21世紀養生塾沖縄
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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


(No.60)新・帯津病院訪問の旅に寄せられた感想文 ( 2009/05/13 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 帯津病院訪問の旅を終え、参加された方々から、11名の感想文が寄せられましたので紹介させていただきます。スペースの都合で、ごく一部ずつの抜粋文となりました事をお断りいたします。

(T)心ときめく春爛漫の旅で、まさに命のエネルギーが高まるものを感じました。「いい場」に身を置く事で人と人とがつながり、素晴らしい感謝、感激、感動の体験でした。病院の玄関に掲げられた「今日よりは良い明日へ」に向かって、日々のエネルギーを高め、大いなる希望を持って生きていきたいものです。
          (宮古島養生塾 下地真喜子)

(U)今回の旅は感謝と感動の旅でした。帯津新病院の見学、帯津先生の講話、伊佐沼の満開の桜、夕食交流会と全てが素晴らしく感動に酔いしれてしまいました。高崎養生塾では、帯津先生やメンバー達と一緒に、トーガニアヤグ(宮古島民謡)で太極拳を舞うことが出来て、身震いする程心のときめく貴重な体験でした。
          (宮古島養生塾 知念節子)

(V)満開の桜並木の宿泊施設、エスポアールでの懇親会は、間近でお会いした帯津先生や養生塾の皆さん方に、たくさんのエネルギーをいただけた一日でした。
          (宮古島養生塾 M・K)

(W)旅の行程中、ずーっと"いい場"、"いい気"が流れ、幸せと感動いっぱいの日々でした。今後は気功を通じて、どんな(辛い、嫌な)時でも、余裕のある心と体を養っていく事が、これからの私の目標です。
          (沖縄養生塾東京在住 小川美穂子)

(X)宿泊先での懇親会には、超多忙の帯津先生をはじめ、病院の幹部の方々まで参加してくださり、いかに帯津病院が、沖縄の21世紀養生塾を大切にして下さっているかを身に沁みて感じ、心強く思いました。群馬養生塾の岡庭さんご夫妻、幹部の方々にも大変お世話になり、感謝しています。
          (沖縄養生塾 比嘉實勝)

(Y)帯津先生の書物を読んできて、是非一度は訪れてみたいと思っていた病院訪問が実現できて嬉しかった。帯津先生を交えての懇親会で盛り上がり、急遽、12月末に帯津先生の沖縄行きが即決となったのは快挙であり、12月に向けて、ときめきの日々が続きそうだ。
          (沖縄養生塾 高良一實)

(Z)桜満開、笑いで口も全開!! エネルギー高まる楽しい、楽しい帯津病院との懇親パーティーでした。沖縄養生塾と出会い、素敵な方々と知り合え、埼玉まで一緒に行けた事が、とても偶然とは思えず、不思議でたまりません。私にとっては、この人達と共にいる場所が生命場で、心も体も元気になっている事を感じるツアーでした。
          (沖縄養生塾 平田貴子)

([)最近、人の縁の深さを感じている。太極拳を通して知り合った養生塾の仲間たちが、あんなに明るいのに、それぞれに抱えきれないほどの病気と闘っている事を知った。また、帯津先生の講演を聞いて、仲間たちが帯津先生を慕う事が理解できた。今回の旅は、満開の桜も、散る桜も満喫したが、それにも増して、人の優しさとご縁を感慨する旅であったと思う。
          (沖縄養生塾 大城敦子)

(\)まさに、命の深みに繋がる病院のたたずまいでした。川越の田園風景残る真ん中、朝夕、澄んだ空気の中で富士山も遠望できる場。帯津先生の病む者に対する祈りにも似た姿を見た思いがした。伊香保温泉への行程で、それこそ満開の、命みなぎるソメイヨシノの大木の群れに出会えたこと、一期一会、わが生涯の思い出となった。高崎養生塾のご配慮に感激!! 夕食交流会は実に楽しかった。また、日程の詰まっている天下の帯津先生をして、「12月の沖縄忘年会に参加します」と即答させた沖縄養生塾のパワーに感動!!
          (沖縄養生塾 玉城康雄・秀子)

(])まさか、帯津三敬病院を訪ねる機会が来ようとは。まさか、念願の桜吹雪の中を、一人散策する機会が来ようとは。まさか、かいつぶりの鳴き声を聞き、その潜水時間の長さに驚く機会が来ようとは。まさか、旅館の鍵を持ち帰り、岡庭さんにご面倒をかけ、ついでに、おそばと見事な枝垂桜(しだれざくら)の下の記念写真をご一緒する機会が来ようとは。これだから人生はやめられません。大満足。尚、奧田泰子さんの添乗員ぶりに感激しました。
          (沖縄養生塾 山田晶子)

*添乗員(お世話係)をしてくれた奧田泰子さんには、山田晶子さん、他の方々からもねぎらいのお言葉を頂き恐縮しております。皆さん、本当に有難うございました。またいつか、何処かにいい旅をしましょうね。


(No.59)新・帯津病院訪問と、高崎・伊香保温泉の旅 ( 2009/04/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

21世紀養生塾沖縄は、21年4月10日から2泊3日の予定で上記の旅を計画。参加者24名は、それぞれに大きな想い出を残して、無事の旅を終えることが出来ました。今日はその報告をさせていただきます。

(T)新・帯津三敬病院を訪問
私達21世紀養生塾沖縄の塾頭であられる帯津良一先生の新しい病院が完成し、沖縄養生塾生一行は、そのお祝いと見学を兼ねて新病院を訪れたのです。一行24名は、往路も帰路も自由行動で、4月10日の午後3時半を期して病院ロビーに集合というスケジュールを組みました。参加者は沖縄本島から15名、宮古島から5名、東京在住の沖縄養生塾関係者3名という構成となりました。

新帯津三敬病院のベッド数は99床で全室が個室。ベッド数の半分は無料個室という破格の内容です。病院に入ってすぐの印象は、まるで一流のホテルを思わせるような、広々とした、清潔感溢れる気持ち良さです。関根事務長さんのご案内で全館を案内していただきましたが、屋上からは富士山も見えるいい場所にあり、病院全体が、まるで"癒しと養生の場"という印象でした。帯津先生が日頃仰っている、あるべき病院の理想像を垣間見たような気が致しました。

私個人としては、正面玄関を入ってすぐのところに掲げられていた"今日よりは良い明日を"という基本理念が真っ先に目に留まり、ひとしを感慨深いものがありました。
 私は間もなく73歳になるのですが、70歳の時、"一日生きることは一歩前進することでありたい"という言葉に出会い、以来、この言葉を座右の銘としているのです。この言葉は日本人初のノーベル物理学者となられた湯川秀樹博士のお言葉のようですが、帯津新病院の玄関に、これと同じような主旨の言葉を発見できて、感無量の思いに浸った事でした。

(U)帯津新病院関係者との懇親会
 私達一行が宿泊したところは、川越市伊佐沼にあるエスポアール伊佐沼というホテルでした。おりしも桜が満開で、ホテルの前面に広がる満開の桜に感激。風が吹く度に、いっせいに舞い散る桜吹雪にまた感激、地面に積もった桜の絨毯にも感激。私達一行は、この桜の絨毯の上で、気功・太極拳を舞うことが出来たのですから、これはもう一生忘れられない想い出になるのかも知れません。
 
 さて懇親会は、この満開の桜に囲まれたエスポアールの和室。沖縄組24名に加えて、帯津新病院側からは、帯津名誉院長、山田総婦長、関根事務長、大野東洋医科主任などの関係者が多数ご参加くださり、身に余る光栄でした。
宴たけなわ、遠く宮古島から参加した5人の女性達によるクイチャー(宮古島民謡)が始まり、出席者全員が立ち上がって、この踊りの渦中に巻き込まれてしまったのですから、びっくり仰天のサプライズです。更にサプライズの頂点は、帯津先生のスケジュールが、今年たったの一日しか空いていないという12月20日に、その場にいた全員が沖縄に再集結しようという事になってしまったのですから、びっくり仰天を通り越して、"帯津新病院は大丈夫なのか???"と一瞬心配になってしまったのでした。この時のハプニングが夢の中の出来事なのか、現実のものとなるか、それは2009年12月20日を待つ他はないのです。

(V)高崎から伊香保温泉へ
 一夜明けた4月11日は、川越のホテルから大宮駅で新幹線に乗り継ぎ、高崎駅まで30分。それから市内循環バス乗り換えて、高崎総合福祉センターに移動。そこで開催された高崎養生塾主催の講演会に出席。帯津先生の講演「人間まるごと養生、体・心・命」を聞く事が出来ました。
高崎養生塾のリーダーは、沖縄にも度々足を運んでくださる岡庭和子さんです。岡庭さんには今回の高崎でもすっかりお世話になりました。高崎から伊香保温泉までの長距離移動を必要とする私たちの為に、4台の車を用意して下さり、しかも途中、途中、満開の桜の名所を選びながらの移動をして下さったのですから感謝感激でした。運転を引き受けて下さった4名のドライバーさん達の何と親切なお人柄。私達は高崎が大好きになってしまいました。夏になったら、必ずやこの方々に、沖縄のマンゴーをお送りして、お礼に代えようではないかと、その場で誓い合ったのでした。

(W)伊香保温泉の想い出
 伊香保温泉は、草津温泉と並ぶ群馬県の温泉の名所だそうです。前述の岡庭さんのお世話で、私達は100年の歴史を誇る温泉旅館「かのうや」に宿泊する事ができました。沖縄一行はこの宿のお湯にどっぷりと浸(つ)かり、温泉の旅情に浸(ひた)られた事と思います。夕食会では全員が一言ずつ、喜びいっぱいの気持ちを言葉にしていただけました。
 温泉での一夜が明けて、朝食の後は、それぞれに三々五々と帰路に着きましたが、後日、全員が無事に帰られている事を知り、心から嬉しく感謝でした。

*後日、帯津先生から、参加者全員に、帯津先生のサイン入り最新書「養生という生き方」が送られてきて、大喜びの想い出がまた一つ増える事となりました。

写真上段:帯津三敬病院にて 参加者一行
写真中段:高崎養生塾の太極拳実演と懇親会
写真下段:桜の季節(中央は岡庭和子さん)・
     帯津先生の最新書「養生という生き方」



(No.58)石飛博光さんと毎日現代書沖縄巡回展 ( 2009/04/07 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎日書道展第60回記念巡回展が沖縄でも開催され、大勢の書道愛好家が足を運ばれたようです。オープンの3月24日は,WBCの日本・韓国優勝決定戦と重なる事となり、もしかして人が集まらないのでは・・・と心配したのですが、全くの心配外で、大勢の人たちがテープカットの前に集まっておられました。
 実は私もそのテープカットの前に並んだ一人でしたが、私がWBCのテレビ観戦よりも今回の毎日書道展を優先させたのには特別の訳があっての事でした。今回の沖縄巡回展の主客としてお見えになられた石飛(いしとび)博光(はっこう)さんのテープカットの姿を、どうしてもこの目で見ておきたかったからです。

石飛博光さんの事は、コラムNo.31でも書かせていただきましたが、もう30年ほども前に永六輔さんから紹介していただき、それ以来のご縁が続いているのです。初めてお会いした頃の石飛さんは、"新進気鋭の書家"と聞かされていたのですが、30年近くを経た今では、日本を代表する書家の地位を築かれ、その肩書きたるや、日展会員、全日本書道連盟常務理事、毎日書道会理事、日本詩文書作家協会副理事長、創玄書道会理事長,NHK文化センター講師等々と、目を見張るばかりの地位に昇りつめておられる事を知るにつけ、心からの拍手喝采を送らずにはいられません。

 私は書の事は何も解からないのですが、石飛博光さんの書かれる「近代詩書」といわれる自由自在の書には、たまらない魅力を感じてしまうのです。石飛さんの自由奔放な書の裏側には、とことん書の基本を習得され尽くされたものがあっての事なのでしょうが、とにかく楽しく、美しく、優しく、力強く、気品に満ちた書の魅力に溢れているのです。
 石飛さんの書は、石飛さんのお人柄そのものから生まれ出ているものと私は信じて疑いません。あれ程の実力と、あれ程の名声と、あれ程の地位におられるのに、まるで威張らず、まるで奢(おご)らず、まるで普通の人のような親しさを覚えるのですから、もしかして、もうとっくに人間の粋を卒業されておられるのかもしれません。

2009年3月24日、毎日現代書展沖縄巡回展オープンの日の夕食をご一緒させていただく好運に恵まれました。その席で、ふと、ほろ酔い気分で石飛先生の口から出た言葉が、私の脳裏に焼きついて離れません。その言葉とは、「自分は、もし100歳まで生きられたら、とことん枯れた書を書いてみたいですね。」「枯れた書というのは、よぼよぼの字というのではなくて、いらないものを全部そぎ落として、素朴で、大らかで、色香の漂う書と言うことです。」という言葉でした。
 実は私も100歳まで元気に生きることを宣言しておりますので、これからまだ30年余り、石飛先生とのご縁を更に深く続けさせていただき、石飛博光さんの100歳の書を何としても見てみたいと思うのであります。
 
 石飛さんは沖縄とのご縁も深いのです。2000年の沖縄サミットの際、当時のクリントン大統領が宿泊された万座ビーチホテルのお部屋には、石飛先生の書が飾られたのです。その事がご縁で"沖縄美ら島大使"にもなられているのです。

 さて、石飛先生の一番の趣味は、どうやらゴルフなのかも知れません。ゴルフの腕前も実に見事なものですが、とにかく石飛先生のゴルフは楽しいのです。まるで子供のようにゴルフを楽しまれるのですから、同伴者も童心に帰ってゴルフが楽しめるのです。石飛先生の沖縄でのゴルフは那覇カントリーが多いようですが、那覇カントリーのコンペルームには石飛先生の「根深葉茂」という見事な書が飾られておりますので、書に関心の或る方は是非ご覧になられては如何でしょうか。

 さてさて、もし神様が、今の私に「何か夢を叶えさせてあげるから、何でも申してみなさい」と言って下さるとしたら、私はすかさず、沖縄の何処かに、小さな「石飛博光・夢の美術館をつくってみたい」と答えます。全くの夢物語にしても、こんなに楽しい夢の物語はありません。これからは毎月、宝くじを買い続けてみることに致しましょう。

写真上段:沖縄の石飛ファンに囲まれて
写真中段:那覇カントリーと夕食会
写真下段:石飛先生の最新の書




(No.57)DVD「沖縄発養生気功」の誕生 ( 2009/03/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 13年程前、家内の突然の事故入院がきっかけで、私は気功人生とのご縁をいただく事となりました。瀕死の重症で3ヶ月間の入院を余儀なくされましたが、何とか無事に、元気を取り戻せた要因の1つに、その病院で出合った"気功のお陰"があったのかも知れません。その後の当の本人は、気功の恩恵など、どこか遠くに忘れ去っている感がありますが、付き添い役を務めた私の方は、それ以来、気功人生とのご縁を益々深くするばかりの今日に至っております。

病院で出合った気功「香(しゃん)功(ごん)」と、その後、私が最も感銘を受けた気功「内養(ないよう)功(こう)」を日々続けている内に、いつしか仲間が増え、気功教室が生まれ、生徒さん達から"気功の映像が欲しい"との要望をいただく事になり、この度、急遽DVDに収める事に致しました。とても充分なものとは思えませんが、とりあえず気功教室のテキストとしてお配りした次第です。お陰様で、どうやら生徒さん達のお役に立てているようですので、今回のコラムに紹介させていただきます。

(T)香(しゃん)功(ごん)(初級・中級)

 この気功の正式な名称は「中国芳香気功」で、練功を重ねていく内に、芳(かぐわ)しい香りを感じられるようになることから「香功」と呼ばれるようになったとのことです。この気功は、中国の禅宗系のお坊さんたちの間で1000年以上も、秘伝として伝わる健康術との事です。これまで秘伝とされていたものを1988年に一般公開して以来、今や世界有数の人気気功として、大きな拡がりを見せているのです。
この気功の特徴は、とにかくやさしくて、誰にでも出来て、しかも効果が抜群であるばかりか、立っても座っても寝ていても出来る気軽さにあるようです。この気功を最後に引き継がれているお坊さんの田(でん)瑞生(ずいしょう)さんの言葉によれば、「香功を修得することによって、全身が丹田(たんでん)のようになり、目覚しい効果を見ることになる」とのこと、いかに自信に溢れた健康法であるかが察せられるというものです。ちなみに日本では、1993年にNHK教育テレビで紹介され大きな話題となりました。

(U)内養(ないよう)功(こう)

 今から10年程前、私はこの「内養功」という気功に出合い、言葉にならない程の大きな感銘を受けました。とても難しいと思いましたが、この気功には、どんなに難しくても、何としてもやり遂げてみたいと思わせる魅力に満ち溢れるものがありました。いつかこの気功を修得して、一人大自然の真っただ中に身を置いて舞える日の来ることを、夢に描き続けておりました。その魅力に取り付かれて、とうとうこの気功の発祥の地である中国河北省にまで、足を運んだ日のことが、懐かしく思い出されているところです。

 さて、この「内養功」は、中国の気功の父と呼ばれる劉貴珍(りゅうきちん)という方が、中国全土に伝わる沢山の気功の中から、それらの粋を結集させて創作された気功と聞いております。中国河北省に北戴河(ほくたいが)気功康復医院という有名な医療気功の聖地があり、内養功はこの地で生まれた医療気功の最高峰と評されているものです。劉貴珍先生亡き後は、愛娘の劉亜非先生が中心となり、世界中に内養功を発信されておられます。今やこの地には、ヨーロッパを中心に世界中からこの内養功を習う為に大勢の人たちが集まってきております。
 日本では、沖縄ご出身の仲里誠毅先生がこの気功を日本に紹介され、普及活動に取り組んでおられます。いつの日か、「香功」や「内養功」が、この沖縄の地にも拡がり、名実共に沖縄が世界一の無病長寿の島になって欲しいものと念ずるばかりです。

写真上:香功を演ずる人達
写真中:内養功のポーズ
写真下:DVD「沖縄発養生気功」のカバー


(No.56)呼吸はとても大事な健康法です ( 2009/03/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今、私の手元にある一番新しい呼吸に関する本は、作家の五木寛之さんと禅僧兼作家として著名な玄侑宗久さんとの対話集「息の発見」という本です。実はこれまでにも、呼吸に関する本は出来るだけたくさん読んできたつもりですが、理解力の乏しい私に、果たしてどれだけ呼吸法の神髄がつかめているかについては自信は有りません。ただ私が信頼したい一番のポイントは、言動一致で、どれだけ本物の健康長寿を生きておられる人物であるかに学びたいと思っている事です。

 歴史上の記録に残る最も長寿人生を生きられ、世界中にその範を示された人物は、2500年も前に80歳を生きられたお釈迦様ではないでしょうか。2500年前の80歳は今の時代に置き換えると150歳も200歳も生きられる程の長寿になるのだそうで、まさにお釈迦様こそは世界一の長寿者であろうと私は考えるのです。
 そのお釈迦様が残された健康長寿への助言は、"吐く息に心を込めなさい"と言う言葉と"動きを伴う呼吸はそうでない呼吸とは比べ物にならない素晴らしい深い呼吸なのです"というその言葉を私は私の呼吸法のバイブルとして捉えているのです。ヨーガ、気功、太極拳など東洋の健康術は、まさにその言葉を行動に示したものと言えるのでしょう。

 日本における長寿者としてその歴史に残る人物は、江戸時代に生きた臨済宗の自隠禅師とその先生といわれる白幽仙人で、白幽仙人は何と180歳から240歳の年齢を生きたらしいと言われているのですから、この話はうわさであるとしても、私には何とも嬉しい話です。この二人の健康法こそは、まさに日本における健康長寿法の元祖といえる「丹田呼吸法Jなのです。

 現在、私たちにも知り得る日本の著名な長寿者は清水寺の大西良慶和上の108歳、永平寺の宮崎エキ保禅氏の108歳を筆頭に、私が一番好きな松原泰道さんは今年101歳の現役ばりばりのお坊さんであります。
 長寿職の断トツのNo.1はお坊さんだそうですが、その理由は毎日のお経と言う呼吸法にあるのだそうです。お経はまさに吐く息そのもので、お釈迦様が残された"吐く息に心を込めなさい"と言う言葉と言動が完全に一致するのです。お経の出来ない私たちは、とりあえず歌を歌う事が健康長寿への一番の近道なのかも知れませんね。

 「息の発見」と言う上記の対話集の中で、五木寛之さんは『息を吸うときには、息を吸っている自分に気付こう。歓びを感じながら息をしよう。心を感じつつ、心を静めて呼吸しよう。心を安定させて、心を自由に解き放つように息をしよう。そして無常を感じつつ、生の消滅を感じ、自己を手放す事を意識しつつ呼吸しよう』と申しておられます。一方の玄侑宗久さんは『お経を唱えるのが一番の呼吸法です。「長生き」は「長息」であることを、つくづく実感した』と申しておられます。

 最後に、この12年間、気功人生を通して学んだ私の呼吸法の心得を簡単に記させていただきます。誰かの、何かのお役に立つことになればこれに優る喜びはありません。

(1)吐く息に心を込めて、深く静かに、長〜く吐くように心掛けています。(お釈迦様からの学びです)。
(2)吐く息は宇宙に向かって吐き、吸う息は宇宙のエネルギーを全身にいただきます。(吐く息にも、吸う息にも感謝を込めて、ありがとう、いただきますと心の声を伝えながら)
  ( )は私自身の勝手な付け加え。(帯津良一先生から学んだ呼吸法です)。
(3)健康呼吸の基本は丹田腹式呼吸。ヨーガの呼吸法は腹から胸まで吸い上げる。気功の呼吸法は胸から更に頭のてつぺんにまで吸い上げてから、静かに全身に吐いていくのです。(天津中医薬大学客員教授 飯野節夫先生著「元気呼吸法」よりの学び)。

* 気功人生と出会ってからこの12年余り、私は本当に病気らしい病気が無いのです。どんなに風邪が流行っていても、風邪が私をよけてくれているような気がしてなりません。吐く息に心を込めた深く静かな呼吸は、本当に有難い健康法と思い、手を合わせる日々であります。


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