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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


(No.75)第13回 帯津良一健康講演会 in 沖縄 <第1部> ( 2009/12/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

<第1部>人間まるごと養生〜体・心・命のときめき〜

2009年12月20日、21世紀養生塾沖縄主催による、帯津先生の第13回健康講演会が開催されました。今回はご縁があって、沖縄県立武道館錬成場2階の大広間で開催する事になりましたが、何かしら一段と身心にしみる講演会になったような気がしております。

講演会は第1部、第2部に分かれ、約3時間にも及びましたが、誰一人として席を立つ人も無く、約250名の帯津先生のファンは最後まで納得してお帰りになられたようです。帯津先生の講演内容を私なりの解釈でお伝えしようと思います。

・ 2009年の一年間、「家庭画報」という雑誌で、ホリスティック医学を中心としたお話をしてきましたが、2010年も、またもう一年続ける事となり、今度は「帯津先生の元気の基は何ですか」という質問に答える事になりました。

・ 私(帯津先生)の健康(養生)法は、何と言ってもW朝の気功と夜の酒Wであろうと自認しております。私はコレステロールも中性脂肪もやや高いのですが、少し高い位の方が私の健康には良いと思っているので、全く気にしておりません。

・ 私には脳梗塞の気配は全く見られませんが、数年前、私の尊敬する世界的な免疫学者であられる多田富雄先生が講演中に脳梗塞で倒れられたのを機に、業者の方が勧めてくださったナットウキナーゼのサプリメントを用いるようになりました。これが効を奏しているのかどうかは解かりません。また私の前立腺はまるで少年のままの状態にあるとの事で、検査に当たってくれた女医さんが、奇声を発する程の驚きを示されました。(大笑い)

・ 私の唯一の問題点は,ガンマーGTPが220もあるのです。GTPを心配して私の病院を訪ねてくださる殆どの患者さんが私の数値よりは低く、誰もが安心の笑顔で帰っていかれるのです。私のGTPは患者さん達に多大の癒しの効果を発揮して大いに役立っているので、そう簡単にこの数値を下げるわけにはいかないのです。(大笑い)

・ 次なる健康(養生)の秘訣は、W青雲の志W、を持ち続けることであろうと思います。青雲の志が立身出世を目指したものであれば、これには限界があります。本物の青雲の志とは、W聖人賢人Wを目指して、生涯命(いのち)のエネルギーを溢れ続けさせる人のことを言うのです。
青雲の志を持ち続けていれば、心はいつもときめくのです。このときめきこそが健康(養生)人生の最たる要諦なのです。

・ ときめきは突然やってくる事もあるのです。私は今年の8月、ワルシャワで講演をしなければならない事になりましたが、そのときふと思いついたのが「ホメオパシーと気功」という演題でした。西洋と東洋の丁度中間地点に位置するワルシャワで、西洋の文化であるホメオパシーと東洋の文化である気功を結合させるという思い付きには、自分ながら歴史的とも思える程のときめきを覚えた事でした。

・ 最大の癒しの一つはW祈りWです。単なる祈りではなく、祈り続けるほどの心の深さがあれば、それは最大の癒しとなり、最大級のエネルギーとなり、最大級の自然治癒力につながる事になるのでしょう。

・ 「浄土」とは阿弥陀様の心が満ち満ちたW本願の場Wなのだそうです。本願の場、つまり浄土とは特別なところにあるのではなく、ごく身近なところにもあって喜びや気持ちよさの極限も浄土なのだそうです。身近な例として、尿腺のつまった極限の苦しみから開放された喜びなども、まさに浄土の世界なのだそうです。

・ 「メメント・モリ」という有名な写真集を出された藤原信也さんの言葉が忘れられません。「私は何も願いません、願うのはただ手を合わせて、海のような私にしてくださいと祈るだけです。人の一生は様々な苦しみや悲しみに彩られていて、その彩の中にも救いと癒しはあるのです」。海のような私とは、海は様々な人の苦しみや悲しみを受け入れてくれているという意味でしょう。そして苦しみや悲しみの中にも神様は自然治癒力を宿して下さっていると言う事でしょう。

・ 2009年のアカデミーグランプリを受賞した「おくりびと」の原作者である青木新門さんの言葉にも心が揺さぶられます。「人生の最後を迎えられた人に、頑張れとか、大変だねなど、励ましの言葉は不要です。きれいな青空のような瞳と、透き通ったそよ風の様な人がそばに居てあげるだけで良いのです」。

・ 時として死を思う事は、本物の人生に気付く事になるのです。私には死後の世界があるのか無いのか、まだ良く解かりませんが、両方ともうなずけるところもあるのです。死を語るに当たっては作家の五木寛之さんの事を避けては通れないのです。五木寛之さんは、ひたすら死に方を模索しておられるのです。五木さんはインドの林の中で野垂れ死にをされた釈尊(お釈迦様)のような死を理想としておられるようですが、私(帯津先生)は、どこで死んでも良いのですが、出来る事なら東京の下町の居酒屋の前でのばったりであれば、誠に有難いと思っているのです。
(2009・12・20の講演より・・・・)


(No.74)日野原重明先生・98歳の熱弁!! ( 2009/12/08 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

−さわやかに輝いて生きる秘訣−

聖路加国際病院理事長、名誉院長で、2005年度の文化勲章受章者でもあられる日野原重明先生は、今年の10月4日で98歳になられたそうです。11月28日の沖縄コンベンションホールに集まった満席のお客様を前にして、日野原先生はあの広いステージを縦横無尽に動かれ、身振り手振り、時には舞うが如くのお姿で、一時間あまりの熱弁をふるわれ、観客を魅了されました。

今回の沖縄講演は、日野原先生が2000年9月に立ち上げられた、「新老人の会」の沖縄支部発足一周年の記念事業として講演されたものでした。私は一生懸命メモを採りながら拝聴したのですが、メモに残す事が出来た何点かを再確認しながら、人生の糧にしたいと思っております。

・65歳を「老人」としたのは今から70年以上も前のことで、当時の日本人の平均寿命は68歳位、今では男女平均で80歳以上にもなっているのですから、65歳を老人と呼ぶのは誠に不自然です。自分が考える「新老人」とは、75歳からの、心身ともに元気でやる気を持った人のことを言うのです。

・長寿人生とは、一日をどれだけ長く有効に生きていられるかであって、ベットに横たわったままでの長生きは長寿人生とは言い難いのです。つまり心身ともに元気で、価値ある長生きをする事が、まさにW輝いて生きる人生Wといえるのです。

・健康の「健」はしっかりとした丈夫な体のこと、「康」は心が康(やす)らかな事を言うのです。その両方が揃って本当の健康なのです。健康を保つには適度の運動や食への配慮が大事ですが、感謝の心や、思いやりの心や、お役に立てる心を持てる事が、"さわやかな生きがい"を感じられる人生です。

・病める人の悲しみを自分の悲しみとし、病める人の喜びを自分の喜びとして受け止められる人になりましょう。与える事は失う事ではなく、心が豊かに満たされる事なのです。

・人間には自分では変えられない運命もあるけれど、生き方は自分の意志でどうにでも選択出来るのです。大事な選択とはどういう環境に身を置くかであって、交わる人との出会いの選択です。誰と出会い、その出会いをどう生かしていくかが人生の最大のポイントになるのです。

・人間は夢を持つことが大事です。夢は語るだけではなく、行動につなげることが更に大事です。私は88歳のときに「葉っぱのフレディー」という本に出会い感銘を受けました。この本には人生の全てが語られていますが、90歳になった頃からこの本をミュージカルにして、ニューヨークのカーネギーホールでの上演を夢見るようになりました。8,000万円のお金がかかりますが、何としてもやり遂げたい夢であります。

・100歳を目前にしてのもう一つの夢は、日本とアメリカの門戸を開く事となった、あのジョン・万次郎がアメリカに連れて行かれ、そこで住んでいた家を買い取りジョン・万次郎記念館として新しい日米友好の拠点にしたいと心を燃やしているのです。約18,000万のお金が必要ですので、どうか皆さん応援してください。

「新老人の会」の目指すところは、@愛し愛される人生であること、A夢を創(はじ)めること、B耐えながらも人のお役に立てることを生き甲斐として、C21世紀に生きる子供達に愛と平和の大切さを伝える事を使命と考えております。

・「新老人の会」の人達は20世紀の戦争を体験した方々です。戦争の愚かさを反省し、21世紀を愛と平和の世紀にする為に、核兵器のない世界を訴えます。核にお金を使う必要がなくなれば、世界中の人達を幸せにする事が出来るのです。

・沖縄は戦場となった所です。この沖縄から世界平和を発信し、日本を動かし、世界を動かせる県にしようではありませんか。多くの人達に「新老人の会」の会員になっていただき、美しい地球と世界平和を後世に残す原動力にしたいものであります。

日野原先生、たくさんの学びと勇気をいただき有難うございました。



(No.73)ダライ・ラマ沖縄講演「平和と慈悲のこころ」 ( 2009/11/17 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

2009年11月5日のダライ・ラマ法王沖縄講演には、5,000人の人達が県立武道館アリーナ棟を埋め尽くしたそうです。入場チケットは発売初日の9月1日に完売されたとの事ですから、只只驚くばかりの出来事でした。残念ながら私はチケットを入手する事が出来ませんでしたが、後日の新聞報道や、講演に参加できた友人、知人達からの報告で、おおよその講演内容を知る事が出来ました。心にしみるものがありましたので、自分なりに理解できた事をコラムに書き残しておこうと思います。

(1)平和な世界を実現する為には、人間に備わった知性を発揮する事です。その知性とは、自分以外の人に敬意を払う事、他者を自分の一部と思えるW愛と慈悲のこころWを育てていく事です。そうすれば、どんな問題に直面しても平和的解決が達成できるのです。

(2)幸せに生きられるヒントは、物質的な豊かさには限界があることを知る事です。人間にはこころと体という問題があり、物質的豊かさには、肉体的レベルにおいては快適な暮らしは出来ても、精神的な幸せを得る事は出来ません。

(3)今、私達は内なるものの価値観に関心を払うべき時に来ています。内なるこころの平和を築く為には自信を持っていなければなりません。自信を持った人間になるためには、愛と慈悲に溢れたこころと態度が必要です。自己中心的な考え方をすれば自分自身に孤独をもたらし、他人に対する不信や破壊的な行動をもたらす事になるでしょう。

(4) 母親を始め、身近な人から注がれる愛情を人生の土台にして、その愛情に感心を払う事が出来れば、人間はより幸せに、より健康な人生を生きていかれるのです。

 ダライ・ラマ14世法王は1935年のお生まれです。チベットの農家に生まれたダライ・ラマ法王(本名、テンジン・ギャツオ)は、2歳のときにダライ・ラマ13世の転生と認定され、5歳で14世法王に即位、チベットの最高指導者になられました。その後は中国によるチベット支配を逃れ、24歳でインドに亡命、北インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立。以来、世界各地で慈悲のこころと非暴力の教えを説き続けられ、1898年にはノーベル平和賞を受賞、「世界で最も影響力のある100人」の一位にも選出されておられます。

 ちなみにダライはモンゴル語で「大きな海」、ラマは「指導者・高僧」を意味し、慈悲のこころの象徴とされる観音菩薩の化身と崇められているそうです。溢れるばかりの慈悲のこころで、平和の使徒としての生涯を捧げておられるダライ・ラマ14世法王に感謝の合掌を捧げます。           


(No.72)栗と椎の実と孫 ( 2009/10/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

沖縄にご縁をいただいて35〜6年になるのですが、毎年秋になると、いく分残念に思う事がありました。それは私にとって秋の味覚の一つである、美味しい栗の実になかなか出会えない事でした。そこそこの栗にはお目にかかれても、私のイメージの中にある栗の実とはかなり違うものばかりなのです。

ところがつい数日前、たまたま立ち寄った小さなスーパーの片隅に、それはそれは見事な、まさしく私のイメージどおりの栗の実に出会えたのです。一袋に20個ぐらい入って¥490という安さにも驚いたのですが、とにかくわくわくしながらその栗を買い求め、早速、家の厚鍋でゆで、皮がはじける寸前の栗を食べたところ、例えようのない100点満点の美味しさなのです。
あまりの美味しさに翌日また2袋を買い求め、その日からは2日おきにその場所に足を運んでいるのです。この嬉しい買い物通いがいつまで続けられるのか解かりませんが、これ程までに胸のときめきを覚える買い物などめったに或るものではありません。私は只今、ときめきの真っ只中に日々を送っている幸せ者であります。

10月の半ば、横浜に住む兄から椎の実が届きました。この兄は、私が子供の頃から椎の実が大好きであった事を覚えてくれていて、先日の台風18号が本土に上陸し、関東地方を通過した際、どこかの山中に秘かに見つけてあったらしい椎の木を訪ね、たくさんの椎の実を拾い送ってくれたのです。まさかの嬉しい贈り物に、私は小躍りしながら、毎日を飛び跳ねている気分です。

私が椎の実を好きになったのは、生まれ育った環境によるものと思う他はありません。私は高知県の小さな半農半漁の村に生まれ、小学校まではその村に育ちました。その頃の思い出といえば、トンボ取りや、メジロ取りや、魚釣りなど、遊びに夢中になっていた時の情景ばかりが頭の中に浮かんでくるのです。そしてその頃食べた美味しい物といえば、真っ先に浮かんでくるのは、寒い冬の日に、フライパンでぱちぱちと音がはじけた椎の実の味が脳裏に焼きついているのです。
椎の実が本当に美味しいのか、それともその頃は美味しいものが無かったせいで、そう思えたのか半信半疑の気もしていたのですが、この度、兄が送ってくれた椎の実のお陰で、まさしく前者である事を確認し、子供の頃の確かな記憶を懐かしく思い出しているところです。

さて、この度の椎の実は思いもかけない6歳の孫との物語にまで発展する事となりました。
10月15日から沖縄で日本青年会議所の全国大会が開催され、会員である長男が、石垣島から参加する為、6歳の孫を連れてきてくれ、この孫と3泊4日の生活を共にしたのです。久しぶりに会った孫の行動力に、私達老夫婦はほとほと参ってしまったのですが、私が一番びっくりした事は、この6歳の孫が、なんと椎の実に目がなく幾らでも食べ止めないのです。
 私があまりにも美味しそうに食べるので、それにつられての事かと思いきや、「じいじ(私の事)、拓夢(孫の名前)はこの椎の実を家にも持って帰りたい・・・」と言い出したのですから、私はあわててしまいました。私にとって数年ぶりに手にした貴重な椎の実を持ち帰られてはたまったものではありません。「食べ過ぎるとお腹をこわして、元気がなくなるよ・・・」との理由をつけて、やっとの事であきらめさせたのでした。孫の父、つまり私の息子は椎の実の味を知らないで育っているはずですから、どうやらこの孫には、私の椎の実好きのDNAが隔世遺伝しているに違いありません。

 孫が帰った後、孫に申し訳ないウソをついてしまった自分を反省しながら、いつの日か、今度はたくさんの椎の実を入手しておいて、この孫と二人で心ゆくまで食べてみたいものと思っているのです。

写真上:栗
写真中:椎の実
写真下:孫の拓夢


(No.71)オバマ大統領にノーベル平和賞!! ( 2009/10/14 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

オバマ大統領にノーベル平和賞!!。突然のこのニュースには本当にびっくりでした。新聞によれば、オバマ大統領自身が、まさかのびっくりで目を覚まされたのだそうですから、我々がどんなにびっくりしたとしても不思議ではないのでしょう。おそらく世界中の人達もこの朗報に大きなびっくりの拍手を贈ったに違いありません。

テレビでの第一報は10月9日でしたが、その後の関連ニュースを知るにつけ、世界には何と素晴らしい良識の持ち主がいるのであろうと、私はすっかり嬉しくなってしまいました。その良識人というのは、2009年のノーベル平和賞にオバマ大統領を選んだノーベル賞選考委員の人達です。

ノーベル賞選考委員会は、オバマ大統領をノーベル平和賞に選んだ理由を次のように述べております。「本委員会は、国際的な外交と諸国民の協力強化に向けたオバマ大統領の比類なき努力を理由に授賞を決めました。とりわけ"核兵器の無い世界"の構想と、それに向けた取り組みを重視した。オバマ氏ほど世界の注意をひきつけ、より良い未来に向けて、人々に希望を与えた人はおりません。オバマ氏外交は、世界の指導者こそは大多数の人々が共有する価値観に基づいた行動をしなければならないという考えに立脚しているのです。」(読売新聞より)
上記の説明文は私には少々むずかしい表現ですが、要するに、世界のリーダーたるものは、世界人類に共通する平和を考えなければならない。そして、今一番大事な平和への条件は「核兵器の無い世界」を実現する事であり、そのトップリーダーにはオバマ大統領が最もふさわしいので、その期待を込めてノーベル平和賞を与えた、という事であると私は理解しております。

2009年1月20日、オバマさんが第44代アメリカ大統領に選出されたときの感動を忘れる事が出来ません。その時に思った事は、「オバマ大統領こそはアメリカ合衆国の救世主であり、世界の救世主でもあり、地球を救う救世主であるのかも知れない」という事でした。(コラムNo.53に記載)
オバマ大統領の人間性については、これ以上に求めようが無いほどの清廉潔白さと、責任感と実行力を兼ね備えた印象が私には伝わってきます。彼にはまだノーベル平和賞を授与される実績が無いではないかという人達もいるようですが、まさに今の時代は、地球そのものが破壊の道を辿るか、美しい地球を取り戻せるかの瀬戸際にあるのですから、即刻、明るい未来に向かっての行動を起こせるトップリーダーの出現が求められている時なのです。

オバマさんは学生の時から、核廃絶に情熱を燃やし続けてこられたそうです。核の廃絶なくして世界に本物の平和などあろうはずも無いのですから、オバマ大統領こそは2009年のノーベル平和賞に最もふさわしい選出であった事を世界の大多数の人達は納得しているに違いありません。
オバマ大統領はノーベル平和賞を授与されるに当たって、次のような言葉を述べられております。「この賞は私の業績への評価ではなく、米国のリーダーシップへの評価と受け止めております。そして正義と尊厳を求める全ての人達へ、目的達成への勢いを後押ししてくれる為に与えてくれたものでしょう」。(読売新聞より抜粋)


さて、日本は世界で唯一の核被爆国であることは言うまでもありません。オバマ大統領は、今年4月のチェコ・プラハでの演説で、広島・長崎への原爆投下を念頭にして、「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的責任がある」、との発言をされました。まさに人間の良心に基づいた発言と思います。日本は今こそ、核廃絶を世界に訴えるべきベストの時ではないでしょうか。広島・長崎で犠牲となられた方々の無念が晴れるのは、地球上から核兵器が根絶された時なのかも知れません。地球上に生を受けた人なら誰もが、オバマ大統領の提案を後押ししなければならないと私は思うのです。 

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