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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO174) 『気無声呼人』(気は声無くして人を呼ぶ) ( 2013/03/06 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 上記の言葉は、私の65歳からの人生を決定づけて下さった太極拳の恩師、故楊名時先生からいただいた色紙に書かれている言葉です。
 私は65歳の時、楊名時先生との出会いをいただきました。出会いをさせて下さったのは、もう一人の恩師である帯津良一先生(帯津三敬病院名誉院長)です。

 そうなったいきさつの不思議を、何とか自分の記録に残しておきたいと思うようになり、スタートさせたのが今こうして書き続けている私のコラム(いい日、いい人、いい出会い)でもあるのです。楊名時先生と帯津良一先生との出会いのいきさつについては、コラムのNO1〜NO7に詳しく綴っております。

 私が初めて楊名時先生の太極拳を目にしたのは、2003年11月3日、楊先生が帯津先生とご一緒に初めてご来沖された時の事です。その場所は東南植物楽園でした。当時の楊名時先生は80歳を幾分越えておられたと思いますが、演じられた太極拳の素晴らしさに魅了され、私はその瞬間から、私の残された人生の全てを楊名時太極拳にかけてみようと思うようになったのです。

 今でもまだ不思議でなりませんが、私が楊名時先生からいただいた楊名時太極拳のビデオに立ち向かい、稽古に夢中になっていると、それを見ていたかのように、きまって楊名時先生から電話がかかってくるのです。
 余りの不思議さにその事を申し上げると、「気と言うものは思い合っている人同志の心を結びつけるものですよ」とお返事され、数日後に送って下さったのが『気は声無くして人を呼ぶ』と書かれた色紙でした。

     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 その事があってから、やがて10年の時が過ぎているのですが、つい数日前、またしてもそれに近い出来事に遭遇する事となったのです。
 私は以前から或る人の事を思い続けていて、とうとうその思いを綴った手紙を書いたのです。私が思い続けていたその人は、どうやら私よりも10歳ぐらい年下らしいのですが、楊名時太極拳の大先輩で、それはそれは素晴らしい方なのです。その方のお名前は、楊名時太極拳仲間であれば誰もが知る仙台の佐藤如風さんです。

 私はその佐藤さんに書いた手紙を出すべく家を出て、ふとポストを覗いてみると、何とその中に佐藤さんからのお手紙が入っているではありませんか。私はびっくりして早々に手紙の封を開けてみると、何とまあその手紙には、私と同じ思いを綴った文面が書かれていたのです。私は急遽家に引き返し、この不思議を別紙に書き添え、改めて近くの郵便局に向かったのでした。

 この日のポストの中には仙台の佐藤さんからのお手紙のほかに、まだ2つの不思議も入っていたのです。
 その一つは、敬愛してやまない帯津良一先生からの最新書「かかり続けてはいけない病院、助けてくれる病院」(講談社)と、もう一つは帯津先生が塾頭をつとめる、21世紀養生塾大分支部の平野耕吉さんからのお手紙です。

 仙台の佐藤さんは、もう半世紀近くも楊名時先生に心酔して人生を過ごされた方です。
 帯津先生は楊名時先生の主治医として楊先生の最期を看取られたお医者さんでもあり、楊名時先生の事を¨この世で最も楽しいお酒の友¨と公言しておられます。
 大分の平野さんは、私がいつもお会いしたいと思っている養生塾の同志です。

 私も楊名時先生との出会いがなければ、今頃はただ老いていくのみの日々を過ごしていたに違いありません。楊名時先生との出会いこそは、私を凛として¨100歳人生¨を目指す今の私に変身させて下さった大恩人なのです。

 楊名時先生は7年前に天空に旅立たれましたが、この度の¨ポスト物語¨は、もしかして楊名時先生による天空からの演出だったのかも知れません。『気は声無くして人を呼ぶ』。何とも不思議な言葉ですが、今の私にはなくてはならない大切な楊名時先生からの宝物なのです。

                    (2013・3・6日の記)
写真上:楊名時先生の色紙「気無声呼人」
写真下:帯津先生の最新書「かかり続けてはいけない病院」
写真下:佐藤如風さん著「風の便り」第3巻


奥田のコラム(NO173) 全国に発信された沖縄「てぃるる健康教室」 ( 2013/02/26 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 東京の共同通信社から突然の取材依頼があり、実際に取材を受けたのは1月29日の事でした。
 取材の理由は、『最近、呼吸法による健康の大切さが話題になっているようなので、どこを取材しようかと思いインターネットを検索したら、沖縄の奥田さんのところが真っ先に目にとまったので取材に来ました』。と言うのです。
 まさか自分の所が・・・と思いながらも、ごくありのままを取材していただいたのですが、その記事がまさかの大きな記事となって、しかも全国に発信される事になろうとは、夢の夢にも思っていませんでした。

 2月11日の琉球新報、21日の沖縄タイムスを皮切りに、これまでに解っているだけでも、秋田、新潟、静岡、神戸、愛媛、鹿児島、それにニューヨークの知人からも¨記事を見た¨と言うメールが入り、びっくり仰天の日々が続いているのです。
どうやらこの記事はまだまだ拡がりそうな気配を感じているのですが、それにしても共同通信社とはこんなにもマスコミに影響がある会社なのだ、とあらためて知り驚いております。
新聞の文字では読めないかも知れませんので,あらためて今日のコラムにその記事を書かせていただきます。


 
 タイトル:『深い呼吸で健康づくり』沖縄の奥田清志さん
―気功・太極拳を通してシニア世代に指導、目標は「元気な100歳」―

 頭スッキリ、血液改善、免疫力向上・・・
腹式呼吸などの深い呼吸は頭がスッキリするほか、血流や胃腸の働きの改善、免疫力の向上につながるとされている。沖縄県豊見城市の奥田清志さん(76)はそんな呼吸法を、太極拳などを通してシニア世代に教えている。合言葉は「元気な100歳を迎えよう」。

 「おきなわ女性財団」が那覇市で開く「健康気功・太極拳・呼吸法」講座。講師の奥田清志さんは、入念な準備運動の際も「声に出して、数をかぞえて」と呼吸を促した。参加者は50~70代のシニア世代の女性が中心だ。
太極拳や気功は、動きの中に深い呼吸が取りいれられている。講座を終えた大城光代さん(80)は「手先がポカポカして、スッキリする。目標は¨一生現役¨です」と達者に笑った。

 この日奥田さんが教えたのは椅子に座って行う呼吸法。上体を前に倒しながら3,4回に分け完全に息を吐く。その後、上体を起こしながらたっぷりと息を吸う。無理のない範囲で、この動作を5~10分間繰り返す。
「吸う息は自然から頂き、吐く息は自然にお返しをするという気持ちを込める事が大切です」

 この呼吸法は東洋医学に詳しい帯津三敬病院(埼玉県)名誉院長の帯津良一さんが提唱する「時空」と言う呼吸法だ。
奥田さんは、帯津さんの指導を受けながら活動を続け、沖縄県内8か所で太極拳や呼吸法を教える。「高齢者や体が硬い人は呼吸が浅くなりがち。意識して深い呼吸を続ければ、体も自然に柔らかくなる」

 奥田さんが呼吸の大切さに気付いたのは60歳。気功に出会った時だ。その後中国で太極拳も学び、指導する立場に。52歳からフルマラソンを始め、何度も完走した¨シニアアスリート¨だったが、「マラソンは体を酷使するので実は体調が良くなかった。呼吸法などを学んでから、調子が良くなった」と明かす。

 高知県に生まれ、約40年前に沖縄に移り住んだ奥田さん。「沖縄の人に恩返しがしたい」と、喜納昌吉さんのヒット曲「花」や琉球古典舞踊など、沖縄の人になじみの深い音楽に合わせて動くオリジナルの太極拳も講座で実践中。
「目指すのは元気な100歳。21世紀の健康づくりは人任せではダメ。意志を持って取り組むことで100歳は実現できます」
                    (2013・2・26の記)
写真上:琉球新報の記事
写真中:沖縄タイムスの記事
写真下:秋田さきがけ新聞の記事


奥田のコラム(NO172) 花盛りのプロ野球沖縄キャンプ ( 2013/02/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 近年の沖縄は、プロスポーツの冬場のキャンプ地として脚光を浴びる様になっておりますが、中でもプロ野球は全球団の半分以上が沖縄にキャンプを張るようになり、2月の沖縄は全島の市町村にプロ野球の花が咲き誇っている感じです。

 今年沖縄入りをした球団は、@日本ハムファイターズ(名護市営球場)、A阪神タイガーズ(宜野座村球場)、B中日ドラゴンズ(北谷村球場)、C横浜DeNAベイスターズ(宜野湾市民球場)、D東京ヤクルトスワローズ(浦添市民球場)、E読売ジャイアンツ(那覇セルラースタジアム)、F楽天ゴールドイーグルス(久米島野球場)、Gオリックススワローズ(宮古島市民球場)、H千葉ロッテマリーンズ(石垣市営野球場)、それに韓国からも6球団が加わる超賑わいぶりです。

 毎年この時期になると、数々のルーキー達の名前がマスコミの話題にのぼりますが、何といっても今年の話題のルーキーは、@日本ハムドラフト一位の大谷翔平君(花巻東高=18歳)、A阪神タイガーズドラフト一位の藤波晋太郎君(大阪桐蔭高=18歳)、B福岡ソフトバンクドラフト一位の東浜巨君(沖縄尚学―亜細亜大=22歳)の3人の投手ではないでしょうか。素人の私の目にも、今年のこの3人ほど気になる選手はおりません。
 以下はこの3人のルーキーに対する私の印象です。

@ 大谷翔平選手の印象:
大谷君は¨投手¨、¨打者¨の二刀流をこなせる超逸材ルーキーとして話題の中心人
物ですが、私の目に映る大谷君は投手としても100点、打者としても100点の魅力に溢れているのです。彼の何気ない一投一打の姿に、私はスポーツの芸術性を見る思いがしております。
 大谷君こそは、神様が¨野球の申し子¨としてこの世に誕生させてくれた、まれに見る逸材のように思えてなりません。大谷君には是非とも投打の両方で大活躍して欲しいのです。彼は遠くない日に日本を飛び越えて、世界に羽ばたく大選手に成長するに違いありません。それを期待し、応援もしてみたい思いにかられる選手です。

 今年から沖縄には、沖縄在住岩手県人による「美ら・めんこい会」という大谷君の後援会が誕生しているそうですが、是非とも私もこの会の一員に加えさせてもらえないものかと希望しているところです。

A 藤波晋太郎選手の魅力:
藤波君の投球姿は、¨豪快¨そのものです。かつて阪神タイガーズの投手として一世を風靡した小林繁投手の再来を思い出させてくれるのですが、藤波君には小林投手を凌ぐものが潜んでいるような気がしてなりません。彼がグランドに立った時のあの面構えの凄さはたいしたもので、周りを圧倒する雰囲気が漂うのです。これは戦うプロ野球の戦士としては最高の資質かも知れません。彼が投げて勝利した日は、間違いなく阪神ファンを熱狂の渦の中に巻き込んでしまうに違いありません。

B 東浜巨選手の魅力:
東浜君は前記の二人のルーキーに比べると4年先輩ですが、彼がその4年間に残した
東都大での実績の凄さは目を見張るものが有ります。体格的には上記の二人とは幾分の差があるようにも見えますが、彼にはその差を埋めるに十分すぎる程の¨頭脳¨が備わっているに違いありません。彼の実績と頭脳でどんな野球を見せてくれるであろうか、これからが楽しみでなりません。それに、なにはともあれ、彼は私が40年もお世話になっているこの沖縄の出身者です。私には応援しなければならない大きな責任と義務があるのです。

 大谷君、藤波君、東浜君の3人の、それぞれに持ち味の異なる野球が、これからどんな運命を辿ることになるのであろうか、この3人から私は目を離すわけにはいきません。
願わくば、この3人のルーキーが、それぞれの野球人生に大輪の花を咲かせてくれる事を心から願わずにはいられません。
    
                     (2013,2,10日の記)
写真上:流れるような大谷翔平選手の投球フォーム
写真中:豪快な藤波選手の投球フォーム
写真下:頭脳的な東浜巨選手の投球フォーム
  (写真:琉球新報社より)


奥田のコラム(NO171) 柴田トヨさん、101歳のお別れ ( 2013/01/26 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 1月21日の新聞で、柴田トヨさんの¨旅立ち¨を知りました。柴田トヨさんと言えば92歳から詩を書き始め、98歳で出した初めての詩集「くじけないで」が150万部を超えるベストセラーとなった、話題のおばあちゃん詩人です。
昨年100歳になられ、「百歳」という詩集を出版、これからどんな詩集が生まれるであろうかと、とても楽しみにしていただけに残念でなりません。

 私は柴田トヨさんにはちょっとした忘れられない思い出があるのです。
 今から2年程前の事ですが、久しぶりに東京一人旅をする機会に恵まれた時、私は思う事があって、東京銀座に新しくできた「相田みつを美術館」を訪ねたのでした。その時、相田みつを美術館の別館では『柴田トヨ特別展』が開催されていて、私は2時間余りもそこで柴田さんの世界にどっぷりと浸っていたのです。(コラムNO108に記載)。

 その時、強く印象に残った事は、柴田トヨさんのお顔が、20年前に他界した私の母親にとても似てると思った事でした。私の母は88歳で他界しましたが、もし100歳まで生きていたら、間違いなく柴田トヨさんのような顔になっていたに違いないと、今でもまだそんな気がしているのです。
 それにもう一つ、まさかの驚きは、柴田トヨさんの誕生日が私と同じ6月26日である事を知った事でした。そんな事から柴田トヨさんと、トヨさんの詩集には特別の親近感を持っていたのです。

 ちょっと余談になりますが、柴田トヨさんは美空ひばりが大好きだったそうです。私の母も美空ひばりが大好きでした。美空ひばりが大好きな人は、もしかして100歳近くになると、みんな柴田トヨさんみたいな素晴らしい顔になるのかも知れませんね。私は柴田トヨさんの笑顔に、生き仏様を見る思いをしていたのです。

 残念ながら、柴田トヨさんと私の母にはちょっと違うところもあるのです。
柴田トヨさんは90歳を越えてからも、しょっちゅうお母さんが夢の中に出てきてくれたらしいのですが、私の母は他界して20年にもなるというのに、76歳にもなっている私の夢の中には全く姿を現してはくれないのです。これはもしかして、私のご先祖様への思いが足りないせいかも知れないと、反省するところが確かに私にはあるのです。

 柴田トヨさんは100歳を迎えられた時、次のような言葉を残されておられます。
『あっという間の100歳人生ですが、今が一番幸せです。100歳人生で学んだ事は、人に優しくする事です。そして優しくしてもらったことを忘れない事です。私は人様の優しさのお陰で、100歳という人生の最後の所で2冊もの¨詩集¨という、まさかの大きな花を咲かせていただく事が出来ました。有難うございます』。
 柴田トヨさんのご冥福を心からお祈りせずにはいられません。 合掌。
    
                   (2013,1,26日の記)
写真上: 98歳の詩集「くじけないで」
写真下: 100歳の詩集「百歳」


奥田のコラム(NO170)−2013年、おめでとうございます!!ー ( 2013/01/13 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 新年の挨拶を申し上げるにはちょっと遅きの感がする昨今です。
年を取ると時間の経つのが早くなると言われますから、そのせいかも知れませんが、今年はお正月から、あっ!!という間に日々が過ぎていく気がしてなりません。

 どういう運命のめぐり合わせなのかと思ってしまうのですが、新年早々から思いがけない出来事が、次から次に身の回りに押し寄せてくる感じがして、そんな事が過ぎゆく日々の速さに輪をかけているのかも知れません。
 以下はお正月から今日までの主な私の出来事です。

(その一)お正月2日の出来事です。
 昨年の2月にやっと結婚式を挙げてくれた娘夫婦が訪ねてきてくれ、¨どうやらおめでたのようです¨との報告がありました。40歳に近い¨おめでた¨なのでちょっと心配ではありますが、それだけに喜びもひとしおです。
 3人の息子達にはそれぞれ合計して5人の孫がいるのですが、いずれの孫も遠距離に住んでいる為、なかなか孫と会えないのが残念でした。車で15分位の所に居を構えている娘の孫には、これから頻繁に会えると思うと何かしら嬉しさが込み上げてきます。8月が出産予定日だそうですので、今年は特別に嬉しい一年の幕開けとなりました。

(その二)お正月3日の出来事です。
 この日突然家内から、「お父さん、3月22日から26日までベトナム(ホーチミン)に行きませんか」との提案がありました。時間的にも経済的にもそんな余裕が今の私達にあろう筈がないと思っていただけに、これもまさかの驚きです。
 理由を尋ねてみると、@ 買い物のマイレージが貯まっていて、あまりお金をかけないで行ける事。A オフシーズンなので、あちらこちらの観光さえしなければ、かなりグレードの高いホテルでのゆっくりした滞在が出来る事。B 8月に孫が生まれる予定なので、この機を逃すと夫婦一緒の旅は暫くは出来ない事。そして、私は以前からホーチミンにはもう一度行ってみたいと思う事があって、この提案は急遽現実味を帯びてきているのです。

(その三)1月5日の出来事です。
 私が最も敬愛してやまない帯津良一先生(帯津三敬病院名誉院長・日本ホリスティック医学協会会長)から直筆の年賀状をいただきました。
 帯津先生の年賀状には、今私が情熱を傾けて取り組んでいる『沖縄発養生太極拳』に温かいまなざしを注いで下さっているのです。帯津先生はそれを『沖縄の風』と呼んで下さっているのですが、私にとってこれ程、嬉しく、有難く、力強い励ましの言葉はありません。勇気100倍の心意気で、今年もまた新たなる目標に向かって取り組んでいきたいと決意を新にしているところです。

(その四)1月8日の出来事です。
 今年初めての仕事を終えた帰り道の夜の事です。車の中で偶然耳にした、南こうせつさんと伍芳(ウー・ファン)さんによるコラボレーション¨夢一夜¨の曲に心を奪われ、しばし車を止め、目を閉じて聞き入っておりました。
 私はどうしてもこの曲をもう一度、いや何度でも聞いてみたくなり、当日のラジオ番組を調べ、とうとう南こうせつさん宛に、「この曲を是非ともいつかCDに収めて下さい」!!との手紙を出してしまいました。こんなまさかの行動に出たのは生まれて初めての事ですが、駄目でもともと、ご縁があれば実現するかも知れないと思うだけで、私は今はとてもハッピーな気分でいられるのです。

(その五)1月11日の出来事です。
 私は2年程前から、おきなわ女性財団「てぃるる」にて¨シニアの為のやさしい気功・太極拳教室¨の講師を務めておりますが、その「てぃるる」に、共同通信社より取材の申し込みがあったとの報告を受けました。
 沖縄タイムス・琉球新報ならいざしらず、天下の共同通信社の、しかも東京本社からの依頼に半信半疑で問い合わせてみたところ、実に紳士的な対応をして下さり、「是非とも29日の午後に取材をさせて欲しい」と言って下さるのです。あまりの好印象に私はすっかり気をよくして、何が何だかよく解らないままに、OKを出してしまいました。
 そんな訳で、今となっては本当に大丈夫なのかと心配でなりません。なるようにるしかなりませんが、神様お助けくださ〜いと心の中で手を合わせる日々が続きそうです。

(その六)1月12日の出来事です。
 一昨年から2年がかりで完成した、日本・カナダ共同制作映画『カラカラ』が全国に先駆けて、この日から沖縄での上映が開始されました。私もご縁をいただいて、この映画のはじめの方に¨気功の先生役¨でほんのちょっと出ているのです。初日の上映を見ようと思って出席したのですが、映画の始まる前の舞台挨拶で司会者からいきなり名前を呼ばれ、満場のお客様に紹介されるというハプニングが起こったのです。
 私は一応席を立って、四方のお客様に頭を下げたのですが、恥ずかしさのあまり、肝心の自分のシーンは殆どしっかり見ないまま映画は終わってしまったのです。もう一度、今度は一人でこっそり見に行こうと思っております。
 何はさておき、『カラカラ』の上映が軌道に乗り、次なる沖縄映画の誕生につながる事を願って止みません。
                   (2013・1・13日の記)
写真上:帯津良一先生からの年賀状
写真中:南こうせつさんへの手紙
写真下:映画「カラカラ」のパンフレット

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