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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO317) 親友への近況報告 ( 2023/02/27 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 S・J様
 いつもいつも永いご無沙汰ばかりで申し訳ございません。
昨年の4月1日、家内の大動脈瘤破裂による突然の入院、緊急手術以来、あまり心穏やか・・・とは言えない日々が続いていたのですが、今年に入ってから、今度は心臓の冠動脈のつまりが発見され、今はその手術に向けての準備(自己血採取、体力づくり等々)に追われている最中です。
 3月3日に入院、3月6日に手術が予定されておりますが、担当医師のお話によれば、かなりの大手術になると思われるけれども、成功率は98%との事ですので、本人も私も頑張ろう!!、と励まし合っているところです。

      〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 家内の突然のハプニングは、心配ではありますが、そのお陰で、これまであまり気付いてなかった事が発見でき、喜んでいるところもあるのです。それは4人の子供達が皆、想像を遥かに超える優しさに溢れる大人に成長してくれている事に気付かされた事です。
 一番身近にいる長女が、毎日の様に母親を気遣ってくれるのですが、一番遠い所に住んでいる末息子が、アメリカからすっ飛んで帰ってきてくれて、母親に優しく接してくれております。
 2番目に遠い所にいる新潟の次男は、2月25日の息子の大学受験に付き添った後は、母親の手術を見届けるまでは沖縄に留まってくれると言ってくれております。
 石垣島に住む長男も多忙の中、来てくれ、2月19日(日)には家内の太極拳の舞台を初めて皆で観てくれて、その夜は孫たちも含め、総勢8人でのカラオケ大会や、焼き肉パーティーも催してもらい、思いがけない楽しい思い出をつくってもらいました。

     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 〜・〜・〜・〜・〜
<お詫びとご報告です>

 暖かくなる3月頃とご提案しておりました沖縄でのゴルフは、誠に申し訳ございませんが、家内が回復する時迄、延期という事にしていただきたくお願いいたします。(ゴルフにつきましては、後日ちょっと嬉しいニュースをお伝えさせていただきます)
 私の太極拳教室の生徒さんのお母さんが2月16日に、100歳の誕生日を迎えられました。このお母さんは貴方の著書“風の便り”が大好きな人と聞いておりましたので、貴方の許可もなく、先日、私と貴方・二人の名前で、ささやかな花束を届けさせていただきました。ちょっと身勝手過ぎたかもしれないとの反省を込めて、ご報告させていただきます。

     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 〜・〜・〜・〜・〜

 いつも最後になってすみません。奥様によろしくお伝えください。
そしてお二人のご両親の更なるご健康と長寿を心から願っております。



奥田のコラム(NO316) 後期高齢者の覚悟、”天は自ら助くる者を助く” ( 2023/01/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今年(令和5年)、2023年6月、私は87歳になります。社会的な分類によれば、人は65歳になると前期高齢者となり、75歳になると中期高齢者となり、85歳以上には何と後期高齢者という、何とも哀れな名称が付けられてしまうのです。

 自分の人生を振り返ってみると、65歳になった時、市役所から前期高齢者という通知が届いた時は、私はマラソン人生真っ只中の時だっただけに、この通知には大いなる違和感と大いなる立腹感を覚えた記憶が今でも鮮明に残っているのです。75歳、中期高齢者の時も、この時は地球一周(4万キロ)プラス1万キロ=5万キロを走破していた直後だっただけに、更なる違和感を覚えたものでした。75歳以後は、マラソン人生を卒業して、ウオーキングと週2回の水泳と、60歳の頃からご縁をいただいている太極拳の世界に没入していて、今では元気な100歳人生を目標に掲げ、頑張っているところです。

              〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 85歳を過ぎた頃から、少しづつ足腰に違和感を感じるようになり、外出の際には杖の力を借りるようにしているのですが、情けない事に、今度は70〜80%ぐらいの割合で、この杖をどこかに忘れて帰るので、この悩みを他人にも言えず、悔しい思いをしていたところ、親しい先輩から、“杖を忘れた事を覚えているのだから、何も心配する事はないよ”と励まされ、今は幾分気持ちが楽になっているところです。
 
              〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 さて、最近になって、大いなる心配事に見舞われているのです。
昨年の4月に家内が腹痛を訴えて病院を訪ねてみたところ、即手術、即入院という大ハプニングに見舞われたのです。私達家族は、事情がよく理解できず、只々心配で心の中で無事をお祈りをする他はなかったのでしたが、手術後にわかった事は、家内の病名は左腹部大動脈瘤破裂で、あと数分時間が遅れていたら、命も危なかったとの事でした。病院のお陰で、家内はICUに1週間、その後一般病棟で10日間の入院で退院し、その後自宅療養で、今は大分元気を取り戻してきています。

 しかし今年になって、また新たなる心配ごとが家内の身体に起こっております。
今度は病院の検査で、心臓の冠動脈3本につまりが見つかり、開胸し、バイバス手術で血液の循環を正常に戻す手術を2月中旬にはしなければならない事態になっているのです。今度の入院は1ヶ月位にはなりそうな気配がします。体力の回復には1年以上かかりそうです。
 私としては如何ともしがたく只々病院に命を預ける他はなく、私は家内の手術の成功を天地の神仏様に手を合わせて無事をお祈りする日々が続いている次第です。
 87歳を前にして考える事は、“人の命は、天地神仏によって生かされているのかも知れない”という事です。家内が元の元気を取り戻してくれるか否かは、彼女の生きようとする意志の強さと、彼女を取り巻く私達の願いの強さと、どれだけ天地神仏様が味方になって下さるか、に他ならないのかも知れません。

 
              〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
             

 30年程前に他界した私の母の口癖は、“お天とう様が見ているので、人様から後ろ指を指されるような人生を送ってはいけませんよ”でした。
  家内が人様から後ろ指を指されない人生を送っている事は、50数年の人生を共にしてきた私が一番良く知っております。必ずや彼女は「お天とう様」に見守られていると私は100%の確信を持っております。
 残された人生、 “天は自ら助ける者を助く人生”であらねばならないと願う今日この頃の私であります。
                          2023・1・31日の記



奥田のコラム(NO315) 感動の喜びと衝撃の悲しみの中で ( 2022/12/01 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 


 先月(10月)のコラム(NO314)では、楽しい出来事ばかりを書かせていただく好運に恵まれていたのに、今月のコラムは何故か感動の喜びと、衝撃の悲しみの中に身を置かねばならない日が続いていた私でした。

* 感動の喜びとは、10月30日から11月3日にかけて6年振りに再開された、第7回世界ウチナンチュー大会(沖縄に故郷を持つ人達の里帰り)に巡り会えた感動の事です。
 戦前、沖縄から世界の各地に新天地の夢を描いて海を渡った、沖縄出身者とその子孫達の里帰りの風景が、あまりに感動的で、その美しさに心を打たれておりました。いまや世界中に拡がっているウチナンチュー(沖縄出身者)の数は、何と45万人にもなっているとの事です。そして、今年のウチナンチュー大会には、約8000人の人達が世界の各地から里帰りをされたと、新聞に報じられております。
 “故郷は遠きにありて思うもの”という言葉が、今私の頭の中に浮かんでおりますが、人は故郷から遠くに住めば住むほど、故郷への思いは強くなるのかも知れません。私は四国・高知県の出身ですが、沖縄にご縁を頂いて50年が過ぎております。最近は子供の頃に遊んだ、故郷の海や山や川の事が夢の中に出てくる事が多いのです。
世界のウチナンチューに幸多かれと心の底から念じるばかりです。

        〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

* 衝撃の悲しみとは、私の沖縄人生50年の中で出会った最大の尊敬人であられたあの作曲家(音楽家)普久原恒勇先生が、第7回世界のウチナンチュー大会の真っ只中(11月1日)に急逝されたニュースを知り、まさかまさかの大衝撃でありました。
 11月3日の告別式でお会いした奥様のお話によれば、先生は「12月の演奏会に向けて、多忙な日々を過ごしていたおられたのに、11月1日深夜、誰にも気付かれないまま、家の中で倒れているのを発見され、すぐ病院に運ばれたものの、そのまま帰らぬ人になってしまいました」との事でした。
 普久原先生の急逝を惜しむ声は、まさに“巨星落つ”の言葉に代表される感があります。私も全くその中の一人で、私は普久原先生の作曲されたあの“芭蕉布”こそは、沖縄の、いや日本の宝物との思いで、沖縄に生きる喜びを感じさせていただいておりました。
普久原先生との出会いは30年ほど前、ある友人の紹介からでしたが、いつお家を訪ねても、いつでも親切で、優しくて、面白くて本当に素晴らしい第1級のウチナンチューであったと思います。
 普久原先生との思い出はあまりに多くありすぎて、かえって文章になりませんが、いま頭に浮かぶ風景は、今から20年程前に宮古島の八重干瀬の旅にお誘いを受けたときの事が懐かしく思い出されております。
 私は生涯、普久原先生との事を忘れません。先生が残して下さった名曲“芭蕉布”がある限り、普久原先生とのご縁が途切れる事は私には無いと思えております。普久原先生のご冥福を心の底からお祈りさせていただきながら、またいつか文章を綴らせて頂こうと思っております。
 普久原先生、本当に本当に有難うございました。
                          2022・11・30日の記


奥田のコラム(NO314) 10月の嬉しき事3題 ( 2022/10/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 コロナは幾分下火となり、もしかして今年中にはマスク着用は解禁になるのかも知れません。一方、海外に目を向けると、私にはウクライナの事が気になって仕方ありません。

 私は高校の頃からロシア民謡が大好きで、今でも時々口ずさむ程です。あれ程美しい歌や、白鳥の湖”に代表される素晴らしい音楽を誕生させたあのロシアが、どうしてあれ程迄に無残極まりないやり方で、隣国のウクライナを攻め続けるであろうかと、私は不思議でならないのです。
 もしかして、この戦争は、プーチン大統領の、プーチン大統領による、プーチン大統領の為の身勝手な戦争ではないのかとさえ思えてなりません。難しいことは判りませんが、どうか、どうか、ウクライナに一日も早い静かな日常が訪れてくれる日の早からん事を、心の底から願い、祈るばかりであります。 

        〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 今日のコラムは本題からは大きく外れるスタートとなりましたが、これからが本番です。
今年の10月は私にとりまして、ささやかながらも、いくつかの嬉しい出来事がありましたので、その中から3つを選んで今日のコラムに綴らせていただこうと思います。

*嬉しき事(その1)
 私は今年86歳になっております。60歳の頃から、気功・太極拳とのご縁を頂き、今ではその気功・太極拳こそは“我が天職なり”、とさえ思うに至っておるのです。
現在、一週間に5日、6教室を主催するに至っておりますが、つい先日(10月14日)、ある教室に2年あまり通っておられる女性(75歳前後)から、次のような報告を頂き、びっくりいたしました。
 その報告とは、「昨日、ヤンバル(北部)の森を5キロ程歩く事になり、皆について懸命に歩いたのですが、終わってみると、どこにも痛みもなく、無事に歩き終えていたのです。そして心配していた翌日の太極拳教室にも普段どうりに出席出来ているのが不思議でなりません。もしかしてこれは気功・太極拳のお陰に違いないと思うと、嬉しくてたまりません。感謝の気持ちで一杯です」。私はこの報告を聞いて、本当に嬉しく思いました。この言葉にさらなる勇気を頂いて、これからも“人様の元気”のお役に立ちたいと心に誓ったのでした。

*嬉しき事(その2)
 10月22日は沖縄国立劇場で落語の立川志の輔さんの公演がありました。コロナの為に3年振りの公演との事でしたが、この日の席は満席。私達夫婦もご招待を頂き、久し振りに全身で大笑いをさせていただきました。
 志の輔さんとのご縁は、今からもう30年以上になるのかも知れません。その当時、沖縄国際通りの地下に、沖縄ジャンジャンという小劇場があって、彼(志の輔さん)をジャンジャンに連れてこられたのは、今は亡き永六輔さんでした。公演が終わった後、永六輔さんから「志の輔君は、沖縄は初めてだから、彼を連れて沖縄観光をさせてくれませんか」とのお願いをされ、私の家内がその役を務めさせて頂いたのでした。この観光には、当時小学校6年生であった私の息子も同行させてもらったのですが、何故か志の輔さんは、この息子を甚く気に入って下さり、その後自分に生まれた息子にも、同音の“ジュンペイ”という名前をつけて下さったのでした。以来30年を過ぎるご縁が続いているのですが、久し振りの志の輔さんの落語に大笑いをしながらも、志の輔さんとの過去の様々な出来事が蘇ってきて、感慨無量な一日でもありました。

* 嬉しき事(その3)
 今年の11月1日は私達夫婦の52年?振りの結婚記念日に当たるのだそうです。家内の提案で、記念の食事は前祝いだけど、沖縄北谷にある“次郎長”の“吉田君の天ぷら”にしませんか?、との事で、私も大賛成。しかしこの店のオープンは夕方5時30分からとの事で、私達夫婦にとって夜の運転は、至難の業なのです。それでも家内の決意は変わる事無く、家内の運転でやっと北谷の次郎長に行けたのです。北谷次郎長のお寿司もさる事ながら、吉田君が目の前で揚げてくれた“天ぷら”は、やはり天下一品の感動の味でありました。
 吉田君とも長い付き合いで、海洋博時代から今日まで、お互い有為曲折の時代をくぐり抜けてきた古き良き友人です。家内も手術からの回復を心から喜んで天ぷらを噛み締めていました。

 北谷次郎長の皆さん、ご無理を聞いてくださり、本当に有難うございました。天ぷらの吉田君、感動の天ぷらを揚げてくださり有難う。お陰様で心に残る嬉しい記念日の食事となりました。また来年も元気で再訪出来るよう頑張ります。有難うございました。

今日10月30日は奇しくも世界ウチナンチュー第7回記念のオープンの日でもありました。

                           2022・10・30日の記
           


奥田のコラム(NO313) 仙台S・Jさんへの近況報告 ( 2022/09/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今年の5月、それまで暫く休んでいたコラムの再開に使用させてもらった文章は、仙台に住む大親友のS・Jさんへの近況報告でした。(コラム311)。
 6月の末にも(コラム312)を発信していた記憶があったので、その次のコラム書き迄には充分の余裕があると安心していたのに、ふと気がついてみると、何と月日はもう9月の終わりに近づいていたのでした。

 大慌てにコラム(NO313)の文章を考えて見たのですが、私の頭に浮かんでくる強力な印象は、8月7日に不慮の死をとげられた安倍元首相と、9月19日に世界中のお祈りの中で静かに天国に旅立たれた、エリザベス女王の死でありました。
 どうして人間の死にこれ程までの差が生じるのであろうか、軽々しく結論を出せる筈もありませんが、私は常々、人間の生死は大宇宙を神とする天なる導きにほかならないと考えるに至っておりますので、私は全ての死者には等しく、両手を合わせて冥福をお祈りする他はありません。

 話が難しい方向に向かいつつありますので、急いで話を元に戻さねばなりません。今月(9月)の私のコラムは、3ヶ月に一度位の割合でお手紙を届けて下さる、仙台のS・Jさんからのお手紙のお礼状の文章を今回も又そのまま使わせていただこうと思うにいたりました。S・Jさん、本当にいつもゴメンナサイ!!!。
 
        〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
S・J様

 朝夕には、ほんの少しながら、幾分の涼しさを感じる昨今の沖縄ですが、まだまだ圧倒的に残暑の厳しさと、今年は何故か、台風の余波のような天気が続く毎日です。
 先日はいつもながらのご丁寧なお手紙を頂き、誠に有り難く、感謝、感謝で、あなたの事を思い浮かべております。最近の私は、なかなか思うような行動力が伴わず、お手紙の返信もすっかり遅くなってしまい、大変申し訳なく思っております。

 私の近況を申し上げますと、6月26日に86歳の誕生日を迎えた頃から、急に足腰の痛みと弱さが目立つようになってきております。杖の力を借りてみようと思い、早速杖をつきながら近くのスーパー等に買い物に出かけるのですが、今度は行くとこ行くところで杖を忘れて、家に帰ってから気が付くのです。7月から杖人生を始めているのですが、月に一度ぐらいの割合で杖を買うのが恥ずかしくて、本当の事は誰にも言っておりません。もしかして頭の方も相当おかしくなっているのも知れません。
 
 足腰の他はそれ程心配するところはありませんが、足腰の元気が健康長寿の最大の条件と思っておりますので、今年は下記の言葉を肝に命じて、一日中で最も大事な心掛けとして実行に移しております。
 @ 今日よりも一歩前進良い明日。(帯津三敬病院の心得)
 A あせらず、おごらず、おこたらず。(楊名時先生の太極拳心得)

 ゴルフの方は、私もず〜とクラブを手にしておりません。義弟のS・N君が、暫く体調を崩しておりましたので、彼が元気になったら、ショートコースを再開しようと約束しておりましたので、そろそろスタートさせようと話し合っているところです。
S・Jさんとのゴルフは、いつでも大歓迎ですので、何時でもご来沖を楽しみにしております。只、お二人のお母様が、健康であられる事が絶対の条件ですので、決して決して急がないで下さいね!!。 お互いにこれからのゴルフは、どれだけゴルフを楽しめるかが大事な目標だと思いますので、私はあるがままの自分を楽しみたいと思っているのです。“オールタッチプレーOK”でいきたいと思っておりますが、いかがでしょうか。

          〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 あなたの事が大好きな99歳の例のおばあさんは、もうすっかり元の元気を取り戻されているそうです。そして彼女の毎日の習慣は
  @ 毎朝、般若心経を唱える事。
  A 毎日、階段の一段を何度も何度も昇り降りする事。
  B 毎日の新聞に隅から隅まで目を通す事+読書だそうです。
 
 このおばあさんの100歳の誕生日は来年2月との事ですが、上記の話を聞くにつけ、どこまで長生きされるのか計り知れません。100歳の誕生日には、あなたと私の名前でちょっとしたお花をプレゼントしたいと思っておりますが如何でしょうか?、その時は、どうぞよろしくお願いいたします。

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* 一番先に書くべきでしたが、夏の甲子園野球、仙台育英高校の全国制覇、誠に・誠におめでとうございます。私は沖縄の尚学院高校が全国初制覇の時の事を知っております。沖縄中が震度5位に揺れ動きましたので、仙台の喜びが解るような気がしています。本当におめでとうございました!!。

* あなたの随筆集「風の便り」は是非とも、いつまでも続けて下さいますよう、私は心から希望しております。いつも最後になってすみません。奥様によろしく、よろしくお伝え下さい。
                            2022年9月25日の記      
                       沖縄より
                              奥田 清志
 

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