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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO139) 鎮魂の祈り:3月11日午後2時46分 ( 2012/03/16 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 3月11日、午後2時46分は、日本中が鎮魂の祈りの中に包まれた瞬間でした。
言うまでもなく、東日本大震災が発生した瞬間です。
 新聞報道によれば、世界の各地でも日本のこの時間に合わせて、沢山の人達が祈りを捧げて下さった記事が出ていて、私には心温まるものがありました。

 私もこの日ばかりは朝から覚悟を決めて、出来る限りたくさんの¨震災特集番組¨を、もう一度しっかりと見届けようと思っておりました。死者(15,854人)、行方不明者(3,155人)を合わせると19,000人以上もの方々が亡くなられ、被害に遭われた方の数は34万人も上るのだそうです。
 亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りすると共に、深い悲しみと沢山のご苦労を背負っての日々を過ごされておられる方々の心の中に、一日も早く何かしらの希望の光が差し込んでくれる事を、心から願わずにはいられません。

 深い悲しみやご苦労の日々を余儀なくされておられる方々の原因は、地震と津波だけではないのです。福島第一原発の為に、住む家を追われ、、職を奪われ、万策尽き果てた末に¨原発さえなければ・・・¨との遺書を残して、自らの命を絶たれた方もおられるということです。
 それに引き替え、東京電力をやめた役員の中には、満額以上の退職金が支給されているとの報道には、怒りだけが込み上げてくるのです。
 原発事故は断じて天災ではないのです。 大自然の摂理を冒涜した、人間の果てしない欲望から生じた人災以外の何物でもないと言えるのではないでしょうか。

 福島県の佐藤雄平知事がこの日に発信された「ふくしま宣言」は、東日本に住む人達の結集された心の叫びに違いありません。
 今日の私のコラムには、その「ふくしま宣言」を記させていただき、私も東日本の人達と心を共にしたいのです.。         (2012・3・15の記)


  「ふくしま宣言」(要旨)   佐藤雄平福島県知事
 

 2011年3月11日午後2時46分。
 あの日、あの時を迎えるまで、このふくしまの姿を誰が想像できたでしょうか。
 大地震、大津波は、多くの尊い命と穏やかだった私達の暮らしを、非情にも奪い去りました。
 原子力災害は、ふくしまを一変させました。
さらに、風評被害は、地域の活力を奪い、私達の心までも深く傷つけました。
 人類がこれまでに経験したことのない,この様な多重の災害が、なぜ起きてしまったのか、私達はしっかりと考えなければなりません。

 「自然の脅威に対する十分な備えが出来ていたか」
 「科学技術を過大に評価していなかったか」
 「原子力を扱う事の難しさと正面から向き合ってきただろうか・・・」

 これらの問いの中に、未来への大切な教訓が有る筈です。
私達は、科学技術の力を過信することなく、全ての人が安心して暮らせる社会づくりを進めていきます。
 そして、二度とこのような事が起きないよう、県内の原子力発電所を全て廃炉とする事を求めながら、再生可能エネルギーを推進し、原子力に頼らずに、発展し続けていく事が出来る社会を目指します。

 今、全世界の人がFUKUSIMAを見つめています。私達は、地域の発展と地球環境の保持が両立出来る新しい社会の在り方を、世界に示してまいります。

 「私達は必ず、美しいふるさとふくしまを取り戻します。活力と笑顔あふれるふくしまを築いていきます。このふくしま復興の姿を世界へ、未来へと伝えます」。
 これを「ふくしま宣言」として、全世界の皆さんにお誓いいたします。

写真上:黙祷を捧げる被災地の方々
写真中:祈りをささげるウクライナ市民
写真下:「ふくしま宣言」を読み上げる佐藤福島県知事
 (沖縄タイムスより)


奥田のコラム(NO138) ノーベル化学賞・鈴木章先生の講演会 ( 2012/03/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2010年のノーベル化学賞に輝いた鈴木章先生の講演会を聴く幸運に恵まれました。
2012年3月4日、場所は沖縄県浦添市のてだこホール。
 鈴木先生の事は、先生がノーベル化学賞を授賞された時から、特別の親しみを感じさせていただいておりましたので、以前、自分のコラムにも少し書かせていただいた事があります。(コラムNO99)

 この度、まさに正真正銘、本物の鈴木先生を目の前で拝見しての印象は、更なる魅力に溢れた素晴らしいお人柄でありました。この日の講演会の印象を記して、長く記憶に留めておきたいと思います。

 私の印象(その1)
 鈴木先生がステージに上がられた瞬間のお姿にまずは驚かされました。プロフィールには81歳と書かれておりましたので、幾分の老人姿をイメージしていたのですが、スーッと背中が伸びた長身、そしてスイスイと歩を進める颯爽とした姿はまるで青年以上の青年!!。身につけられたメガネ、ネクタイ、それに胸につけられた大きなランの花のブーケがパーフェクトに似合うおしゃれぶり!!。話し声も大きく、はっきりしていて、自然体のユーモアも抜群!!。超真面目で、超頑固(?)風ながらも、まるで気さくなお人柄!!。一言で表現するなら、秋の日の¨日本晴れのような爽やかな人¨というのが私の決定的な印象でした。

 私の印象(その2)
 鈴木先生がノーベル化学賞を授与された¨クロスカプリング論¨という研究内容については、化学音痴の私にはまるで解らないのですが、とにかく、医薬品から液晶テレビ、携帯電話などに至るまで、実に幅広い世界に役立つ画期的な発明らしいのです。
 俗人の私の頭に浮かんできた事は、これ程の大発明をすると、一体どれ程のお金が特許料として入ってくるのであろうかという心配(?)でしたが、どうやらこの先生、まるでお金儲けには無頓着のようで、記者会見の席で、「私の研究は特許は取っておりませんので、誰でも自由にお使いください」と発言されておられるのだそうです。

 以前、どこかで、¨損か得かは人間の世界、真実かどうかは神の世界¨という言葉を目にした記憶があるのですが、どうやら鈴木先生は人間の姿をした神人(カミンチュー)なのかもしれません。カミンチューとは沖縄の方言で少し人間離れをしている人の事です。

 私の印象(その3)
 鈴木先生が化学の世界に生きようと思うようになったのは、偶然出会った一冊の本からだそうです。1962年、先生が北海道大学大学院生だった頃、札幌にあった¨丸善¨という本屋さんを訪ねた時、ふと目にとまった化学書の表紙が、当時の学術書としては異色の¨赤と緑¨であった事に心を奪われたのだそうです。
 思わずその本を手に取り、ページをめくっていくうちに、すっかりその本の虜となり、翌年の1963年には、この本を書かれたアメリカの化学者、C・H・BROWN先生(1979年ノーベル化学賞受賞者)のもとを訪ね、この時からの研究がご自分のノーベル賞につながる事になったのだそうです。

 私は上記のお話を聞きながら、鈴木先生という人はきっと芸術家としての感性を持たれた化学者に違いないと思いました。そしてその芸術家としての感性が、ノーベル化学賞と深くかかわっているのでは・・・という気がしてなりませんでした。

 私の印象(その4)
 講演会の第2部では、奥様の陽子さんと一緒にステージに上がられたのですが、この奥様が、お名前の如くに、鈴木先生にとってはまるで太陽のような存在に思えて、お二人の対話が絶品のステージでした。下記のようなお二人の対話に会場は爆笑の渦に包まれました。

・司会者の「お二人は学生結婚だそうですが、その頃のお二人の経済のやりくりは、どんな状況だったのでしょうか・・・?」の質問に、鈴木先生の答えは「その頃、家内は幼稚園の先生をしておりましたので、給料は家内の方が上だったかも知れませんが、私もそこそこの給料はもらっていたと思います。よねえ・・・?」と奥様の顔をのぞかれると、奥様から返ってきた返事は、「あの頃、貴方がいただいていたお金は給料ではなく奨学金でしたヨ」に会場は爆笑でした。

・次に子育てと家庭での存在感についての質問には、鈴木先生:「私はとてもいいパパぶりを発揮していたつもりですが、家族は必ずしも私と同じ意見ではなかったみたいです・・」と幾分反省気味の弁。奥様の「主人は家に居ても何もしないのですから、居ても居なくても同じです」との答えにもまたまた爆笑でした。

・お二人の対話の面白さには尽きぬものが有りましたが、何はともあれ、鈴木先生はノーベル化学賞受賞者という、かけがえのない日本の誇りであり、人類に貢献する世界の宝人なのですから、どうか奥様には鈴木先生のお元気をしっかりとお守りしていただきたいものであります。

 私の印象(その5)
 これは講演会とは別のルートからの情報ですが、鈴木先生はお酒が大好きなのだそうです。鈴木先生の研究熱心の源は、どうやら友と呑み交わすお酒にあると言っても過言ではなさそうです。
 私が敬愛してやまない著名なお医者さんもお酒が大好きで、お酒の喜びをバネにして、沢山の人達の生命の養生に全力を投入されておられます。どうやらお酒は昔からの例えにもあるように、“百薬の長¨にして、且つまた¨百泉のエネルギー源¨である事に賛同しない訳にはいかないのかも知れません。

 お酒が全く駄目な私にはちょっと解りにくいところもあるのですが、何はともあれ、上記のお酒好きの偉大なるお二人の先生に、私は大きな心の声で乾杯を捧げたいと思います。皆様にもご唱和いただければ、間違いなくその分だけ世界中に幸せの輪が拡がるに違いありません。カンパーイ!!。
                     (2012年3月9日の記)

写真上:鈴木章先生講演会パンフレット
写真下:鈴木章先生ご夫妻対談風景
(写真:琉球新報社より)


奥田のコラム(NO137) 「座禅断食会」 ( 2012/03/03 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 つい一週間程前の事ですが、沖縄のあるホテルで「座禅・断食会」なるものがありました。この会は沖縄でもすでに8回も続いていて、いつも希望者ですぐ満杯になるのだそうです。2泊3日、水分以外は殆ど何も口にしないというのに数万円の費用が掛かるのだそうですから、凡人の私には摩訶不思議の世界でしかありません。

 この座禅・断食会の主宰者は、知る人ぞ知る裁判官にして、ヒマラヤに2つの小学校を造られた稲葉耶季先生です。(稲葉先生の事はコラムNO113に記載)。そしてこの日の講師は、断食・座禅僧として今や超人気の野口法蔵先生だそうですから、きっと何かがある!!と思わない訳にはいかないのです。
 私もお誘いをいただいたのですが、どうしても私には参加の勇気がなく、この会に興味を示してくれた家内に参加してもらいました。今回のコラムはその時の様子を家内に語ってもらおうと思います。

〜初めての座禅・断食会〜

 今回は初めての試みで、主人に替わって私(泰子)が、人生初体験の三日間断食の会に、参加した体験談を述べてみたいと思います。
 
 この会に参加できたきっかけを作って下さったのは、コラム(NO113)でも紹介させていただいた稲葉先生です。先生が主宰するヒマラヤ稲葉学校では、毎年2回、松本から「野口法蔵先生」ご夫妻を招いての座禅・断食会をコスタビスタ沖縄で開催されています。いつも定員をオーバーする申込みで、キャンセル待ちをされている方もたくさんいらっしゃるという、隠れた超人気(?)の座禅・断食会です。
 週末の金曜日の夕方から、2泊3日の宿泊断食会で、その間、副交感神経を刺激する為、20分の座禅を計15回するというもので、最初は空腹と座禅の両方に苦労するに違いないと、覚悟を決めて参加させていただきました。

 当日三々五々、夕方の6時には39名の方がそれぞれの思いを内に秘めて、ホテルの会場に集まっていらっしゃいました。20坪ほどの広さの会場の中は、床に直接座るため、マットを敷いたり、座布団を敷いたりして、各々が準備されておりました。

 簡単な自己紹介の後、野口法蔵師の鈴の合図で、すぐ座禅が始まりました。
全く経験のない私は最初の20分の間、呼吸を整えて、じっと座って呼吸を数えるだけの座禅が、とても窮屈で、この先耐えられるかどうかの心配ばかりが頭をよぎっておりました。警策も終わり、終了の鈴と拍子木の音が聞こえた時には、ほっとして解放された気持ちになりました。が、この先の事を考えると、気が遠くなってしまったのも事実です。次の座禅が始まるまでしばし隣の方々との雑談で気を紛らわしましたが、2度目の座禅が始まると、もう食べ物が頭をよぎって仕方がありませんでした。金曜日の朝から、水分だけでの参加で、会場にも、水とお湯、柿の葉茶、チベットの塩だけしかありません。柿の葉茶を飲んで、空腹を紛らわす他はありませんでした。その日の座禅(3回)も終了し、22:00に就寝。テレビは禁止。風呂も出来たらシャワーと言う事で、寝る外はありません。翌日は朝の6:00起床。普段ゆっくり過ぎるくらい寝ている私にとっては、起きれるかどうかの心配で、目覚ましを2か所かけてベットに入りました。翌朝は気になって3:00頃からうとうとしておりました。

 朝6:00.覚悟を決めて、会場に赴きました。具合の悪くなった方も少しおられたようですが、大事には至らず、座禅の会は粛々と進んで行きました。
朝の一番はお経の唱和です。「開経偈」「懺悔文」「四弘誓願文」「七仏通戒偈」
「摩訶般若波羅蜜多心経」「観音経」「十句観音経」「舎利禮文」を野口法蔵師の
読経に合わせて全員で唱和するのです。何が何だかわからないまま、渡された資料を必死に読んでついていくのがやっとでした。終わってみると眠気も飛んで、すっきりしている自分がおりました。

 それから延々と夕方まで、計8回の座禅。その間に13:30に150tの野菜、フルーツジュースが配られました。これがおなかに染み渡り本当においしかったのです。
今回は手作りのジュースを会員の「UKISIMA GARDEN」の方が作って下さいました。(100%オーガニックのお店です)
その後、合掌行、19:00から2回の座禅で一日が終わりました。ここまで来ると明日の明けの事が見えてくるので、がぜん元気が出てきました。あと少し・・・あと2回・・・
そうしたら食事ができるーーう。

 翌朝6:00起床。ゆっくり眠れて体も快調。朝のお経と座禅も滞りなく過ぎ、待ちに待った明けの食事。どんな食事が出るのか楽しみにレストランに向かいました。

 まず、水を飲み、温かい梅湯をゆっくりかみしめながら飲み、大根の煮物、生野菜(キャベツ、ニンジン、きゅうり、トマト)を野口先生の奥様手作りの味噌でいただくともう幸せいっぱい。食べ物の有難さを身に染みて感じながら、ゆっくりと食べ進んでいくと、席を立つ人がだんだん多くなってくるのです。そう、宿便取りの始まりです。お腹がぐるぐるしだしてきて、念願の宿便が出始めました。約1時間半ぐらいで収まり、体もすっきり。心もなんか新鮮な感じ。この気持ちをいつまで
持つことが出来るかが、今回参加の大きな成功の分かれ道。これからがスタート。
主人が迎えに来てくれた車の中では、これからの食生活の事で頭が一杯。
1週間が勝負どころです。何とか頑張りたいと思っている私です。
                   (2012年3月3日の記)
写真上:座禅・断食会の看板
写真中:明けの食事
写真下:明けの食事をとられている野口法蔵師ご夫妻と      稲葉先生


奥田のコラム(NO136) 娘の結婚披露宴(その二) 私の心情 ( 2012/02/16 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 前述のコラムでもお伝えした様に、私は娘の大事な結婚披露宴で、父親としての役目を充分に果たすことが出来ませんでした。披露宴でお伝えすべくしてお伝え出来なかった私の心の中を、今日のコラムに記して、せめてものお詫びとお礼に代えさせていただこうと思います。

@ 新婦、娘の有香さんへ:
 お父さんはいろいろと心配していたけれど、あなたは沢山の素晴らしい友人・知人に恵まれている事を知りました。そしてあなたがとても人気者で、猫ばかりでなく、たくさんの人達の相談相手になっていて、人様のお役にも立っているらしい事を知り、心から嬉しく、頼もしく思えました。人は誰かのお役にたてる人生が一番素晴らしいと思います。これからも、その心掛けを忘れないで、¨親切人間¨を貫いて欲しいと心から希望します。この度は、まさかの素晴らしい披露宴を提供してくれて、本当に有難うございました。孫の誕生が楽しみです。

A 新郎、昭如君へ:
 普段、ちゃんとした日常の挨拶が出来ていない君の事がとても気がかりでしたが、誰かが君の事を¨寡黙の人¨と評してくれました。辞書を引いてみると¨寡黙の人¨とは口数は少ないが真面目で誠実な人の事を言うのだそうで安心しました。人間は真面目で誠実で、それに優しさが加われば,それに優る人はいないと思います。
 君は、私の自慢の娘が人生の伴侶に選んだ人物です。私は君のこれからに期待したいのです。¨大器晩成¨という言葉があります。一歩一歩前進してくれる事を願っています。

B 披露宴においで下さった方々へ:
 ご多忙の中、披露宴においで下さり、誠に有難く、心よりお礼を申し上げます。皆様こそは、新郎新婦が最も頼りにしている人生の先輩方であり、親しい友人達であり、気の合うかけがえのない仲間なのだと思います。どうぞこれからも末永くお付き合いして下さる事を心からお願いいたします。

C 新郎のご親族様へ:
 ご縁をいただきました事を感謝申し上げます。
娘の有香は、私達の常識では測りきれない世界観を持った娘のような気がいたします。どうかご理解をいただき、何事につけ、幾分おおらかな目で見てやって下さる事をお願いいたします。

D 新婦の親族の皆様へ:
 沢山のお力添えと、数々のご配慮と、いっぱいの励ましと応援をいただき、感謝感謝です。皆様のおかげで、やっと娘を世の中に旅立たせる事が出来ました。これからもずっと見守ってやってください。よろしくお願いいたします。

E 私の子供(新婦の兄弟)達へ:
 久しぶりに皆んなの家族に会えて、最高に嬉しかったです。皆んながそれぞれに立派に成長してくれている姿を見て、これに優る喜びはありません。皆な離れ離れの生活となりましたが、今日の日の人生の絆を忘れる事なく、兄弟仲良く、楽しく、助け合いの人生を歩んでくれる事を願っています。
 孫達はみんな素晴らしく,キラキラと光り輝いていて、これからが本当に楽しみです。お父さんもお母さんも孫達の成長を楽しみに、まだまだ元気で長生きをしなければと、思いを強くしています。頑張ります!!。

F ご先祖の皆様へ:
 あなた方の子孫は皆な立派に成長してくれています。思えば思う程、ご先祖のお蔭によるところが大きいのです。本当に有難く感謝です。これからもずっと子孫の事を見守っていて下さい。 私は75歳になりましたが、私は100歳まで生きるつもりですので、あと25年経ったら現状報告を兼ねてそちらに参ります。もうしばらく辛抱して待っていて下さい。

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追伸(1)
 娘の結婚披露宴は、親族だけの小さなもので良いのではないかと思っていたのですが、何人かのお勧めもあって、思っていた以上の華やかな披露宴となりました。お蔭で、これまで知らなかった沢山お世界に気付くことが出来ました。そして新しい夢と希望をいただく事も出来ました。
 今回の披露宴にかかわって下さった全ての方々に、心からの感謝とお礼を申し上げて、私のご挨拶とさせていただきます。

追伸(2)
 今日2月15日は家内の66歳の誕生日だそうです。お母さんおめでとう!!。そしていつも有難う!!。
 私は6の数字が一番好きですので、今日はきっと何かいい事がおこるに違いないと思っていたら、先日結婚披露宴を挙げたばかりの娘夫婦から、お母さんの誕生祝に、私達夫婦を¨カニ三昧¨の夕食会に招いてくれるとの連絡が舞い込んだのです。何たるラッキー!!。カニ好きの私達夫婦にとっては最高の幸せです。カニさんには誠に申し訳ないのですが、今日だけはお腹一杯食べさせていただこうと思いますので、私の我が儘をお許しください。今日の日もまた感謝です!!。
                 
  (2012年2月15日の記)
写真上:家族で万歳
写真中:家族全員合唱¨島人の宝¨
写真下:カニ三昧の誕生日祝い


奥田のコラム(NO135) 娘の結婚披露宴(その一)まさかのハプニング ( 2012/02/15 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 本人の為に、本当の年齢は控えてあげようと思うのですが、30歳後半に突入していて、親を心配させていた娘が、やっと結婚に踏み切ってくれて、つい先日(2月5日)、まさかの盛大な披露宴を催してくれました。
 娘の結婚に限った事ではなく,既にそれぞれの家庭を持っている3人の息子たちも含めて、我が家では、子供たちの結婚については100%本人の意思に任せる事にしておりましたので、披露宴についても親は殆どノータッチでした。

 娘と彼とは、数年の 同棲生活延長線上の結婚ですから、私はこの結婚については特別の感情はなく、日常の中のちょっとしたセレモニー程度の気持ちでこの日を迎えておりました。
 ところが当日になってみると、そこには自分がイメージしていた沈着冷静なはずの父親とはまるで違った、誠に情けない弱虫の父親の姿だけが現実のものとなっていたのですから、私にとっては誠に恥ずかしい結婚披露宴となってしまいました。

 結婚披露宴の前夜、わが親族は妹の家に集まり、披露宴前夜祭なるものを計画していて、久々に集まった兄弟、いとこ、孫たち総勢22名による大騒ぎの宴が催されたのでした。
 あまりの賑やかさに、私達老夫婦は一足先にその場を後にさせてもらったのですが、娘が車まで見送りに来て、ふと私に向かって、『お父さん、長い間お世話になりましたが、明日私は彼のところに嫁ぎます。いろいろと本当に有難うございました』と、まさかのところで、まさかの言葉を聞かされてしまったのです。その瞬間から、どうやら私は私でなくなってしまっていたようです。その日の夜は一睡も出来ない一夜を過ごしてしまい、翌日の披露宴に向かったのでした。

 披露宴が始まってからは、自分のイメージ通りの父親役を演じ続けていた筈なのに、司会者から紹介され、いざステージに立った瞬間、昨夜の娘の言葉が思い出され、私は唯々、涙が溢れ出て止まらない父親に変身しておりました。
 私に与えられた役目は、父親としての挨拶と、もう一つは、娘から要望されていた「長持歌」(東北地方の結婚式で古くから謡われている祝い唄)

一番:ハア〜今日は日もよし天気も良いし 結び合わせて
   縁となる
二番:ハア〜蝶よ花よと育てた娘 今日は晴れてのお嫁入り

 を唄う事でしたが、挨拶も唄も、全てが涙・涙・涙の中の出来事となってしまい、殆んどちゃんとした形をなさないままで舞台を降りてしまった印象しか私の記憶には残ってないのです。何という情けない父親であったのだろうかと、今更ながら娘には申し訳ない気持ちで一杯です。

 そんな弱虫の私を救ってくれたのは、まさかの孫達でした。長男孫の拓夢(たくむ・8歳・小2)は、たった一人で舞台に立ち、¨南中ソーラン節¨を熱演して会場を沸かしてくれました。次に二男の孫、尊(たける・7歳・小1)と悠人(はると・3歳)、それに妹孫の心海(ここみ・7歳・小1)も加わり、今度は4人で¨マルマル・モリモリ¨を堂々と、しかも実に可愛らしく舞ってくれました。更には三男のアメリカ孫(Anika、3歳)が、英語とカタコトの日本語でビデオレターを披露してくれて、会場に満開の花を咲かせてくれました。

 私の醜態を、まさかこんなに小さい孫たちがカバーしてくれる事になろうとは夢にも思っていませんでした。時代はすっかり孫たちに主役が移っていることを実感させられ、私にとってはむしろ、この方が感慨深い、強く思い出に残るであろう結婚披露宴でありました。

 *後半は次のコラムにいたします。      
        (2012年2月15日の記)
写真上:有香結婚披露宴にて
写真中:有香キャンドルメモリアル
写真下:有香ウエディングケーキカット


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