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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


(bT0)佐藤如風さんの「風の便り」と楊名時太極拳 ( 2008/12/10 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

「風の便り」という小冊子が送られてきました。送って下さったのは仙台にお住まいの佐藤如風(じょふう)さんです。実は佐藤さんとは、まだ一度もお目にかかったことも無いのですが、私が尊敬してやまない帯津良一先生からの紹介という事で、ご縁をいただいているのです。
お目にかかっていないばかりか、年齢も、お仕事なども全く知らないのですが、1〜2度の短い電話のお声と、この小冊子「風の便り」を通して、私は佐藤如風さんには、ただならぬご縁のようなものが感じられて仕方ないのです。

 「風の便り」を通して解ることは、佐藤さんは随分と早い時期から(約30年以上も前からと推察します)、私のもう一人の恩師である故楊名時先生(楊名時太極拳創始者)に心酔されていて、その後、楊名時太極拳(日本健康太極拳協会)の仙台支部長を経て、現在は東北ブロックの理事という立場におられるようです。私は太極拳の組織には殆ど関心が無いのですが、“楊名時先生と楊名時太極拳が好きでたまらない!!”という点では、どうやら佐藤如風さんとは、100パーセントの一致を見るような気がしているのです。

 佐藤如風の“如風(じょふう)”という名前は本名ではなく、仏像彫刻家としてのお名前で、佐藤さんにはもう一つ、禅の修行家としての“公胤(こういん)”というお名前もあり、更には陶芸家としての造詣も深く、ご自分の窯には楊名時先生からいただいた“大極窯”という名前がつけられているとのことです。

 さて、「風の便り」には、それはそれは素晴らしい内容の文章が、とても解りやすい言葉で表現されていて、人生の意味や、人生の歓びなどを納得して学ぶ事が出来て、本当に有難いのです。一人でも多くの方に読んでいただきたいと思っております。

 「風の便り」(第2巻)の中に、佐藤さんは次のように書かれています。「私はこれまで様々な事に手を出したり、試みたりしてきましたが、結局、最後まで残ったのは“座禅”と“楊名時太極拳”でした」と。これは、どれ程、楊名時先生とその太極拳に心酔されていたかという事、そして、楊名時太極拳が“動く禅”であると言われる由縁に他ならないと思うのです。

 今年72歳になる私も、遅ればせながらも、楊名時先生と楊名時太極拳に出会えた歓びに浸る今日このごろであります。人は生涯、目標のある人生に生きられることは幸せな人生と思います。私の今の願いは、“100歳の太極拳を舞ってみたい”と思う事であります。

佐藤如風さんとのご縁に心から感謝いたします。


(bS9)第5回「琉球の祭典」と太極拳「ミルクムナリ」【10/25,26開催】 ( 2008/11/26 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 「琉球の祭典」は、「Ryukyu民族の祭典」という名称で親しまれていたものです。今回の第5回大会から、「琉球の祭典」という名称に変わり、県をあげての一大イベントに拡がりを見せてきているのです。

 この祭典には、遠くは北海道の"よさこいソーラン節"、新潟県の"佐渡おけさ"、高知県の"よさこい鳴子踊り"など、大挙して出演される大掛かりな催しですが、何と言ってもメインの出し物は、"ミルクムナリ"という音楽に乗って、数百人の若者たちが舞い踊る、勇壮闊達な"エイサー踊り"であろうかと思われます。
 この踊りに触れた人は、誰もがその魅力に虜になってしまうと言われるのですが、勇壮闊達なエイサー踊りもさることながら、"ミルクムナリ"という音楽の素晴らしさに、その秘密が宿っているのではないかという気がしているのです。何故なら、この音楽を聴くだけで私の体は熱くなってしまうからです。

 さて、今年の7月頃であったと記憶しております。ミルクムナリの作曲者である日出克さん(コラムNO17に記載)から、「今年の秋の祭典では、ミルクムナリによる太極拳を舞台にかけてみたい・・・」とのお話があり、私は気軽な気持ちで「ハイ、解りました」と答えていたように思います。
 祭典の前日、リハーサル会場に足を運んでみて、あまりの会場の大きさにびっくりしてしまいました。ある旅行会社が誘致する県外のお客さん、県内のお客様、併せて、2500〜3000人程の座席が用意されていたのです。こんなに大勢の人前に立つのかと思うと、足がすくむ思いでしたが、もう後に戻る事など許されるはずも無く、私は何度も天を仰ぎ、覚悟を決めてステージに立つ他はありませんでした。

 その時のステージの様子は次のようなものでした。
およそ300人の若者が、ステージを取り囲み、比較的ゆっくりとしたミルクムナリの音楽にのせて、太極拳風の群舞を舞うのです。私はそのステージに一人で立ち、私の思うがままの太極拳を舞えばそれでよかったのです。日出克さんの生演奏をバックに、300人の若者たちとの競演に何の違和感もなく、まるで夢の中の出来事のような思いで、私は2日間のステージを無事に舞い終える事ができました。

 時が過ぎて、今、頭の中には二つの思い出が記憶に残っております。
一つは、ミルクムナリによる太極拳など、これまで誰一人として考えた事の無い発想であり、この時のステージが世界初の事であろうと思える満足感です。もう一つは、当日、一緒のステージに立たれた伝説のミュージシャンと言われるハードロックのジョージ紫さんが、わざわざ私の楽屋を訪ねてくださり、「素晴らしい太極拳でした、自分も太極拳をやってみたくなりました」と言って、何度も強い握手を繰り返してくださったその時の感激です。
 ハードロックという「動」の世界と、太極拳という「静」の世界がどこで、どう結びつくのか、私にはその結論が見つかってはいないのですが、いずれにしても、2008年の琉球の祭典は、私に思いもかけない大きな思い出と、喜びと、人生の収穫をプレゼントして下さったのです。
感謝の気持ちがこみ上げてくるばかりです。

※写真下
右 ジョージ紫さん
左 城間健市さん

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