤの苗が芽を出し、みるみるうちに成長し、たくさんの実をつけてくれ、以来数年間にわたって大きな喜びと感動を与え続けてくれていたのでした。
 それが突然の都市計画で住まいの移転を余儀なくされることになり、そのパパイヤの木とは、心に深く残るお別れをしなければなりませんでした。そのパパイヤが私達の食卓の喜びと、健康人生に大いなる貢献をしてくれていたご恩を忘れることが出来ません。

 私達の住む沖縄では、パパイヤはいつでも気軽に手に入る果物という印象があるのですが、何故か今年はパパイヤの姿を目にする事が少なく、たまに出会ってもまさかの高値がついていて、とても買う気にはなれなかったのです。それが突然のビッグパパイヤとの出会いですから、私はもう飛び上がる程の嬉しさで、思わずそのパパイヤを胸に抱きしめていたのでした。
 価格は例年の)倍ぐらいの\1500がついておりましたが、こんなにも見事なパパイヤを育ててくれた農家の方に敬意を表して買い求めました。家に持ち帰り重さを計ってみると、何と3,5kもありました。

 早速パパイヤを半分に割ってみると、中には無数の黒い種がぎっしりと詰まっておりました。種がいっぱい詰まっていると言う事は、このパパイヤが果物として品種改良されたものではなく、天然種として成長したものと言う事でしょう。天然種のパパイヤは、果物パパイヤとは比べ物にならない位の栄養値があると聞いております。味も自然の甘みがあり、もう最高!!、という表現以外に私には言葉が見つかりません。

 我が家では、パパイヤをジャムにして、ヨーグルトやパンと一緒に食することをメインにしているのですが、今回のビッグパパイヤは余りの大きさに、半分を果物としていただき、残る半分は家内がジャムにして冷凍庫に保存してくれるとの事ですから、おそらく2〜3か月は、このパパイヤジャムが我が家の朝食に、いっぱいの喜びと活力を与えてくれるに違いありません。
 パパイヤをこんなに身近に感じて暮らせるだけでも、私は沖縄に住んでいられる喜びに、大きな幸せと感謝を覚えずにはいられません。
 パパイヤさん本当に有難う!!。感謝です!!。感動です!!。
                  (2012・5・17日の記)

写真上:以前、我が家の庭に育っていたパパいやの大木
写真中:偶然出会った巨大パパイヤ(3.5キロ)
写真下:巨大パパイヤの中味


奥田のコラム(NO144) 田中一村絵画展に感動!! ( 2012/05/13 )

  

  

  

 沖縄の本土復帰40周年記念事業として開催された「田中一村絵画展」に感銘を受けました。
新聞報道によれば、一万人を超える人達がこの会場に足を運ばれたとの事ですが、私も田中一村の絵には前々から特別の思い入れがあり、この度の絵画展を通して知り得た事は、彼の絵が筆舌に尽くし難い苦悩と、困難と貧困の中で、しかし、如何なる難関にもひるむ事無く、彼のひたむきな、¨画家としての魂の結集¨として生まれてきた事を知るにつけ、深い感動が込み上げて来るばかりでした。

 私は、田中一村は生まれながらにして奄美大島の画家だとばかり思っていたのですが、実の出生地は栃木県で,6人兄弟の長兄として生まれています。彫刻家であった父親の影響を受けての事か、幼少期から神童と言われる程の画才を発揮し、幼くして天皇賞(現在の文部大臣賞)も受賞しております。
 しかしながら、大人になるにつれ日本画壇の流れにはついて行けず、50歳にして単身奄美大島に渡り、以来69歳の人生を閉じるまでこの地で無名の人生を送りながらも、奄美大島の自然の神秘を、あますところなく描きつくす事に生涯を捧げたのでした。

 田中一村の絵に感銘を受けた人は多いのでしょうが、中でも奄美や沖縄諸島の琉球弧に住む人達の目には、息を呑むほどの迫力と親近感を感じさせてくれるに違いありません。沖縄に40年も住みついている私もまさにその中の一人です。

 さて、田中一村の数々の絵が並ぶ中に、ただ一点の¨書¨が飾られていて、私はその¨書¨の前に立ち止り、ある種の感慨にふけっておりました。
その書は彼が20歳の頃に書いたものだそうですが,書の中味は『道法自然』という文字でした。道法自然とは、老子の「人法天、天法地。地法道、道法自然」(人は天にのっとり、天は地にのっとり。地は道にのっとり、道は自然にのっとる)という言葉の最後の四字のようです。

 田中一村が20歳でこの言葉を知っていたとしたら、彼は若くして中国の学問にも精通していたと言う事になり、余程の勉強家であったに違いないと、私は深く感心させられたのです。彼が奄美大島の自然を描く事に精魂を傾けた原点がこの¨書¨の中にあったのではないかと、私は自分なりに大いなる納得をした次第です。

 田中一村絵画展会場の最後の所に書かれていた、「田中一村書簡集」の中にも心に触れるものがありましたので、その中の一部を要約して、ここに書き添えておこうと思います。(以下の文章は田中一村の言葉です)

@ 私が今この島(奄美大島)に来ているのは歓喜の声に送られて来ているのではなく、私の絵描きとしての生涯を飾る絵を描くために来ている事がはっきりしてきました。(51歳の言葉)

A 私は今、実に楽しく絵を描いています。絵が楽しくなくなると、私の言動は狂人に近くなり、私のこの致し方のない性格をよく知って、共に苦しみ、協力してくれたのは姉一人です。(51歳の言葉)

B 私は奄美大島の紬絹染色工場で、工場一の働き者と言われる程、一生懸命に働き、5年間で60万円の貯金をしました。そして3年間にその90%のお金を注ぎ込んで、私の人生の最後の絵を描きつつあるのです。何の念も残すところがないまでに描くつもりです。(64歳の言葉)

C 私の絵は人に見せる為に描いているのではなく、私の良心を納得させんが為のものです。私は絵と対峙しているときは、勇気がコンコンと泉のように湧き,正気が身体中に溢れるのを覚えます。絵を離れるや、深い溜息と身震いと、何者かに胸部を抱きすくめられた様な胸苦しさに、はなはだしい不整脈となり不安妄想の虜になるのです。(61歳の言葉)

D 絵かきは、我儘勝手に描くところに絵かきの値打ちがあるので、もしお客様の鼻息をうかがって描くようになった時は、それは生活の奴隷に転落したのと同じです。(69歳の言葉)

   〈田中一村絵画展から学んだ事〉

*田中一村は琉球弧の自然の美しさを余すところなく描きつくす為に、この世に生まれてきた、たぐいまれなる人物。そして、琉球弧の自然がいかに素晴らしい地球の宝であるかを、世の人々に改めて知らせてくれた琉球弧の大恩人!!。

* 本物の人生を生きると言う事は、どれだけその人に与えられた生命のエネルギーを溢れさせて生きるかと言う事であり、他者の目を気にしたり、地位や名誉に執着する人生を生きるべきではない!!。

* ¨真の芸術は必ずよみがえる¨のことわざがある様に、田中一村の芸術は、いま奄美大島の美術館で、多くの人々に感動を与え続けています。彼は無名のままで69歳の人生を閉じたけれど、彼の魂は、奄美の地で永遠に生き続けているに違いない。人は魂が喜ぶ人生を生きたいものだ!!。
                   (2012年5月10日の記)
写真上:田中一村展のパンフレット
写真中:田中一村の書
写真下:田中一村の人気の絵


奥田のコラム(NO143)沖縄の薬草料理を楽しむ会(その2) ( 2012/05/02 )

  

  

  

 いくぶん余談になりますが、私は八重岳のこの教会で、更なる¨2つの大いなる喜び¨にめぐり合う事となりましたので、そのエピソードをコラムに追加しておきます。

 エピソードそのT:「それでもなお、人を愛しなさい」

 この教会の壁に、マザー・テレサが愛したと言われる¨それでもなお¨という十箇条の言葉が掛けられていて、私はしばしその場に立ち止り、釘付けになっておりました。
  
<マザー・テレサが愛した¨それでもなお¨十箇条>

@ 人は不合理で、わがままで、わからず屋です。
それでもなお、人を愛し続けなさい。

A 何か良い事をすれば、利己的な目的があっての事と言われるでしょう。それでもなお、良い事を続けなさい。

B 成功すればする程、手ごわい敵と、うその友達が出てくるでしょう。それでもなお、成功するまでやり続けなさい。

C 今日良い行いをしても、明日には忘れられるかも知れません。それでもなお、良い行いをし続けなさい。

D 正直で誠実な生き方は、あなたを無防備にするでしょう。それでもなお、正直で誠実に生き続けなさい。

E 最大の考えを持った最高の人でも、最小の心を持った人に打ちのめされるかも知れません。
それでもなお、大きな考えを持ち続けなさい。

F 人は弱い人に同情していても、勝利者にしかついて行かない。それでもなお、弱い人のために戦い続けなさい。

G 何年もかけて築いたものが、一夜にして壊されるかも知れません。それでもなお、築き上げなさい。

H 助けた人から、恩知らずの仕打ちを受けるかも知れません。それでもなお、助け続けなさい。

I 人々のために、最善を尽くしても、ひどい仕打ちが返って来るかも知れません。
それでもなお、人々のために最善を尽くしなさい。
            (ケント・M・キースの詩文より)

 エピソードそのU:八重岳教会で気功と太極拳を舞う!!

  私が講師をつとめる「奥武山気功・太極拳教室」には、いろいろな職業の方々が参加されています。教会の牧師さんと熱心なクリスチャンの方々もおられます。いつかチャンスがあれば、私はどこかの教会で自分流の気功・太極拳を舞ってみたいという思いがあったのですが、計らずもこの八重岳の小さな教会の中で、その思いが突然実現する事になったのですから、これ程嬉しいまさかのハプニングはありませんでした。

 この日は¨薬草料理を楽しむ会¨の皆さんと一緒に気功を楽しみ、出来れば太極拳も演じて欲しいという要望は事前に聞いていたのですが、それはあくまで野外の広場を想定しての事でした。
 昼食を終えた頃に、急に雨が降り出して来て、急遽、気功も太極拳も教会の中でと言う事になったのですから、もしかして私の思いは八重岳の頂上に置かれていたあの小さな十字架から、天の神様に届いていたのかも知れません。

 八重岳の頂上(いただき)に立った瞬間、私の頭に浮かんだ事は、沖縄の存在も含めて、地球の素晴らしさと、その地球を誕生させてくれた大宇宙の偉大さでした。
 人類は自分達だけの果てしない欲望の為に、自然を破壊し、大宇宙の摂理に背を向ける行為をしてはならないのです。天に向かって吐いたツバは、必ず自らに返ってくる必然を決して忘れてはならないのです。
                     (2012・5・1日の記)
写真上:八重岳の頂上に建つ十字架
写真中:頂上からの展望
写真下:マザー・テレサが愛した十か条

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