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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO129) 第17回 帯津良一先生健康講演会 in 沖縄 ( 2011/11/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

    ー今日から始める養生訓ー(その二)

 今回のコラムは、前ページに書けなかった部分と、日頃の帯津先生のお話の中から、私の心に深く刻まれている、印象深いお話を交えながらの報告とさせていただきます。

(T)食の養生について
 ・私達のいのちは、ものを食べる事によって生かされています。
 その食のすべては大地の恵みであり、大海からの恵みであり、それらの恵みを育くむ大自然、大宇宙からの恵みですから、何をいただくにしても¨いただきます¨の心を忘れては、いい人生にはならないかも知れませんね。

 ・大地、大海に育つものは、旬のものが一番エネルギーが高いのですから、私達は出来るだけ、旬のものを有難く、感謝していただく事が大事です。腹いっぱい食べるのを控えて、バランスを考えながら、好きなものを適量、よく味わいながらいただく事が天・地・人を敬(うやま)う人生につながる事になるのです。

(U)気の養生について
 ・私達のいのちは、よく考えてみると、連綿と続く祖先と、その祖先を育ぐくんだ大自然と、そのまた大自然を育む大宇宙、虚空へとつながっているのです。地球上の全てのものは、宇宙のエネルギー(気)によって存在しているとも考えられます。私達のいのちは、まさに宇宙そのものの一部として、この世に生を授かっているのです。

 ・あまり難しい事は別にしても、私達の存在は、それらの¨気¨と深くかかわっている事だけは理解できます。そして大自然、大宇宙のエネルギーと私達のいのちをつなぐ唯一とも言えるのは呼吸です。呼吸はいのちそのものの証と言う事になるのです。「気=呼吸」と考えてもいいかも知れません。そこで、いい呼吸法の代表格と言われる¨太極拳¨について、私(帯津先生)の考えを申し述べておきます。

(V)太極拳について
  ¨気の養生¨の代表格とされる太極拳は、人の一生をつむぐ動行の舞だと私は思っています。上手下手は別として、一回一回の太極拳を一期一会の舞としてとらえれば、太極拳はまさに太極(虚空)を見据えた、自己表現の舞として素晴らしいものだと思います。人生の後半は太極拳をお勧めします。

(W)気功的人間(人生)について
 ・気功的人間を心掛ける人は、永遠の命を生きる人に違いありません。気功的人間になる為には、日常の中に宇宙観を持っていれば、それが気功的人間です。春夏秋冬の変化に感動を覚え、日々いただく食べ物に手を合わせ、日々の出会いに感謝、感動の
の喜びがあれば、それも大切な気功的人間の条件です。

 ・身体の中の小さな細胞も遺伝子も、道端にいる虫も草も花も、地球も月も、遥か彼方にある星々も、全ては虚空の中に存在している事に気付けば、これこそはまさに最上級の気功的人間(人生)と言う事になるのです。

(X)心の養生について
 ・¨心の養生¨とは、天地を敬い、他者を敬い、自らを戒める心を養うと言う事に他なりません。その心掛けに生きれば、天はおのずとその人に天なる導きを授けて下さるに違いありません。

 ・帯津三敬病院の¨三敬¨とは、老子の言葉である「道は一を生じ,一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずる」というその¨三¨と、佐藤一斎の「養生の訣は一箇の敬に帰す」という¨敬¨の言葉からつけられた名前です。

(Y)老年の養生について
 ・老年を憐れむことはありません。老年になってからでしか解らない深い喜びもあるのです。老年になれば、他を気にすることなく、自己の信ずるがままを生きれば良いのです。老いての恋は最大級の養生でしょう。ピカソもゲーテもハイネマンも、世界の歴史に名を残した偉人は、それぞれに老年の恋にいのちを燃やしております。

 ・老年になれば終着駅をイメージしておく事も大事です。名画が名画であるゆえんは、素晴らしいラストシーンにあるのです。私(帯津先生)は「旅情」、「駅馬車」、「カサブランカ」、「第3の男」、それに最近の「アメリカングラフィティー」などのラストシーンが大好きです。

 ・人生の終着駅がどれだけ素晴らしいものになるかは、ラストシーンをどう描くかにもかかわってくるでしょう。私(帯津先生)は、或る日突然、病院の廊下で看護婦さんの胸の中にばったりと倒れ込むか、あるいは大好きな飲み屋さんの扉を開けた途端にばったりいくかのどちらかでありたいと常々願っております。

(Z)締めの言葉
  帯津三敬病院の玄関には、「今日よりも良い明日を」と書かれた言葉が飾られています。私(奥田)は、今はこの言葉を¨座右の銘¨とさせていただきながら、人様の健康づくりのお役に立ちたいと強く願っております。

  皆さん、いつも有難うございます。帯津先生の次回の講演会は2012年7月1日と決まっております。                      (2011・11・27の記)

写真上:第17回帯津先生講演会・先生「時空」実演
写真中:第17回帯津先生講演会・座談会
写真下:第17回帯津先生講演会・会場風景


奥田のコラム(NO128) 第17回 帯津良一先生健康講演会 in 沖縄             ( 2011/11/27 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

   ー今日から始める養生訓ー(その一)
 
 2011年11月20日、私達21世紀養生塾沖縄支部は、塾頭であられる帯津良一先生をお迎えしての、第17回健康講演会を開催することが出来ました。帯津先生をお迎えしての健康講演会は今年でまる8年、回数も17回となり、年年歳歳、沖縄にも帯津先生のファンは増え続けていて、今回の講演会にも200人余りの方々が参加して下さいました。参加者の方々から多くの喜びの声をいただきましたので、講演会の概要をお伝えしようと思います。

 
(1)300年の泰平の時代が続いた江戸時代は、人々も養生に目覚めた時代と言えるでしょう。その時代に生きた養生の三大巨人と言えば、@貝原益軒、A白隠禅師、B佐藤一斎と言っても過言ではないと思います。

(2)貝原益軒は晩年になって、有名な「養生訓」を書き残し、自らも病弱な体と戦いながらも84歳という長命を生きられたのですから、まさに養生の達人と言えるでしょう。当時の日本の平均寿命は40歳前後ですから、この人の「養生訓」には深く学ばない訳にはいきません。

(3)彼の養生訓は、中でも¨食養生¨に、今日にも通じる素晴らしい言葉を残してくれています。食養生の基本は「好きなものを少し食べることで、決して何でも腹いっぱい食べてはいけません」と忠告しております。

(4)飲酒についても名言を残してくれております。「酒は天からいただいた美禄(ごほうび)であり、程よく飲めば陽気を助け,血気を和らげ、消化を助け、心配事から解放され、ときめきの人生を送る事が出来る」という、誠に有難い言葉です。愛飲者にとって、これ以上のエールはないでしょう。

(5)白隠禅師は丹田呼吸法による¨気の養生¨を説いて85歳の天寿を全うされた気の達人です。彼は、その当時は不治の病として恐れられていた肺結核を患いながらも、自らの呼吸法で病を克服し、85歳を生きたのですから、彼の言動には迫力が感じられます。白隠禅師の教えは、「生きながらにして¨虚空¨と一体になれ」と言うのです。
この時代に虚空を語れる人はなかなかの人物と言わざるを得ませんね。

(6)私(帯津先生)は、毎朝、白隠禅師の残された「延命十句観音経」を唱える事を日課としているのですが、わずか一分余りで終えられて、そして一日を気持ちよくスタートさせてくれるこのお経を大変有難く思っています。それにお経を声に出して唱える事は、即呼吸法なのです。
 *「延命十句観音経」は帯津先生の殆どの本の中に記されております。

(7)佐藤一斎は¨心の養生¨を唱えた儒学者です。この人は88歳の人生を生きているのですから、もう達人の中の達人という他はありません。彼はその後の日本の夜明けの元にもなったと云われる「言志四録」という大書の中に、たくさんの名言を残していますが、
その中でも特に印象深い言葉は、「養生の訣も、亦一箇の敬に帰す」という言葉です。¨養生の秘訣は敬(うやまう)の一字に尽きる¨と言う事でしょう。天・地・人、全てを敬う事が養生につながるという考えには、深く納得させられます。

(8)ホメオパシーの世界的権威として知られ、ギリシャ、エーゲ海の小島に居を構えるジョージ・ビソルカスさんは、「健康の定義」の3大要素は

@ 苦痛からの解放(Freedom from Pain)
A 情念からの解放(Freedom from Passion)
B 利己主義からの解放(Freedom from Egotism)と申しております。

(10)長野県伊那谷に住み、¨日本の老子¨と言われる英文学者の加島祥造さんは、上記のジョージ・ビソルカスさんの言葉に深く耳を傾けた末に、自分なら、FromのところをInに変えたいと言われました。さすがは¨日本の老子¨と言われるゆえんだと感心するのです。

  *後半は次回のNO129に続けます。
                   (2011・11・26日の記)

写真上:第17回帯津先生健康講演会チラシ
写真中:第17回帯津先生健康講演会・帯津先生講演
写真下:第17回帯津先生健康講演会・指導者クラス太極拳


奥田のコラム(NO127) 栗と名古屋と太極拳(その2) ( 2011/11/13 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 この度の旅行を通して得られた中津川と名古屋の印象を記して、思い出の中に残しておこうと思います。

(1) 岐阜県中津川は、大都市名古屋の奥座敷的な位置にあって、秋の紅葉の美しさ、下呂温泉に代表される温泉天国,そして旧中山道沿いに今も残る栗街道の風情には、何とも言えない¨日本の古里の匂い¨のようなものが漂っていて、私には感慨深いものがありました。

(2) 一方、名古屋新空港は実にモダンで大きく、一瞬、外国の空港に降り立ったような錯覚に見舞われた程でした。私達は15年程前に、旧名古屋空港から末息子をアメリカに留学生として旅立たせましたので、その当時とはあまりに違った名古屋空港の変貌ぶりに、これまた感無量の思いが込み上げてきたのでした。

(3) 名古屋の街々は、中心にそびえる名古屋城を囲んで、実に整然と道路が整備されていて、道幅が広く、どの街々も緑に覆われ、大都市でありながら、とても安らぎが感じられる街でした。ちょうど、けや木やイチョウ並木がかすかに色づき、ちょっと強い風が吹くと、ひらひらと枯葉が舞い散る光景が見られ、私は朝の散歩をしながら、ついつい¨枯葉よ、枯葉よ・・¨と歌を口ずさんでおりました。

(4) 名古屋で大城さんご夫婦からご馳走になった数々の名古屋名物が強く印象に残っています。名古屋コーチンの焼き鳥、手羽先、水炊きは絶品でした。ホテルの朝食に出されていた名古屋コーチンの生卵の美味しさは感動的でした。名古屋コーチンの卵の黄身は真っ赤な色をしていて,黄身が大きく盛り上がっているのです。私は生まれて初めて¨卵かけご飯¨のおかわりをしたのです。

(5) 名古屋名物のもう一つは¨ひつまぶし¨と¨うな丼¨でした。家内は¨ひつまぶし¨、私は¨うな丼¨をいただいたのですが、名古屋のうな丼は、かば焼きがご飯の上に二重に乗っかっているのです。そして更に、ご飯の中にもまだうなぎが隠れていたのですから、まさかのびっくりです。美味しさも最高級でした。

(6) 私は今回の名古屋の旅を、静かに振り返りながら、今、人生の不思議のようなものを感じずにはいられません。これまでの人生は、がむしゃらに自分の意思のままに前進したつもりですが、必ずしもそのやり方が、いい結果には至っていなかった反省があるのです。70歳を過ぎた頃からの私は、まさかの出会いや、思いがけない出来事の中で、心に響くものに導かれるままに動かされていく人生に、魅力を覚えるのです。導かれるままの人生には、自然さがあり、気持ち良さがあり、むしろ爽やかな生きがいのようなものさえ感じられるのです。
 
 名古屋とのまさかのご縁は、もしかして静かに前に進んでいく事になるかも知れません。そんな予感がしないでもないのですが、何しろ私は75歳の後期高齢者です。なるようになる人生こそが、これからの私のベストの人生と心得ているのです。

 最後に私の全くのプライベート話を二つさせていただき、旅の回想録といたします。

(T) 私は10年ほど前に、石垣島に住む長男夫婦に石垣島のホテルテナントショップを譲った後は,良きにつけ、悪きにつけ何一つ言及したことはありません。心の中に幾分の心配事があっても黙っているのです。今回の大城さんとの出会いを通して、長男夫婦がしっかりと、いい人との出会いを大事にしてくれている事を確信し,嬉しい限りです。
 人生はいい人との出会いが一番大事だと私は思います。いい人との出会いをする為には、心して自分自身がいい自分でいなければ、いい人に出会えない事を、やっとこの年齢になって気付いているのです。

(U) 今年の11月1日は、私達夫婦の41年目の結婚記念日でしたが、何故か今年は家内も私もすっかり忘れていて、娘と二男の孫から¨おめでとう“の電話をもらい、夫婦で大笑いをしたのです。これがいい事なのか、よくない事なのか解りませんが、私はこれもまた自然の成り行きとと思って、納得しているのです。どうやら家内も同感のようです。今回の名古屋、中津川の旅は、そんな出来事を補って余りある程の喜びをいただけたような気がしております。

 大城さんご夫婦のご好意と、天の導きに手を合わせながら、重ねて感謝を申し上げる次第です。  合掌!!。                                  (2011・11・12日の記)

写真上:中山道の栗街道
写真中:名古屋のうな丼
写真下:名古屋のひつまぶし


奥田のコラム(NO126) 栗と名古屋と太極拳(その一) ( 2011/11/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

11月5,6,7日、私達夫婦はまさかのご縁をいただき、名古屋と栗の名所として知られる岐阜県中津川を訪ねる幸運の旅に恵まれました。不思議なご縁というのは、名古屋に住む大城さんご夫婦との突然の出会いから始まったのです。
大城という姓は、沖縄ではかなりポピュラーな名前ですが、この大城さんのルーツは愛知県だそうです。この大城さんは、ご自分の会社の名前に「ぬちぐすいワンズ」という名称を付けておられるのですから、このご夫婦は相当の沖縄通に違いありません。¨ぬちぐすい¨とは沖縄の方言で¨命の薬¨という意味です。
 私はつい最近知ったのですが、沖縄県石垣島で¨てぃんがーら¨(天の川)という土産品店を経営している長男夫婦の店にも度々おいでいただき、大変ごひいきにして下さっているとの事で、大変有難く感謝しているところです。

 さて、今年の夏の或る日、ある親しい友人からお声をかけられ、「いい人を紹介したいから一緒に食事をしませんか?」とのお誘いをうけ、一緒に食事をしたのがこの大城さんご夫妻でした。お会いしたその瞬間から、まるで旧知のような親しみを感じさせてくださるご夫妻のお人柄に、私はすっかり我を忘れて、一方的におしゃべりをしていた気がするのですが、自分でもはっきりと覚えている事は、

@ 私は栗が大好きで、ずっと昔から、いつか日本一の栗の名所として名高い岐阜県中津川を訪ねてみたい事。
A 今の私は太極拳人生を送っているので、近い将来、5万回目の太極拳を自分のイメージの中にある、美しい滝の前で舞ってみたい事。
 の2点を強調してお伝えしたと思っています。

 上記の2点の私の話に返ってきた大城さんご夫婦の答えは

@ 大城さん:「家内は岐阜県の出身ですから、栗の事ならお任せください。とりあえず岐阜で一番有名な大粒の¨利平栗¨をお送りしましょう。中津川行きはいとも簡単な ことです」。そして、「岐阜県は日本一の滝の名所としても知られているので、奥田さんの5万回目の太極拳は必ず岐阜の大滝の前で映像に残しましょう」。
A 奥さん:「私は以前から太極拳に関心があったのですが、まだやったことはありません。この機に始めたいので、仲間を集めますので是非とも名古屋に一度おいでいただけませんか」でした。

 上記のお二人のお話を聞いて、単細胞人間としては人語に落ちない私がどんな結論を出したかは申すまでもない事です。私はその場で名古屋行きを決めたのでした。
 2011年11月5,6,7日の名古屋の旅はこうして実現する事となったのです。

 名古屋での太極拳教室は、愛知県女性総合センター¨ウイルあいち¨というところでした。やがて80坪ほどもあろうかという大きな部屋で、前面と横が総鏡張りになっていて、それはそれは素晴らしい部屋でした。私の予想ではシニアの方が集まって下さっているのかなーと思っていたのですが、予想とはかなり違って30代〜40代の女性が10人ほど集まってくれておりました。私はすっかり嬉しくなって、幾分興奮気味に、相当頑張って名古屋での記念すべき太極拳教室を無事に終える事が出来ました。

 私は大城さんご夫妻のご厚意に応えるべく、太極拳とは別に、今私が夢中で取り組んでいる、もしかして日本では初公開かも知れない¨大雁気功¨(Wild Goose Quigone)を皆様の前で初めてご披露させていただきました。
 この気功は、中国の崑崙山脈に1000年も伝わる秘伝の気功で、第27代目のヤン・メイジュン(楊 梅君)という先生が世の中に初めて公開したものだそうです。この先生は106歳までお元気でこの気功を舞い続けられたそうです。

 この¨大雁気功¨は今、沖縄で撮影真っ最中の、日本・カナダ共同制作映画「KARAKARA」の中で、その一部が放映される事になっていて、どういうご縁(えにし)かわかりませんが、私がその大雁気功の先生役を演じねばならない事になりました。

 不思議なご縁を感じるこの大雁気功ですが、私はこの気功に出会えた喜びに、今は心身を震わせながら、一生懸命特訓の日々を続けている最中です。
 この気功を身につけると、その先に100歳の自分の姿が見えてくるような気がしてなりません。歓喜です。感謝です。合掌です。
                     (2011年11月11日の記)
写真上:名古屋から送られてきた利平栗
写真中:名古屋教室風景
写真下:名古屋教室の皆さんと記念写真


奥田のコラム(NO125) 第5回世界ウチナンチュー大会 ( 2011/10/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 1990年から始まった世界ウチナンチュー大会は、20年を経て、今年で第5回となりました。今回の大会は、昨年末に完成した沖縄セルラースタジアム(野球場)の誕生もあってか、大々的な催しとなりました。
 アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、スペイン、ポルトガル、ニュージーランド等々世界23か国から5200人ものウチナンチュー系の人達が集ったそうです。

 世界ウチナンチュー大会とは、今から100年以上も前に、沖縄から世界中の新天地に、新しい開拓の夢を抱いて海を渡った先人達や、その子孫達が5年に1度、沖縄に里帰りをして、絆を確かめ合うという大会です。
 今年の大会はインターネットを通して世界中に同時発信されたのだそうですから、世界中に住む沖縄関係者も歓喜の喜びを共有したに違いありません。

 私も第4回大会からこのは大会に参加させてもらっているのですが、それはそれは言葉に言い尽くせない、里帰りの方々の感動感激ぶりが伝わって来るのです。故郷とは遠くにいる人程、かけがえのない深い思い出の聖地なのかも知れません。
1世、2世は勿論の事、もう日本語を話せなくなっている3世、4世の人達も、この時ばかりは大勢沖縄にやってくるのです。

 新聞報道によれば、終戦直後、沖縄が食糧難にあえいでいた頃、ハワイの移住者から550頭の豚が船便で沖縄に送り届けられて、沖縄の飢えを救ったとのことです。
 沖縄の戦後の復興は、もしかして、海外に渡った世界のウチナンチュー達の熱き古里への思いにも支えられていたのかも知れません。ウチナンチューの根底には、脈々と沖縄を思うチムググル(心の底からの思い)と、もう一つ、イチャリバチョーデー(出会った人はみんな兄弟)の魂が流れ続けているに違いありません。

 実は私も40年近く沖縄にご縁をいただいているのですが、末息子が15歳で一人でアメリカ・アラバマ州のバーミングハム市に留学をした際に、その地に住むSEKIKOさんという沖縄出身者の奥さんに、息子が沖縄出身者というただそれだけの理由で、アパート住まいの息子を自分の家に引き取って下さり、3年間も面倒を見て下ったのです。沖縄出身の世界のウチナンチューの心意気は、優しく、強く,そして心底温かいのです。
私は沖縄と世界のウチナンチューに感謝の気持ちを忘れてはならないと思っています。

 第5回世界のウチナンチュー大会が掲げるスローガンは¨世界を翔いた先人達の壮大な気持ちに感謝し、そして更なる発展を目指して¨でした。会場は沖縄の伝統文化や、音楽、舞踊、空手、そしてカチャーシー(喜びを表現する踊り)、エイサー(青年たちの勇壮な踊り)などが網羅され、全員参加の大会となったようです。テレビを見ていた人達も思わず体を乗り出す程の素晴らしい大会となりました。

この大会を通して私の心に伝わってきた参加者の言葉を書き留めておきます。

・世界のウチナンチューは沖縄県民の宝、そして誇りです。 (県知事)

・ウチナーは島やぐなさし(小さい)が、ウチナンチューの 社会やまぎさん(大きい)
 (沖縄は小さい島でも、沖縄の人たちが住む社会は大き  い)。そして沖縄は神の国。
 (ブラジル沖縄県人会会長)

・私は今アルゼンチンに24年住んでいるが、その前はロスに26年住んだ。家族は世界中に散らばっているから、世界中が親戚と思っている。(アルゼンチン1世78歳)

・沖縄は初めて来たが、みんな親戚みたい。(ブラジル2世 34歳)

・イチャリバチョーデー(会った人はみな兄弟)は世界に誇 れる沖縄の)宝だ。(米国2世40歳)

・ウチナーの心はいつでもどこでも一つになれる。(米国1世 80歳)

・ウチナーの文化は、とても新鮮で他のどこの国とも違って いて素晴らしい。(米国3世 32歳)

・親や祖父母から受け継いだチムグクルをいつまでも大切に したい。(兵庫県在住 62歳)

・沖縄は目をみはるばかりの発展ぶりだが,あまり変わり過 ぎて欲しくない気もする。(数人の意見)
 
・沖縄を一度離れてみないと本当の沖縄の良さは解らない。 若者よ、一度沖縄を飛び出せ。(数人の意見)

              2011.10.25日の記
写真上:スタジアムに集まった世界のウチナンチュー    
写真中:再会を祝って

写真下:チムグクル

写真提供:琉球新報社より

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