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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


(No.65)ANIKA(亜日花)が満一歳になりました ( 2009/07/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

ANIKAとは、私の末息子とアメリカ人の嫁の間に生まれた孫娘の事です。ANIKAの事はコラムNo.44、No.51にも書きましたが、何しろ我が家系に初めて誕生した堂々たる国際派(アメリカ、日本、イタリア、ドイツの血が流れている)ですので、何もかも全てが珍しく注目の的なのです。そのANIKAが先月の末に、めでたく満一歳を迎えてくれました。

遠くアメリカ・オハイオ州に住んでいるため、そう簡単に会うわけにもいかないのですが、子煩悩の末息子は、そんな私達のことを思ってくれての事か、あるいは我が子の可愛さを見せたい一心からか,ANIKAの姿を、毎週一回、金曜の朝9時にインターネットで発信してくるのです。毎週毎週の成長の姿が何とも可愛いらしくて、私達夫婦にとっては、間違いなく一週間で一番の喜びと、ときめきの瞬間になっているのです。ANIKAの成長の姿を見るにつけ、私は何としても100歳までは生きねばならない!!と心に誓って、日々の健康作りに励んでいます。  

今回のコラムはANIKAの満一歳のお祝いを込めて、家内(ANIKAの日本ばあちゃん)からのANIKAへの思いを書いてもらう事にいたします。

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ANIKAへの思い

昨年の6月に無事に生まれた孫に、早く会いたくて、8月の末に主人を残して、一人アメリカに飛んでいきました。二ヶ月になった孫は、飛行場に両親と一緒に出迎えてくれました。早速抱き上げると、少しぐずっていましたが、すぐににっこりと笑ってくれました。なんとも不思議な、幸せ感と感動を覚えたのを想いだします。他の二人の息子にも、それぞれ男の子がいて、可愛いいのですが、女の子は、また違った愛らしさがあるのですね。

その後、約二ヶ月間子守をしたのですが、アメリカと日本の子育ての違いに少々戸惑いましたが、郷に入れば郷に・・・そばで見守っておりました。わが子の時には、無我夢中でゆっくり子供と接した事が無かったことに気付き、反省もしたものです。孫はどんな様子も、しぐさも、新鮮で感動するものなのですね。その孫が一歳の誕生日を迎えられ、病気も、怪我も無く、アメリカの両親・家族に暖かく見守られ、成長している姿に心から感謝です。
しかし、最近のANIKAを見ていると、まるでモンスターのように、活発に、自由奔放に動き回っているのを見るにつけ、今度会うとき迄には、体力をつけておかないと、大変な事になるな・・・と日々実感しています。

幸いな事に、今は主人が永年続けている気功や太極拳の仲間にも参加させてもらえるようになり、最近からは水泳(プール歩き)とスロージョギングにも取り組みを始め、孫との再会への準備に備えているのです。孫たちのお陰で、本当に有難い健康づくりが出来ているような気がしています。
ANIKAちゃん、また会える日を楽しみにしています。

                (沖縄のばぁ〜ばより)



(No.64)驚きの講演会、二題 ( 2009/07/07 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

―103歳のf地(しょうち)三郎さんと作家五木寛之さんの健康法―

2009年6月は、とても印象深いお二人のお話を聞く機会に恵まれました。お一人は、今年103歳になられるf地三郎さん(しいのみ学園理事長)と、もう一人は作家の五木寛之さんの健康講演です。私の心に深く残った事をお伝えしたいと思います。

(T)f地三郎さんの「長生きすれば良いことがある」(2009.6.13)

f地さんは1908年のお生まれで今年103歳だそうです。立ち姿といい、歩く姿といい、お話しぶりといい、どこから拝見しても、私の目には、80歳ぐらいの青年としか映りませんでした。矍鑠(かくしゃく)として、気品に溢れたお姿に頭が下がる程の感銘を受けるばかりでした。「どうして103歳までそんなに元気でいられるのですか」の質問に、次のようなお答えをされたのを忘れる事が出来ません。

@ 口に入れたものは30回以上噛んで食べる事

 f地さんはとても病弱な幼年期を送られたそうです。心配されたお母さんが、その三郎少年にずっと言い聞かせ続けた事は、「口に入れたものは必ず30回以上噛んで食べなさい」という事だったそうです。三郎少年は母の言いつけを守り、103歳の今でも習慣として続けておられるそうです。噛む事は唾液を多くし、その唾液が健康体をつくるそうです。また噛む事は、脳を若く保つ為の大きな要因である事も最近の科学で実証されているそうです。

A 棒体操を日課としている

 f地さんが理事長をされている「しいのみ学園」は、身障者の子供たちの施設で、施設の子供達が殆ど這う事しかできない姿を観ていて、子供達に小さな棒を与える事を思いついたそうです。棒を手にした子供達は信じられない程元気な体に変身していくのだそうです。這っていた子供は立ち上がり、立ち上がった子供は歩き出し、歩ける子供は走るようになっていくそうです。
この棒を寝たきりの老人に与えても同じような現象が視られ、今やf地流の棒体操は世界中に拡りを見せているとの事です。聖路加病院理事長の日野原先生が提唱されておられる「新老人の会」(75歳以上の人)の正規の健康体操にも採り入れられるとの事です。

B 90歳からでも脳は若返る

 f地さんは、今や名実共に世界に冠たる健康長寿者として認められ、世界中から講演の依頼が舞い込んできているそうです。90歳の頃から、訪ねる国の言葉を勉強され、その国の言葉で講演されるとの事、103歳の今も毎朝、NHK外国語講座に学ぶ事を日課としておられるそうです。ちなみに103歳のf地さんの体で最も若さが保たれているのは"脳"だそうで、いまだに30歳の若さが保たれているそうです。

@よく噛むこと、A体を動かす事、B脳を使う事
どうやら103歳の青年の秘訣はこの辺に有るような気がいたします。

(U)五木寛之さんの「いまを生きる」(2009.6.16)

 五木寛之さんは長年「うつ」に悩まされ続けた人生だったそうです。相当の短命を覚悟していたのに、何故か75歳の現在を生きているのは、もしかして、その「うつ」のお陰かもしれないという、興味深いお話をされました。私の記憶に残る要点をお伝えします。

@今の時代は、これまでの歴史に類を見ない「うつの時代」のような気がしております。11年前から自殺者が連続して30,000人を越えている事、親が子を、子が親を殺す行為が日常の出来事となっている事など、想像を絶する時代になっているのは、まさに「うつの時代」を象徴する出来事かもしれません。

A自分は「うつ」に悩まされ続けた人生でしたが、その原因は気圧の変化にあるものと思い続けておりました。「うつ」という言葉の本質を知るようになってから、人生にいく分の光明を見るようになっているのです。「うつ」とは樹林がうっそうと茂った様子を意味する言葉で、それは樹林のエネルギーがいっぱいに詰まった姿でもあるのです。「うつ」とはそのいっぱいに詰まってエネルギーが外に出られない状況である事に気付いたのです。

B「うつ」の症状として最も顕著な現象は、"ため息"であろうかと思います。自分は大きなため息をつくことが多かったのですが、ため息とは実は体の中に溜まったエネルギーを吐き出す行為なのです。息を大きく吐ける人は元気だそうですから、まさに"ため息"は健康のもとである事に気付いたのです。

Cおよそ2,500年前にこの世を生きられたお釈迦様は「アーナ・パーナ・サチ」という言葉を残されて80歳の長寿を全うされました。(2,500年前の80歳はとてつもない長命なのです)。アーナは吐く息のこと、パーナとは吸う息のこと、サチとは心を込めた深〜い呼吸という事、つまり、心を込めて深い呼吸をすれば元気になれるということです。

D15世紀に生きられ、浄土真宗中興の祖と言われる蓮如という方は「初心に帰ること」の大切さを説かれた方ですが、何百回の練功を重ねようが、常に初心の心で取り組む事が大事なのです。

私は五木さんのこのお話を聞きながら「直心(じきしん)是道場」という言葉を思い浮かべておりました。この言葉は維摩経(ゆいまきょう)の経典に出てくる言葉であることを恩師の帯津良一先生から教わりましたが、人生の道場とは、その場、その時、その瞬間にあって、今こそが最も大事な人生の真っ只中にある事を説かれたものと理解しております。素直な心で初心を生きることの大切さを、改めて心に刻んだ貴重な講演会二題でありました。感謝です。      


(No.63)「生きる勇気、死ぬ元気」(平凡社) ( 2009/06/22 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2009年5月30日、上記の本が我が家のポストの中に入っておりました。発送元は平凡社となっておりましたが、本の中には「著者謹呈」の栞が挟まっておりましたので、これは間違いなく、著者のお一人である帯津良一先生からのご指示によるものと思われます。

 この本は、平凡社から、一昨年、昨年と続けて出版され、ベストセラーとなつた「健康問答」の@、Aに続く第B作に当たるものだそうです。著者はいずれも、日本を代表する作家の五木寛之さんと、名医として大勢の人から慕われる帯津良一先生との健康対話集で、実に興味深い対話がなされているのです。これらの本にご縁をつながれた方々は、きつと健康人生への大きなヒントを見つけられたに違いありません。私もたくさんの気付きをいただき、お二人の先生と出版社には心からの感謝をしているところです。

* 「健康問答」@には、今話題となっている様々な健康法について、お二人の本音が語られています。私の目に映るお二人の先生は、人間の範疇をはるかに越えた哲学者のような人物として映っているのですが、そんなお二人がどのような健康人生を考え、実践されておられるかについては、誠に興味深いものがあるのです。この本の内容は、水や牛乳やお茶やお酒の事から始まって、気になるところのメタボやコレステロールや活性酸素の事、更にはがん治療や目新しい言葉のホメオパシーや寿命に至るまで、たくさんの事が語られていて、 "目からウロコ"の感を覚えずにいられません。

* 「健康問答」Aには、古今東西のあらゆる医療や、民間療法の知恵が満載されています。今の私が一番疑間に思う事は、果たして西洋医学は万能の医療であろうか(?)という事です。3000年以上もの歴史の上に培われた東洋医学には、大いなる魅力を覚えずに入られません。病気は、心と体とが深くかかわりあつている事にも気付かされます。
 今私の頭に浮かんでくる医療の知恵としては、西洋医学の合理性と東洋医学の総合性と、民間療法の心のぬくもりに学ぶ事が大事ではないかという事です。願わくば、いずれの医療であつても、それらの根底に"生命の尊厳"が最重視される、思いやりの医療であって欲しいと願わずにはいられません。

* 「生きる勇気、死ぬ元気」、この本は「生と死」について語られた本です。この本にも出てくる「メメント・モリ」とは、ラテン語で「死を想う」という事だそうです。死を想うとは本当の人生を知る事だそうです。私の年齢になりますと(まもなく73歳)、いや応無しに、様々な死と向き合わねばならなくなります。とても辛い事ですが、それらを乗り越えてゆくところが人生というものかも知れません。

 私は「生と死」について辛い日を迎えねばならない時は、決まって帯津先生から学んだ言葉を思い出して、慰められ、励まされ、勇気をいただくのです。その言葉とは、『私達の生命は、宇宙からいただいたかけがえのない生命ですが、いずれはまた、その宇宙に返さねばならないのが大宇宙の摂理です。生も死も、全ては宇宙という大きな循環の中にあつて、私達の地球人生も、まさにその中のひとこまなのです。地球人生を全うした後の死はそれ程悲しむべきものではないのかも知れません』。
 いつの日か、私も勇気を持って、心安らかに、母なる宇宙の故郷に帰って行きたいものであります。私が日々に心掛けている"養生人生"(元気に努めること)は、まさにその日の為のものかも知れません。 合掌です。


(No.62)今日より良い明日を ( 2009/06/10 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 この言葉に出会えた時から、私は毎日が一層楽しく思える様になっています。日々に何があろうと、今日の日の全ての事は希望の明日に繋がる出来事と思えば良いのですから、余計な悩みは無用、私のような単細胞の人間にとっては、これほど単純明解にして有難い養生法はないのです。

この言葉に出会えたのは、今年の4月、新しくなった帯津三敬病院を訪ねたときの事で、新病院の玄関にこの言葉は掲げられていたのです。その時の事は、コラムのNo.59に書き留めましたが、実は後日、この事に関する思いがけない嬉しい出来事に出合える事になったのですから、「今日より良い明日を」の言葉を私は益々好きになっているのです

新病院訪問の旅を終えて一ヶ月程が過ぎた日の事です。私の目の前に突然一冊の本が出現したのです。本のタイトルは「今日よりも、良い明日」。まさかと思い手にしてみると、紛れもなく著者は帯津良一先生です。実は帯津先生大好き人間の妹夫婦がどこかでこの本を入手していたのです。これはこれはと思い、すぐさま私も本屋さんに注文したのですが、到着まで一ヶ月ほどかかるとの事、それではと思い、今度は帯津新病院の里見秘書さんに電話を入れてみたところ、何と3日後には帯津先生からの同書と同文の色紙が送られてきたのですから、私の喜びは一気に頂点に達してしまいました。まさに感動です!! そしてこの感動は、またまた次なる感動の世界に私を導いてくれそうな気配になっているのです。

話が突然横道にそれる事をお詫びします。今年の6月末には私は73歳になるのですが、何故かこれまでの人生に6つの歌が生まれているのです。どうやら歌というものはある種の感動の先に自然の生まれてくるものかも知れません。6つの歌の内の3つは1996年、60歳の時に生まれたものです。

50歳の時から始めた私のマラソン人生は、60歳のときがピークで、神様はマラソンに一生懸命の私に、この年、とてつもない3つのご褒美を授けて下さいました。@つは、この年に開かれたアトランタオリンピックの聖火ランナー日本代表の一人に選ばれた事。Aつ目は、1996年4月のボストンマラソン100回記念大会に、「沖縄地球を走る会」のメンバーと一緒に出場が許された事。Bつ目は、この年の早春、沖縄最南端の波照間島から北海道宗谷岬までの3,000キロを桜の開花に沿って走るという、まさかの好機に恵まれた事です。この日本縦断走には3ヶ月を要したのですが、お陰でこの一年間の私は、感無量の感動劇の中に身を置かせていただき、おまけに3つの感動歌まで誕生させてもらえたのですから、これ以上の思い出はありません。このとき生まれた3つの歌は@「聖火の道」、A「ボストンマラソン」、B「日本列島桜駅伝3,000キロ」です。残りの3曲は、はるかな昔のW恋歌Wの様なものですから、この辺で終わりにします。

さて、何故、今、昔々の歌物語なのかという事ですが、実は冒頭の「今日より良い明日を」という言葉に出会えた喜びが、久々に私の心にW歌心Wを芽生えさせてくれているのです。若き日にしか生まれない歌もあれば、年齢を重ねてしか生まれない歌もあるのかもしれません。今はメロディーらしきものが、どんどん溢れてくるのですが、肝心の言葉(歌詞)がなかなか思うように浮かばなくて苦戦中です。でもそのうち何とかなりそうな気もして、心は今もときめき続けているのです。

「今日より良い明日を」、私は今この言葉が一番大好きです。この言葉を心に刻み付けていれば、毎日がとても幸せに思えていられるからです。帯津先生と帯津新病院に心からの感謝、感謝、感謝です。


(No.61)「養生という生き方」(JTBパブリッシング出版) ( 2009/05/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

「養生という生き方」は本の題名で、著者は私が人生の師と仰ぐ帯津良一先生です。コラムNo.59にもちょっと書き添えましたが、この本は今年の4月、私達沖縄養生塾のメンバー24名が、埼玉県川越市に新しく誕生した帯津三敬病院を見学訪問した事へのお礼にと言って、帯津先生から、わざわざ訪問者全員に送り届けて下さった物です。

この本は,JTB(日本交通公社)の旅の雑誌「ノジュール」に、2年間にわたって掲載された記事をまとめたものだそうです。「ノジュール」とは"団塊の世代"を意味する言葉で、激動の20世紀を懸命に生きられた、まさに団塊の世代の人達に贈る帯津先生からのメッセージが込められているのです。私は団塊の世代よりは少し上に位置するのですが、この本に深く共感し、学ぶ事ばかりですので、本の紹介を兼ねて、少し自分の気持ちを述べてみようと思います。

さて、私にとって20世紀とは一体どんな時代であったのか考えてみるのです。今から思えば、子供の頃の生活はとても貧しかったような気がするのですが、頭に浮かんでくるのは楽しい事ばかりです。(「故郷」という歌の情景が浮かんできます)。しかし、今になって大きく振り返ってみると、20世紀という時代は、誰もが次第に物の豊かさだけを求めて、拝金主義という欲望の世界に目の色を変えていった時代であったような気がしてなりません。なりふりかまわない人間の欲望が、いつしか戦争という悲しみの極に人を追いやり、更には地球規模の自然破壊をもたらし、果ては、人類滅亡の警鐘を鳴らす学者もいる程ですから、欲望と競争に明け暮れる人間社会の恐ろしさを痛感せずにはいられません。

ホリスティック医療の立場に身を置かれる帯津先生は、この本の中で、「21世紀は競争の原理から脱却して、何としても"生命(いのち)の時代"であらねばならない」と提唱されておられます。生命の時代とは養生に徹して生きるという事です。養生に徹して生きるということは、生命を正しく養い、生命のエネルギーを溢れさせる事であり、生命のエネルギーを溢れさせる生き方とは、私達の住むこの地球を誕生させた大宇宙(虚空)の大摂理のままに共生するということであると、私は理解するに至っております。この地球は人間の所有物であるはずが無いのです。人間こそが大宇宙の摂理の中で生まれた地球という星に誕生を許され生かされているのでしょうから・・・。

最後に帯津先生の提唱される"養生の要諦"を紹介させていただきます。
(以下、「養生という生き方」からの抜粋)

*養生とは生命の場を正しく養い、生命のエネルギーを溢れさす事です。生きるということは哀しくて寂しい事でもあるのです。哀しみの大地にどっしりと腰を据え、その大地に希望の樹木を何本も育てていくのです。小さな希望、大きな希望、何でも良いのです。希望の花が咲けば心がときめくのです。この心のときめきこそが養生の最も素晴らしいエネルギーとなるのです。

*私達は虚空から来た旅人です。生命を正しく養って、生老病死をしっかり生ききり、また虚空へ旅立っていくのです。それこそが養生です。


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