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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奧田のコラム(NO114)  ポール・森口先生講演会 「老いの恵」 ( 2011/06/23 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私(筆者)はあと数日で75歳になります。年齢の事はあまり気にならなかったのですが、いつの間にか、いやおうなしにW後期高齢者WとかW新老人Wとか、「老い」に関する出来事が今の私に新しい人生の気付きをさせてくれているように思えてなりません。

 つい先日もです。運転免許証の切り替えで教習所を訪れた時のことです。アトランダムに映し出される映像を見せられながら、次々に「これは何ですか?」と聞かれるのです。
 その映像たるや、3歳になれば間違いなく、誰でも答えられるであろうと思える物ばかり。犬や馬などの動物、スイカやパイナップルなど果物、椅子や掃除機などの家具、ズボンや帽子など16個の映像でしたが、私はその時一瞬、何処かの幼稚園に迷い込んだのかと思う程の錯角と、ある種のショックを受けたのでした。これは記憶力のテストである事を後で知ったのですが、いづれにしても後期高齢者への扱い方としては、ちょっと考えさせられるものがありました。
 私は16問中12問の記憶が甦ったのですが、私の隣で一緒にこのテストを受けた方は、3問しか記憶が浮かんでこなくて、頭を抱えておりました。その現実を見るにつけ、やはり75歳は後期高齢者なのかもしれないと自覚しながらも、ちょっと情けない思いもさせられた一日でありました。

 今回のコラムの本題は、そんな情けない高齢者の話では勿論無いのです。実に感動的な誇り高き高齢者のお話です。

 コラムNO111にも書きましたが、私は先日、今年100歳にして矍鑠(かくしゃく)たる人生を生きておられる日野原重明先生の講演を聞いて、日野原先生が提唱しておられる「新老人の会」沖縄支部に入会させていただきました。そしてその沖縄支部の今年第1回例会に出席したのですが、その日のゲスト講演者であられたポール・森口先生のお話に感銘を受けたのです。
 
 ポール・森口先生は現在85歳で、今もなお、南リオグランデ・カトリック大学で老年学の教鞭をとっておられるバリバリの教授です。ローマ教皇パウロ6世の医学顧問もされておられたという経歴の持ち主です。日本老年医学会の評議員を永がーく勤められ、勲三等瑞宝章受勲者でもあられます。
 ポール・森口先生のお話を急いで手元の用紙にメモしたのですが、充分なメモが取れたとは思われません。今、その時のメモを見て、お話の要点を思い出しながら、今日のコラムでお伝えしようと思います。

 〈心豊かに歳をとる条件〉  ポール・森口先生のお話し                                              (2011年6月18日)

@相手の長所・利点を見て、短所・欠点には目をつむる事。
A自立心を高める事。自分に出来る事はなるだけ自分でやる 事。
B過去の人生に満足する事。そして現状を素直に受け入れ、 今を元気で生きていることにも満足する事。

C歳をとると衰えてくるのは当たり前の事だから、衰えなが らも身心の健康を保つ努力を怠らない事。

D慰められるよりも慰める事。
E理解されるよりも理解する事。
F愛される事よりも愛する事。(この言葉は900年も前に生き られた聖フランシスが残してくださった真理です)

G支えられ、話し合える家族や友人の存在に感謝する事。そ して愛情を注ぐ対象の存在に気づく事です。

H生きがいと、日々の生活の喜びを見い出す習慣を身につけ る事。
I他人に優しく、自分に厳しく。(歳をとるとこの逆になり がちです)
J死を迎える心の準備をする事。キリスト様は、魂は永遠に 生きると申しておられます。
 目には見えない世界があるのです。死とは目に見えない永 遠の世界に行くことです。死を恐れることは何もないので す。
K右手を挙げてください。左の手を挙げてください。そして 胸に強く手を当ててください。両手が挙がり、心臓の鼓動 が感じられたら、それこそは幸せの真っ只中に生きている 証拠です。
L人間のメカニズムは医学では解るのですが、そのメカニズ ムが、どこからどうしてきているのかについては医学では 何も解らないのです。それはまさに神の世界です。感謝に 生きることは神への祈りです。感謝の人生を生きることこ そが、豊かな人生を生きることになるのです。             (2011年6月23日の記)

*PS
 沖縄県以外のところで、一番多くのウチナンチュー(沖縄出身者)が住んでいるところはブラジルです。ルーツはおなじ沖縄でありながら、ブラジルに移住した沖縄出身者の寿命は、沖縄に比べてなんと17歳も短命なのです。短命の一番の原因は食の変化にあって、ブラジル移民者の肉食量は沖縄の3倍、そして野菜の摂取量はその逆の三分の一というデーターが出ております。
 人間の寿命は遺伝ではなくて、生活習慣と本人の心掛けによるものなのです。心して気にかけるべきだと思います。
(ポール・森口先生のお話より)

写真上:ポール・森口先生講演会パンフレット
写真中:後日、ブラジルから贈られて来た先生の本


奧田のコラム(NO113) 稲葉 耶季先生講演会「今を生きる」      ( 2011/06/05 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

    今を生きる16か条 (2011・5・28日講演)

@川の流れのように、自然の流れに沿って生きる。
人間は自然の中の存在だから、自然に反する事をすれば必ず障害が生じる。いやいやの人生も病気を引き起こす。どうしてもやりたい事は神の命令と思い、どうしてもやりたくない事は神の禁止と思えばよいのです。

Aかすかな息吹も感じられる感性を養う。
自分の中に生じる、かすかなサインを見逃さない敏感さが大切。自分の気持ちに従うのが正解で、それらは天のサインに違いありません。

B自分も他者も同じ息吹の中で生きていることに気付く。
他者を傷つけない心掛けが大切。悪口を言ったら言われた人は傷つく。人を殴ったら自分は痛くないが相手は痛いのです。

C興味のあることに集中して生きる。
夢中で何かをする時は強いエネルギーが生じる。集中力のパワーは偉大。
 気が散漫な人には大きなことは成しえない。アインシュタインもエジソンも学校では劣等生であった。
D不安や恐怖を持たずに生きる。
不安や恐怖を持っていると同等のエネルギーを引き寄せてしまい、それが現実化してしまう恐れがある。

E喜びを持って生きる。
身の回りに起こるあらゆる事は、自分にとってベストなのだという思いを持っていれば全てが喜びとなる。
 一見悪い事に思えても、それが自分にとって必要だから起きたと考えれば前進できる。

F感謝を持って生きる。
私たちが地球上に生きているのは、まさに奇跡です。何億もの精子の一つと卵子が結合して
あなたが誕生しているのです。、地上に生を授かった事に感謝すべきです。

G風や太陽や月や星の語りかけを感じて生きる。
私達人間はほんの小さな存在であっても、大宇宙の真っ只中に存在しているのです。宇宙の中に存在する理由があって
生かされているのですから、狭い家庭や地域や職場だけに閉じこもるのではなく、無限大の宇宙にも心をつないで生きるべきです。

H木や花と仲良く語り合いながら生きる。
地上の木や草花も人間と同じ生命体として地球上に存在していて、人間に限りない癒しの波動をもたらしてくれています。むやみに伐採したり、除草剤などで殺してはいけません。

I人が喜ぶ事をして生きる。
人の喜びや笑顔には、周りの人達を幸せにするエネルギーがあります。
憎しみや怒りは多くの毒気を出して他者も自分も不幸となります。人を喜ばせて生きる人は結果的には良いエネルギーが自分に返ってくる事となり、健康長寿につながるのです。日本には「情けは人の為ならず」と言う名言があります。

J毎日、心静かに過ごす時間を持って生活する。
瞑想を習慣づけて、自分の心の声にも天の声にも耳を傾ける事の大切さに気付く事。

K物は出来るだけ減して、さわやかな環境の中で生きる。
シンプル イズ ベスト!!。真理はシンプルの中にあり!!。

L天然の衣類を身につけ、化学物質に汚されてない食を少量食べ、簡素な木の家に住む。
 病気の原因の殆どは、上記の条件から、かけ離れた習慣によるものと考えて間違いありません。

Mゴミは出さないで生きる。
ゴミの多さは無駄な生活の現われ。自然のものを控えめに、感謝して使い切る事。昔のチベッットやインディアンの生活
に学ぶ点は多いのです。

Nお金や物や高い地位が自分を幸せにするという考えは持たない。
金、富、地位、権力への執着心はは諸悪の根源ともなります。その極限は戦争であり、戦争は人殺しと略奪以外
の何物でもありません。人間の本来の幸せは、争いのない、喜びと安らぎの日々の中にあるのです。

O他者の生き方を肯定して生きる。
全ての人の生き方を肯定して、自分は他者に迷惑をかけることなく、自分自身の道をしっかりと歩むのがベストの生き方です。
  
*ところどころ文章を縮めたり、私の理解しやすい表現にさせていただきました事をお詫びいたします。
(2011・6・5の記)

写真:講演中の稲葉耶季(やすえ)先生


奧田のコラム(NO112) 「人生塾」 in OKINAWA Now ( 2011/06/03 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私は沖縄に住んで40年にもなるのですが、つい近年から、この沖縄に「人生塾」という、まさに人生を語り合おうという素晴らしい教育塾が誕生している事を知りました。しかもその人生塾の主宰者たるや、今私の最も身近におられる玉城康雄先生である事を知るにつけ、私にとりましてはこのうえもない喜びであり、光栄であり、誇りであるのです。

 玉城康雄先生は、沖縄国際大学の名誉教授で、ご専門は英文学と聞きます。 私と玉城先生のご縁は、今から3年程前に、沖縄県宮古島における21世紀養生塾沖縄宮古島大会(帯津 良一先生健康講演会)の時からです。わざわざご夫妻で宮古島までおいで下さり、それ以来、帯津 良一先生を塾頭と仰ぐ「21世紀養生塾沖縄」の熱心な会員となってくださっているのです。21世紀養生塾沖縄(天遊会)は、気功・太極拳を通して、宇宙の摂理と一体となった健康人生を目指している人達の研修会です。

 さて、玉城先生の人生塾とは、今から3年前に誕生していて、玉城先生の教え子を中心に,2か月に1回の割合で玉城先生のご自宅に集まり、人生を語り合われるのだそうです。時にはゲスト講師をお招きすることもあって、今回のゲスト講師は、元那覇地方裁判所判事、現琉球大学法学部教授、名護簡易裁判所判事の公職にあられる稲葉耶季(やすえ)先生でした。(2011・5・28日開催)
 私はその稲葉先生とは以前に不思議な出会いをしていて、どうしても一度は、しっかりと稲葉先生の事を知っておきたいと思っておりましたので、今回の人生塾には、外部者ながら是非とも参加させて頂きたいとお願いしたのでした。

 私と稲葉先生との不思議な出会いとは、今から4〜5年も前の事ですが、沖縄の聖地といわれる「久高島」行きの待合室だったと記憶しております。その頃、私は久高島での気功教室を頼まれていて、何回か足を運んでいたのでした。稻葉先生も久高島にちょっとしたW庵Wのようなものを持たれていて、時々そこで瞑想をされるという事でした。その時、稲葉先生は「私は気功、太極拳に、とても関心があるのです」と申されたのでした。裁判所とか判事とかにかかわる人が、どうして気功、太極拳と結びつくのであろうかと、私はその時以来ずっと疑問に思っていたのでした。

 この度の「人生塾」で私のその疑問は瞬時にして消え去ったのです。稲葉先生はお話の冒頭で、『私の両親はクリスチャンでしたが、私はキリスト教にも、仏教にも何教にも染まっておりません。私の魂の目指すところはW宇宙の根源Wにあります。私は宇宙の根源の声に耳を傾けていたいのです』、と申されたのです。その言葉に私は感動を覚えずにはいられませんでした。何故なら、この言葉こそはまさに私が気功、太極拳の中に求める世界だからです。

 稲葉先生は子供の頃から大自然の中にいるのが大好きだったようです。一冊の本で沖縄に深い思いを持つようになり、「ビルマの竪琴」という映画を見て、沖縄戦で亡くなられた方々の霊を弔う為に沖縄に転勤を希望されたそうです。またある時、ヒマラヤの少女の目を見た瞬間から、ヒマラヤに学校を作ろうと思い立ち、今は二つの稲葉学校が出来ているそうです。

 稲葉先生は誰もが仰天する程の超自然流の生活を実行しておられる方のようです。
家の中はちょっとした洗濯機以外は、クーラーも冷蔵庫もテレビもなく、着るものは白の木綿着が3着だけ。食事は自然の物を少量。徹底した自然主義を貫いておられる方のようです。
 私は稲葉先生のお話を聞きながら、気功・太極拳にかかわる者の一人として、沢山の反省に気付かされておりました。本当に素晴らしいお話を聞かせていただいたと感謝しております。この会を主催してくださった玉城先生にも心からの感謝です。            (2011・6・3の記)

*いま、私の手元に、当日稲葉先生がお話された講演内容を要約した一枚の用紙がありますので、次回のコラムに書かせて頂こうと思います。
写真上:人生塾塾長玉城先生と講師の稲葉先生
写真下:当日の人生塾風景


奧田のコラム(NO111) 後期高齢者と新老人の会 ( 2011/05/20 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

(1)後期高齢者について
 私はあと一ヶ月と少々で75歳になります。年齢の事は何歳になろうが、いつもW青春まっただ中Wの心意気で生きているつもりなので、あまり気にする事もなく生きておりましたが、つい先日(5月12日)、ある公の機関から「あなたは、次の誕生日からW後期高齢者Wです」という通知が舞い込んできたのです。

 どうしてW後期高齢者Wというレッテルを貼られる事になるのか、一生懸命勉強してみると、どうやらこの国では65歳になると誰もが皆〜んないっせいにW高齢者Wと言うレッテルが貼られ、75歳になると今度はこともあろうにわざわざW後期高齢者Wという、まるで夢も希望も奪い取られてしまいそうな名称がつけられてしまう事になっているのです。一体誰がこんな無粋な、情けない言葉を考え付いたのでしょうかね。

 後期高齢者の先輩に尋ねてみると、この制度は「75歳はもう充分過ぎるほどの人生を生きた老人だから、そろそろ天国への旅立ちをしてもらわないと国は困るのです」という国の本音がこの言葉の裏に見え隠れするように思えてならないと云うのです。

 この国が後期高齢者という制度をつくったのには、それなりの理由があることもすこし理解できるのです。その一番の理由は、この国が一年間に使う医療費はやがて40兆円に達するところまで来ていて、その大部分が高齢者と後期高齢者に使われているらしいのです。めったなことでは病院にはいかない私などには、ちょっと合点がいかないところもあるのです。早い時期から自分自身の健康管理に気を配っていた人達にとっては、そうではない生き方をして病気になり、医療費の税金負担増の原因になっている現実には、やはり納得が行かない部分もあるのではないでしょうか?

 先日の東日本大震災の復興にかかる費用が20兆円というのですから、その倍の40兆円は、まさに国家の土台を揺るがす天文学的な数字といえるのでしょう。
 一時期、病院の待合室は老人の談話室みたいになり、医療の現場も患者として受け入れ、たくさんの薬を出して、病院経営を支えている現実もあるやに聞くのですが・・・・・。
 この国の医療制度も、やがて崩壊の危機にあるといわれています。何はともあれ自分自身の健康は自分自身で守るという心構えをもって、病気になりにくい体作りを目指そうではありませんか。

 人間、この世に生まれた以上、誰もが必ず高齢者となり、老人になっていくのです。
その人生の通過地点を国に迷惑をかけることなく、夢多き人生を目指せる生涯でありたいものです。
現在のこの国の後期高齢者制度に私は残念ながら夢も希望も湧いてこないのです。

(2)新老人の会について
 5月12日(後期高齢者の通知が届いた日)奇しくも同じこの日に、W新老人の会Wから、「新老人おめでとうございます。夢と希望に満ちた人生に再出発しようではありませんか」という会員証が送られてきたのです。
 コラム(NO109)にも書いたばかりですが、W新老人の会Wとは、今年100歳にして矍鑠(かくしゃく)と大活躍されておられる日野原重明先生が提案されておられる会のことです。日野原先生の持論は、人生は75歳からが、最も人生の価値が問われる時で、元気で長生きをすればする程、人生の価値は高まると言われるのです。日野原先生の提言を私なりに要約すると次の3点になると心得ております。
@ 元気で長生きをして、その分世の中のお役に立てる人間 になる事。
A 人生は生涯、夢と希望を持ち続け、それを実行するこ  と。
B 愛(思いやりの心)多き人生を生き、慈愛に満ちた人生 を生きること。

 75歳からの人生を、ただ老後を消化するだけのW後期高齢者Wとして生きるだけでは、なんともさびしすぎる人生ではありませんか。
新老人の心意気で75歳からを大いなるWときめきの人生Wにしたいものであります。  (2011・5・20の記)


奧田のコラム(NO110) 「100の物語二題」in沖縄 ( 2011/05/05 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 


その(2) 志の輔らくご沖縄100回記念公演

 2011年4月30日、落語家の立川志の輔さんが、沖縄公演100回という金字塔を現実のものとされました。場所は沖縄国立劇場大ホール、昼夜二回の公演。いずれも満席のお客様を前にしての熱演に、会場は志の輔ワールドの感動に酔いしれた至福のひと時でした。私もその時、その場所にいられた幸せに、思わず手を合わせた程の感銘を受けました。

 立川志の輔さんが初めて沖縄の舞台に立たれたのは、今から25年も前の1986年。当時、那覇市国際通りの地下にあった「沖縄ジャンジャン」という小劇場でした。志の輔さんを沖縄に連れてこられたのは永六輔さんです。永六輔さんは、沖縄ジャンジャン設立の時からずっとそのジャンジャンを応援されて、沖縄にたくさんの日本の芸能、文化を紹介してくださった沖縄の恩人である事は、今更私が申し上げるまでもないことです。

 当時の沖縄では、落語の事を知る人は皆無に等しい状況でした。それが25年間も途切れることなく、この度の100回公演にまで至ったこの偉業に、私は特別の感慨を覚えるのです。これはひとえに志の輔さんの落語家としての使命感と、志の輔さんの魅力にとりつかれた、志の輔さんをとりまく応援団の方々の熱意の結集によるものと、私は心から敬意を評するばかりです。
志の輔公演は宮古島を除く、ほぼ全島での公演をされておられるのだそうですが、どうかその宮古島でも、いつか落語の真髄をご披露していただき、沖縄全島を制覇する不滅の歴史を刻んで欲しいものです。

 前置きが長くなりましたが、当日の公演のお話をさせていただきます。
「第一部」は、東日本大震災へのお見舞いから始まりました。観客の誰もが、心の中で両手を合わせてお祈りを捧げているであろうと思えているうちに、いつの間にか気がついてみると、誰もが爆笑の世界に引きずり込まれていたのです。後でわかったのですが、その笑い話の題名は、「メルシーひなまつり」という志の輔さんオリジナルの新作落語でした。
 日本を訪問していたフランスの要人の家族が、帰国の際、空港に向かう途中、町の横丁に立ち寄り、人形づくりの店を訪ねた時から始まったハプニングの物語です。結論を言っては面白くないので止めますが、まさに抱腹絶倒の一時間でした。

「第二部」は恒例の古典落語です。今回は忠臣蔵の五段の物語でした。江戸時代の歌舞伎の世界にあっては家柄が絶対の条件で、一般人が歌舞伎の世界で出世する事などあり得ようもないのに、渡し舟で拾われた一人の孤児が、不思議な運命を辿りながら「中村仲道」という芸名をもらい、遂には「名代」という歌舞伎界の最高位に昇りつめ、「栄屋」という屋号までもらい、忠臣蔵五段の主人公、小野定九郎の役を迫真の演技で迫り、後世までその名を残す名優となっていく有様を、志の輔さんが落語で演じたのです。私はまるで歌舞伎のシーンを見る思いで、志の輔さんを見つめておりました。息をするのも忘れる程の世界に引き込まれた感動の1時間20分でした。

 25年間の志の輔落語の中でも最高に感銘深い100回記念の公演でした。
立川志の輔さんは、今や日本一の落語家だと私は思いました。志の輔さんと25年のご縁を頂く私達家族は本当に幸せ者と思い感謝しております。志の輔さんを紹介してくださった永六輔さんにもあらためて感謝です。
 これからも体に気をつけられて、いつの日か100歳の落語を披露してくださることを生涯の楽しみとさせていただきます。本当に有難うございました。(2011・5・4の記)

写真上: 志の輔らくご沖縄100回記念公演パンフレット
写真中: 100回公演の打ち上げで乾杯する志の輔さん
写真下: 25年の記念写真

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