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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO312) 86歳の誕生日に思った事ー生かされて生きているー ( 2022/06/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

私は今年の6月に86歳になりました。
 昨年85歳になった時には、何かと心のなかに浮かぶ言葉があって、それらの事を日記に書き残しておりましたが、86歳の今年は格別心に浮かぶ言葉もなく、85歳の言葉の延長人生を生きていれば良いと思っていたのです。

 ちなみに85歳の時の言葉は以下のものです。
@ 残された人生、出来るだけ人様にご迷惑をかけない人生でありたい。
A 残された人生、いささかなりとも人様のお役に立てる人生でありたい。
B 残された人生、今日よりも一歩前進の明日でありたい。
C 残された人生、天国の両親が喜んでくれる人生でありたい。
D 残された人生、いつ何があっても、いささかの後悔もない人生でありたい。

          〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ところがであります。
 今年の3月末、新潟に住む次男から、新潟県弥彦温泉の招待状が届き、夫婦共々、喜び一杯で新潟を訪れ、幸せいっぱいの旅を終えて帰った直後、家内の腰に激痛が出て、(家内の言葉によれば、旅行中にも幾分の痛みがあったけれど、何とか堪えられる痛みだったので、口には出さないように辛抱していた、と言うのです。)
 4月1日に協同病院を訪ねたところ、即入院、即手術、即ICU 入りという大ハプニングとなったのでした。後で知ったのですが、家内の病名は“左脇腹大動脈瑠破裂”で、一刻の猶予もなかったとの事でありました。緊急手術で麻酔から覚めた妻も、後からその現実を知らされ、流石に動揺を抑えきれなかったようでした。(コラム311参照)
 お陰様で、手術後1週間でICUから一般病棟に移され、リモートによる電話が許されるようになり、4月16日には一時退院となり、今は家の中での静養中で、ちょっとした買い物が出来るようにまでなっているのですが、7月の初めには最終検査で術後の結果が出るとの事です。
              
 上記の家内の突然の出来事を通して、深く気付かされた事は、“人間の生命は天地神仏様に生かされている”、という強い実感でありました。今回の出来事を通して、私達夫婦は、共々に天地神仏様に感謝を忘れる事の無い人生を生きる事の大切さを、強く学ばせて頂いたと思っております。
 
          〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 “日々一生懸命、良き事を心掛けて、最後のところは、天地神仏様の出される結論に従う他は無し”、というのが、今年86歳を迎えた私の結論であります。これから先も、元気で頑張ろうと思います。頑張って天地神仏様も喜んでくださるであろう人生を生きねばならないと自分に言い聞かせている昨今の私です。
ありがとうございます。ありがとうございます!! !! !!

                           2022年6月30日の記


奥田のコラム(NO311) コラム再開に当たって・・・ ( 2022/05/14 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2022年に入ってからの私は、ただの1回のコラムを書いただけで、以来ずっとコラム人生から遠ざかっておりました。身の回りに何もなかった訳ではありませんでしたが、毎日の新聞・TV等で報道されるニュースは、コロナ・オミクロン禍の拡大と、ロシアによるあまりにも無惨なウクライナ侵略に、心が沈むばかりの日々が続いておりました。
 つい先日、仙台に住む親しい友人に、手紙を出す機会に恵まれましたので、今日はその手紙の文章をそのまま記させていただき、ささやかなコラムの再開にさせていただこうと思います。これからまたよろしくお願いいたします。

                           2022年5月14日の記

         〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
 S・J様
   
 連休も終わりましたが、如何お過ごしでしたでしょうか。
沖縄は 数日前から梅雨に入っており、加えてコロナ・オミクロン禍の感染率が 日本一という状況下に置かれていて、なかなか心晴れ晴れという訳にはなっておりません。

 本来であれば、私達夫婦にとりましては、今年は一番下の孫娘が小学校1年生になり、一番上の長兄孫がやっと高校を卒業して、ご縁をいただいて、金沢の大学に入ってくれましたので、嬉しい出来事が続く筈でしたのですが、コロナ・オミクロン禍の為、私達夫婦はいずれの入学式・卒業式にも出席が許されず、残念な事になっておりました。

 それらに加えて今年一番の大事件は、3月末、新潟に住む次男から弥彦温泉の招待をうけ、幸せ一杯の思いで帰ってきたはずでしたのに、何故か急遽、家内が腹痛を訴える日が続き、4月1日にあまりの痛さに病院を訪ねてみたら、“即手術”、“即入院”、“即ICU”(面会謝絶)、という日が1週間程続き、頭の中が真っ白な日が続いておりました。さすがの私もこの時ばかりは毎日、心のなかで天地神仏に手を合わせる日々が続いておりました。

 病院の先生のお話によれば、“左脇腹大動脈瑠破裂”で出血もあり、少しの時間の猶予もなかったという事で、生き返ったことが不思議なくらいの出来事だったとの事。緊急手術で麻酔から覚めた妻も、後から聞かされて流石に動揺を抑えきれなかったみたいでした。

 手術後1週間でICUから一般病棟に移され、リモートによる電話が許されるようになり、一安心となりました。本当に、本当に思いがけない出来事でありました。お陰様で4月16日に退院となり、今は家の中で静養中ですが、最近は近くのスーパー位までは車で出掛けて、買い物もしておりますので、もう大丈夫なのかもしれませんが、7月1日に再検査があり、この時点で最終結果が出るとの事です。

 結果次第ではもう一度、根本的に人生を考え直さねば・・・という気になっているのですが、今回の出来事は、まさに天地神仏に助けていただいた生命と思っておりますので、これからの人生は夫婦共々に、天地神仏に喜んでいただける人生を心掛けて生きなければならないという気がしております。

            〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 私達の事ばかりの手紙になってごめんなさい。家内がまだあまり長文のPSが打てそうもありませんので、今日はこれで失礼させていただきます。次回は7月中旬にまたお手紙させていただきます。
 人生はいつ何が起こるか、本当に解らない事を身に滲みて知らされました。
S・Jさんご夫妻のご健康を心の底から念じております。お元気でお過ごしくださいますように。

       2022年5月12日の記    沖縄より



奥田のコラム(NO310) 2022年、 明暗分かれる新旧のお正月 ( 2022/02/01 )

 
 アメリカ家族からの一ヶ月遅れの年賀状

 
 アメリカ家族からのクリスマスカード

 
 アメリカ父娘のゴルフ写真

 
 アメリカ孫・アニカのゴルフチーム写真

 
 アメリカ孫からの初めての年賀状

 
 

 2022年2月1日の今日は、沖縄では旧暦の1月元旦にあたる日なのだそうです。こんな不思議な組み合わせになる割合など、一体、何年に一回あるのであろうかと、一生懸命考えてみたのですが、私の頭脳では、いくら考えても考えても考え尽きません・

さて、不思議な今年の新旧のお正月は、ちょっと想像を超える出来事が私の身に起きているのですから、今日のコラムに書き残しておこうと思うに至りました。

     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 2022年の幕開けは、新年早々に、親しい友人から電話が入り、その内容たるや、まさかまさかの友人・知人達の訃報ばかりなのです。どうしてこんな電話ばかりが・・・と思うにつけ、今年86歳になろうとしている私にとっては、さほど特別の事でもない事かも知れないと思うようになり、今年は否応なしに、それなりの覚悟をしなければならないと思えたお正月でありました。

     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 さて、その時から丁度一ヶ月が過ぎようとしていた一昨日(旧正月の前々日)、突然、アメリカ在住の息子ファミリーから、1ヶ月遅れのクリスマスカードと、分厚い写真の入った年賀状が届き、中を開けてみると、その中には今年13歳になる孫娘のゴルフ写真と、10歳になるこれも孫娘の、産まれて初めて書いてくれた、日本語の年賀状が入っておりました。
 
 どうやら13歳になる孫娘は、近年から急にゴルフに関心を持つようになり、父親に教わりながら、スクールのゴルフチームに参加して活躍しているようなのです。ゴルフの指導をしている父親は私の息子で、15歳からアメリカにゴルフ留学をして、今はオハイオ州のゴルフ場の支配人とUSPGAの“ティーチングプロ”の資格をとって活躍しております。息子が言うのには、“娘は近年めきめき腕を上げてきて、間もなく70台のゴルフに突入する事は間違いない”、と言うのですから、ゴルフ大好き人間の私にとってはまさかまさかのびっくり仰天の何物でもありません。
 
 いつかこの孫娘とゴルフが出来るかも知れないと思うと、もう嬉しくて・嬉しくて、私は天にも昇るよろこびが身体中に湧き上がって来ているのです。孫娘たちのお陰で、すっかり落ち込んでいた今年のお正月も、今は嬉しく有り難い気持ちで旧正月の日を迎えております。

 人は良い事もそうでない事も、いつ何があってもそれが人生というものかも知れません。旧正月を迎えるに当たって、改めて人生を省みて“今日よりもまた一歩前進”の明日に向かって歩んでいこうと思った次第です。

 追伸 : 写真の年賀状は、今年10歳にるアメリカの孫娘が、生まれてはじめて書いて くれた日本語の年賀状です。

                      2022年2月1日の記


奥田のコラム(NO309) 置かれた場所で咲きなさい  (7 階建て、市営団地でのトレイニング) ( 2021/12/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2021年12月28日は、私にとってはちょっとした記念の日でありました。
 昨年の7月からご縁を頂いて、今住んでいる7階建ての市営団地の階段の昇り降りを思い立ち、実行に移してから丁度1.000回を実現させた日だったからです。

 今年の6月、85歳の誕生日を迎えた前後から、足腰に思いがけないハプニングが感じられるようになり、さてこの先の人生はどうなるであろうかと思っていた丁度そんな時、NHKの“ガッテン”を見る好運に恵まれました(2021年7月7日)。
 その時のガッテンの内容は、足腰の弱さを回復させる最良の方法は、“階段の昇り降りの中でも、ゆっくりと降りる方に心配りをして、続ける事です"というアドバイスでした。私は一瞬・その言葉に“天の声”を聞いたような気がして、翌日から7階建ての階段の昇り降りを開始させたのでした。

        〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 7階建ての階段の昇り降りは、85歳の私にとっては、とてもとても容易なものではありませんでした。そしていろいろと考えて実行に移したのは、最初は1階から5階迄エレベーターの力を借りて昇り、5階から7階迄を自分の足で昇り、7階で小休止。柔軟体操等をして、また1階迄、ゆっくりと自分の足で降りるのです。この繰り返しを1日10回やるのです。
 2ヶ月位、このパターンを繰り返し、3ヶ月位からは、エレベーターを4階で降り、4階から7階迄、自分の足で昇り、また降りるのです。

 このパターンを毎日実行する事を自分に誓ったのでしたが、現実には毎日はとても不可能で、実際は、週に5日ぐらいの平均となりましたが、何とか頑張って、12月28日には、遂に1.000回の昇り降りをやり遂げる事となりました。
 きっと来年の春頃には3階からの昇りも自分の足で昇り、初夏の頃迄には、全身に汗をびっしょりかきながらも、1階から7階迄の10往復を、エレベーターの力を借りないで実行しているであろう自分の姿が、目の前に浮かんでいるのです。

          〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 人間足腰がしっかりしていて、更に頭のボケさえなければ、何歳まで 生きてもそれぞれの人生に、それぞれの感動があるのではないかと、私は考えているのです。今年(2021年)のお正月の誓いは、“元気な100歳を生きる”でしたが、来年(2022年)はその言葉を更に本物にしていこうと思っている昨今の私です。

 今、私の頭の中には著名なクリスチャンであられたあの渡辺和子さんの“人間置かれた場所で咲きなさい”という言葉が浮かんできております。85歳に与えられた7階建ての市営団地の人生を、最大の味方として、大いに張り切って2022の新年を迎えようと張り切っている私であります。皆々様、2021年有難うございました。
 来年もよろしくご指導の程お願いいたします.

                              2021年12月29日の記


奥田のコラム(NO308) かけがえのない恩師3人の旅立ち その3 ( 2021/10/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

(3)柳家小三治さんの訃報

 古典落語の名手として、人間国宝の地位まで昇りつめておられた、あの柳家小三治さんの訃報(81歳)を知ったのは、10月11日のTVと10月12日の新聞でした。
あまりの突然の訃報に、どうする事も出来ず、翌日奥様宛に弔電を送るほかはありませんでした。

 小三治さんを紹介して下さったのは、(故)永六輔さんで、もう30数年も前の事かと記憶しております。その当時、沖縄の国際通りの地下に、“沖縄ジャンジャン”という小劇場があって、永六輔さんを囲む6〜7人の俳句の会で、ご来沖されたメンバーの一人が柳家小三治さんでした。
 この会はジャンジャンでの公演を終えられた翌日は、その当時、首里金城町にあった私の家(首里の森ギャラリー)を訪ねて下さり、そこでも溢れるばかりの賑やかな俳句と歌の会が催うされていたのです。その頃の小三治さんは、新進気鋭の落語家という印象でした。
その頃の私は、まだ殆ど落語のことは知らず、マラソンに夢中の日々を過ごしていて、来る日も来る日も、朝に、昼に、夕に、只々走るばかりの人生でしたが、何故か小三治さんはそんな私を気に入って下さり、私が海外マラソンを完走する度に、まさかの葉書きを送って下さるのでした。私は小三治さんにほめられる事が嬉しくて、一生懸命マラソンを走っていたような感もしておりました。
             〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 柳家小三治さんは、沖縄の夏のマンゴーと、冬のタンカンが大好きでした。ある日、小三治さんのお弟子さんがNHKの落語大賞を受賞された時に、マンゴーをお送りして、“一部をその大賞を受賞されたお弟子さんにもおすそ分けして下さい”との手紙を添えたら、返ってきた返事には何と、“自分はそのような立派な弟子を持った覚えはないので、送られてきたマンゴーは誰にもあげないで、全部自分ひとりで食べます”と書かれてありました。ちょっと変わり者の、本当に面白い人でした。

 小三治さんの事でもう一つの深い印象は、永六輔さん達の俳句の会の途中で、突然“一人でドライブをしたくなったので、車を貸して下さい”と言って出掛けたのです。1時間ほど経って、“今、万座ビーチホテル迄来ているので、これから帰ります”との電話が入りました。一時間ほどで帰えってくるものと思っていたら、何と30分も経たないうちに帰って来たので、まさかのびっくり仰天です。どう考えても1時間ぐらいかけて行った先から、その半分の時間で返ってくる為には、時速150〜160キロのスピードを出さなければ辻褄が合わないのです。若かりし頃の柳家小三治さんの想い出話です。
 小三治さんの落語で私が一番大好きなのは、“卵かけごはん”です。

           〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 今年の2月の末から3月始めの頃、沖縄のタンカンを送って、暫く経ってから、突然私の家に電話が入り、何も言葉は出さずに、ただすすり泣きだけが聞こえてくるのです。“どちらさんですか”と何回か尋ねるうちに“小三治、小三治、小三治です”と小さな声が伝わって来たのを最後に電話は終わったのですが、今から思うにはよほど体調が悪かったにもかかわらず、タンカンのお礼を伝えようとしてくれたに違いありません。本当に本当に残念でなりませんが、小三治さんとはあの時のあの電話が最後となってしまいました。
(まだ81歳の若さでした。)
 小三治さん、残念でなりませんが本当に有難うございました。私も85歳になりましたが、私は100歳までは生きると宣言して生きておりますので、あと15年経ったらそちらでまたご縁をつないで下さいね。永六輔さんにもくれぐれおよろしくお伝え下さい。   合掌です。
                 2021年10月31日の記

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