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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO209) 帯津良一著「まあるく生きる」−これが元気の秘訣ですー ( 2014/08/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 知る人ぞ知る著名な帯津良一先生(帯津三敬病院名誉院長・日本ホリスティック医学協会会長)は1936年のお生まれですから今年で78歳になられます。実は私も先生と同い年で、帯津先生は私の人生の恩師でもありますので、帯津先生の生き様や、あの信じられない程の¨元気さ¨には特別の関心を持たないではいられません。

 帯津先生の最新書『まあるく生きる』(海竜社出版)の中には、帯津先生の一日の様子が詳しく紹介されておりますので、ちょっと紹介してみようと思います。それにしてもあまりの超人振りに本当にびっくりしてしまいます。

(1) 帯津先生の起床は毎日2時30分。3時には迎えのタクシーに乗車して、3時30分には病院に入られるそうです。何故そんなに早く出勤されるのか、その答えは実に単純明解なのです。
帯津先生が一日の中で最も楽しみにしていて、常に¨最後の晩餐¨と心得ておられる夕方6時30分からの晩酌タイムまでに、一日の全ての仕事を終える為には、逆算するとどうしてもそうならざるを得ないのだそうです。

(2) 病院に入った3時30分から5時30分までの約2時間は、前日までに届いている手紙の返事や、全国津々浦々から届くホメオパシーのレメディーに関する返事、そして原稿書きや校正もこの時間の一部に充てておられるそうです。
 5時30分になると病院内の気功道場に立ち、一人で静かに太極拳を舞われます。この時の太極拳はまさに一期一会の太極拳と心得、上手下手などは一切眼中になく、只ひたすら無心になり、あるがままに虚空と一体になれるひとときの様です。
 太極拳を終えた後、自動販売機で買って飲む¨プルプルみかんジュレ¨は格別の美味しさだそうです。

(3) 太極拳の後は長年にわたってとっている朝日新聞と、大好きな日刊スポーツの星占いに目を通して、一段落したところでその日の仕事の段取りにかかり、朝食は病院内のレストランでコーヒーと緑茶をいただき、本来の病院の仕事に取り掛かるのです。

(4) 帯津先生は川越市にある帯津三敬病院の他にも、週1〜2日は池袋にある帯津三敬クリニックにも行かれ、診察の他にも、週一回の太極拳と、ご自身の体験から生み出された新呼吸法「時空」の実技指導にも当てておられます。

(5) 土曜・日曜は殆ど講演依頼で全国を飛び歩いておられます。年間の講演回数はおよそ100回位になるそうです。講演依頼の無いたまの日曜日は、大好きな神田の本屋さんに行き、新しい本との出会いに、ときめきの時間を過ごされておられるようです。

(6) 病院内の夕食を終えた後は家に帰り、9時にはお風呂に入り(烏の行水)、その後は昔の名画のDVDを30分ほど見て10時には眠りにつかれて一日が終わるのです。
就寝時間は4時間程ですが、熟睡するので4時間の睡眠で充分との事です。

* 以上が帯津先生のおおまかな一日の様子ですが、こんなハードなスケジュールを、当たり前のようにこなしておられる帯津先生の元気の秘訣は、どうやらその日その日を精一杯、¨全力で生きる事¨に尽きるのではないかと思われます。

* 帯津先生は78歳になった今でも、やりたい事ややるべき事が両手からこぼれる程あって、老後を楽しむ気持ちなどさらさら無いのだそうです。
 帯津先生の理想の人生は、夏目漱石の小説『野分』の中に記された一文、「理想の大道を行き尽して、途上に斃るる刹那に、わが過去を一瞥のうちに縮め得て、始めて合点が行くのである」だそうです。
 私は帯津先生と出会えた事を何にも優る人生の宝物として、心から感謝しております。

* 帯津先生の最新書は上記の『まあるく生きる』の他にも、『人生に必要なものは実は驚くほど少ない』(集英社)と、『いい人をやめると病気にならない』(SB新書)があります。いずれもご一読をお勧めしたい本です。
               (2014・8・31日の記)

写真上:「まあるく生きる」(海竜社)
写真中:「人生に必要なものはじつは驚くほど少ない」(集英社)
写真下:「いい人をやめると病気にならない」(SB新書)


奥田のコラム(NO208) 78歳の私と満1歳になった孫 ( 2014/08/20 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私はただ今78歳です。6人の孫がいるのですが、私は結婚が遅かったので、まだみんな小さくて可愛い盛りです。
10歳の拓夢(たくむ)を筆頭に、8歳の尊(たける)、6歳のANIKA、5歳の悠人(はると)、3歳のMARIKA、そして一番下の希望(のぞみ)がつい先日(8月9日)、やっと満1歳の誕生日を迎えてくれたばかりです。

 世界中のおじいさん、おばあさんは、誰もが孫は可愛いと言います。私もその例外ではないと思っていたのですが、どうやら私は孫の本当の可愛らしさには気付いていなかったのかも知れません。
 その理由は、上から5番目の孫までは皆県外か海外で生まれ育っているので、それらの孫に会えるのはせいぜい年に1回程度。時折成長の写真やDVD映像や、今ではスカイプでの彼らの成長ぶりを垣間見る事は出来るのですが、孫の本当の感動的な素晴らしさは、日々に成長するふれあいの中にあるのでは・・・と思うようになっております。

 一番下に生まれた孫は、幸いにも私達夫婦と同じ沖縄に住んでくれているので、会おうと思えばいつでも会えるのです。
 孫の母親(私の娘)は、余程子育てが大変と見えて、最近では週2回の割合で孫を私ども老夫婦の所に置き去りにして、4〜5時間はどこかに消えるのです。きっと好きなカラオケにでも行って、気晴らしをしているに違いありません。
 孫を預けられた私達老夫婦は、¨大変だ、大変だ¨と大騒ぎをしながらも、孫と一緒に過ごせるこの時間こそは、どんな大変さも吹っ飛んでしまう程の、至福の感動の時をもらえているのです。

 孫の成長ぶりは、唯々¨凄い¨の一言です。細胞が瞬間瞬間にパチパチと音を立ててはじけているのではないかと思う程に凄いのです。眠っているときの呼吸にも感動を覚えます。全身全霊で生きているのに気付かされております。
 目が覚めているときの姿を見ていると、あの「這えば立て、立てば歩めの親心」と言う言葉が自然と頭に浮かんできます。まさに孫の一挙手一動にそんな思いをしている私達老夫婦の昨今であります。

 1歳になったばかりなのに最近のこの孫は、そんなジージとバーバの心境を察してくれてか、さかんに笑みを投げかけてくれるようになり、奇声を発してどんどん私達に近づいてくれる様になりました。

 この孫は、どうやら音楽好きの母親の血を受け継いでいるらしく、どんな音楽であろうが音楽が聞こえてくると、とたんにお尻をふりふり、両の手首を巧みにぐるぐると回しながら踊りまくるのです。

 最近は、私の故郷(高知)の祭りである¨よさこい鳴子踊り¨の¨鳴子¨がお気に入りで、両手に持ち、バチバチと音を立てながら愛嬌をふりまく姿が、何ともたまらなく可愛いのです。

*この孫を通して、私は今更ながら大きな人生の学びをさせられております。
それは、子育てこそはまさに人生の一大事であると言う事です。世の中の子育て中のお母さん、そして子育てを無事にやり終えたおばあちゃん達のご苦労に感服です。

 世の中は間違いなく、そんなお母さん達のお陰で成り立っていると私は強く思う様になっております。世の中の全てのお母さんや、おばあちゃん達に、深く深く感謝の手を合わせずにはいられません。
 そして、この世に私達老夫婦の孫として生まれてくれて、無事に満1歳の誕生日を元気に迎えてくれた6番目の孫にも、心から¨有難う¨の感謝です。
               (2014・8・19日の記)
写真上:ごはん大好き
写真中:ご機嫌な希望(のぞみ)
写真下:よさこい鳴子踊り


奥田のコラム(NO207) 北海道からまさかのマンゴーが・・・??? ( 2014/07/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 つい先日の事です。玄関のベルがピンポーンとなって、宅急便です!!という大きな声が聞こえてきました。ドアを開けてみると、元気なお兄さんが『北海道から冷凍のマンゴーが届いていますよ・・・』と言うのです。

 私の頭は一瞬パニック状態になっておりました。どうして北海道から冷凍のマンゴーが・・・???、と言う思いと、もしかして近年は北海道でもマンゴーが栽培されて、冷凍マンゴーとして全国に発送される時代になっているのかも知れない・・・との思いが交差しながら、とりあえず私はその宅急便を受け取るほかはありませんでした。

 この宅急便箱には何だか妙に見覚えがあるのです。後で解って大笑いする他はありませんでしたが、この箱は7月中旬に、沖縄から北海道のその知人宛に送ったマンゴーの箱だったのです。北海道の知人はその箱の中に、北海道の海の幸を満載して送り返して下さったと言う訳なのです。

 ¨真夏の夜の夢¨と言う言葉が思い出されたのですが、私は一人で勝手に真昼間の¨真夏の夢の中¨を彷徨っていたのでした。今になって思いかえしてみると、かなり強力な、しかしながら何とも楽しい幸せな真夏の夢のような出来事でありました。それにしても、宅急便のお兄さんの一言にはすっかりはめられてしまいました。

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 毎年夏になると親しい友人・知人・親戚関係に、沖縄の夏の味覚(マンゴー)を送る事にしているのですが、沖縄のマンゴーには誰からも、熱い喜びの言葉が返ってくるのには、贈った側の私達の方が驚くばかりです。
 何人かからは丁寧なお礼状の他に、マンゴーの倍返しとも思えるほどの贈り物が届けられて、恐縮する事の方が多いのです。今年もその倍返しとも思われる程の¨贈られ物¨が届きましたので、ここに書き留めて感謝の手を合せようと思います。

<贈られ物あれこれ>
(1)上記の北海道の知人からは:北海道の海の幸(ホタテとガゴメ昆布のとろろ)
(2) 新潟の親戚筋からは:日本海の海の幸
(3)東京の親戚筋からは:山梨県産の桃
(4) 千葉の親戚筋からは:千葉県産の焼き海苔
(5) 静岡の知人からは :うなぎの白焼き。(土用の丑の日にどんぴしゃりの贈られ物でした。)
(6)土佐の高知(私の出身地)の友人からは:土佐湾で採れた魚のてんぷら、かまぼこ、ちくわなど。
この時期、我が家の冷蔵・冷凍庫の中は、上記のような他府県の味覚が満杯です。
それに名古屋の友人からいただいたお米(銀のみかづき)が、最高の食欲を誘います。

 毎月の初めには¨小食¨を強く自分に誓っている筈なのに、この時期ばかりはもうど
うにもならない幸せいっぱいの過食の日々から逃れる事は出来ません。私はこの時期ば
かりは、¨美味しくいただけるのは健康の証¨とばかり自分を納得させながら、ときめきの食卓の日々を送らせていただいているのです。
 こんな幸せの日々が送れるのは、全て沖縄のマンゴーのお陰です。沖縄産のマンゴーに心からの感謝です。
 マンゴーさん本当に有難う!!!。

                 (2014・7・31の記)
写真上:北海道から届いた海の幸
写真中:山梨産の桃
写真下:高知から届いたかまぼこ等


奥田のコラム(NO206) 第一回・帯津良一先生を囲むファンクラブの会 ( 2014/07/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 帯津良一先生の沖縄健康講演会は、昨年の末に10年間で20回の回数を重ねました。
今年からは名称を『帯津先生を囲むファンクラブの会』に改め、年一回開催する事となり、先日(7月6日)その第一回が開催されました。43名の集まりでしたが、帯津先生の息吹が肌で感じられる程の、印象深い会となりました。
帯津先生のお話を半分位に要約してお伝えします。

* 以下の文章は全て帯津先生の言葉としてお受け取りください。

(1)私は5年前に新しい病院を開院しました(新帯津三敬病院)。相当の借金を覚悟しなければなりませんでしたが、自分が志したホリスティック医学を後世に引き継いでもらいたい一心もあって実現させました。この新しい病院では、ホリスティック医療を目指す若い医師たちが、大いなる希望を胸に頑張ってくれております。

(2)病院を新しく開院したもう一つの理由は、作家の落合恵子さんと対談した時に、彼女は¨私はガンになっても病院に行かない。しかし死ぬ時は帯津先生の病院で死にたい¨、と言われた言葉にも心を動かされたのです。
 今迄の病院はかなり古くなって、病室も狭く、トイレもきれいではなかったので、とにかく入院していただけるだけで心身が癒される、気持ちの良い、きれいな病院にしたかったのです。

(3)きれいな病院は完成しましたが、経営は大変で、毎年のボーナス時期になると事務長から¨どうしても1000万程足りないので何とかして欲しい¨、との依頼が続き、私の貯金は底をついてしまいました。
『金は天下の回りもの』とはこういう事かも知れませんが、ある日突然1000万円という大金が舞い込んで来てくれたのです。

(4)私の家内は3年前に脳梗塞で突然他界しましたが、家内が住んでいたマンションを片付けていたら、何と1000万円のお金が出てきたのです。そのお金を発見したのは、病院で毎日私のときめきの夕食を作ってくれている女性(食堂課長)でしたが、このお金だけは私の¨老後の貯金¨と言う事にさせてもらっております。天国の家内には感謝の気持ちで一杯です。

(5)私は毎月の様に本を出しておりますが、本の原稿料はわずかです。私の人生は、毎日の晩酌が出来るお金があればそれで十分と思っています。具体的には一日¥10000円位の収入があれば十分有難い人生と思っております。

(6)私の週末は殆どどこかの講演依頼があり、全国を飛び回っております。殆ど日帰り講演ですが、沖縄だけは例外で、2泊3日が慣例となっており、沖縄で講演を終えた後の晩酌タイムは特別なときめきの一時です。

(7)講演を長く続けられる為には、何よりも健康であらねばなりません。
健康の要諦は、¨ときめきの心¨と生命の躍動感を覚える¨攻めの養生¨であると思っております。私の養生法は¨朝の気功(太極拳)と昼の仕事と夜の酒¨です。

(8)私の部屋は本と酒で一杯です。大きな机の上には本が山の様に積まれており、机の下はお酒がいっぱい置かれております。本にはそれぞれの著者の魂が宿っています。酒は魂(スピリット)そのものですから、私の部屋はスピリットに溢れている筈です。

(9)今年78歳になった私は、これまでのダイナミズム(生命の躍動)人生に加えて、新たにダンディズム(粋)人生に惹かれております。ダイナミズム人生とは¨青雲の志¨に生きる人生と言う事、そしてダンディズム人生とは、@くよくよしない人生、A粋に感じる人生、そしてB年齢に合った色気が漂う人生と言う事です。

(10)私の78歳のときめき人生とは:

@ 病院の仕事を終えて6時半からいただく病院の食堂での最後の晩餐です。私は毎日の夕食を、いつも最後の晩餐会と思っています。そこでいただく一杯のビールと、好みのウィスキーと湯豆腐での食事はまさに天下一品のときめきです。

A 依頼された原稿を締切寸前に書き終える喜びは格別のときめきです。だからどんなに苦戦しても原稿書きは止められません。

B 朝3時に病院に入り、一仕事を終え、誰もいない早朝の道場に立ち、一人で舞う太極拳の魅力はたまりません。太極拳の動きは連綿と流れる大河のダイナミズムであり、生命の躍動そのものです。太極拳を舞い終えた後の¨ぷるシャリみかん¨(130円)の美味しさは私をすっかり子供心に変身させてくれる喜びがあるのです。

C 最後はやはり女性です。いくつになっても憧れの人への恋慕の情はときめきの最たるものでしょう。私も憧れの女性は何人かいるのですが、こればかりはなかなか思う様にはなりません。残念ながら78歳の恋心は胸に秘めておく位が丁度いいのかも知れないという結論になってしまうのです。
 時間が来たようですので、これで終わりにします。
* 以上は帯津先生のお話の一部です。
(2014・7・8日の記。台風8号が沖縄上空を荒れ狂う日の夜)

写真上:帯津先生を囲むファンクラブの会
写真中:帯津先生講演風景
写真下:楽しい懇親会風景


奥田のコラム(NO205) 78歳の誕生日に思う事 ( 2014/06/26 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私は今日78歳になりました。これまで誕生日だからといって特別な思いをした記憶は少ないのですが、今年に限っては一種の覚悟のようなものをしなければならない自分に気付いているのです。
 65歳になって高齢者の通知が舞い込んで来た時も、75歳の後期高齢者の知らせが来た時も、余程元気だったとみえて、自分とはまだ無縁の世界とばかり思っていたのに、今年はかなり状況が違ってきているのです。

 ¨老いは突然後方からやってくる¨と言う言葉を何度か耳にしたことがありますが、実は昨年の暮れのある日、まさしくそんな思いの出来事に遭遇する事となりました。
 家内と一緒に昼食をとるべく、車を遠くの駐車場に止め、あるレストランに向かって歩いていた時の事でした。気付いてみると家内の歩き方がどんどん速くなって、どんどん私を置き去りにするのです。一瞬家内の人格を疑ってみた程でしたが、実際はただ単に私の歩きが家内の半分位の速さになっていただけの事に気付き、人生で初めて¨老い¨の一字が頭をよぎった瞬間でした。

 この出来事を機に、私は自分の身体を深く観察するようになったのですが、今は沢山の¨まさか¨に驚くばかりです。思いつくままに書きとどめてしっかり自分の反省材料にしようと思います。

@ 私の右足は地面をける力が半減している事が解りました。左足は前方にすぐ踏み出せるのに、右足はいったん上に上げてからしか前に出せないのです。これは間違いなく老化現象の始まりです。

A 左足だけのぴょんぴょん飛びはそこそこ出来るのに、右足だけのそれは全く駄目な自分になっておりました。

B 椅子に座っての貧乏ゆすりも左足は思いのままに動くのに、右足のそれはなかなか思うようになりません。

C 階段の昇り降りも、ついこの間まで50段の石段を休む事無く2〜3往復出来ていた筈なのに、今では手摺の助けを借りてやっと一往復止まりです。

D 52歳から始めたジョギングは、その後の10年余りは10K〜15K走を日課としておりました。60歳の時(1996年)にはアトランタオリンピックの聖火ランナー日本代表(34名)の一人にも選ばれ、更には走り歩きながらも75歳の時には地球一周の40,000K走破も成し遂げた筈なのに(コラムNO119、120、121に記載)、わずか2〜3年のブランクの間に、人間の身体はすっかり元に戻ってしまうのです。今はゆっくり歩きは出来ても、走る事は200〜300m位が精一杯です。

E もう一度生まれ変われるものなら、その時はゴルファーになりたいと思う程に大好きだったゴルフも、やがて2年位の休養を余儀なくされています。これは身の回りのゴルフ仲間が殆どいなくなった事も要因の一つですが、ゴルフに関しては必ずや復活させて、100歳エイジシューターの夢に挑戦してみたいのです。

F 口から出るヨイショ!!の数は半端ではありません。家内と二人だけの小さな2LDKのマンションに移り住んでからは、部屋の中に置かれている机や椅子やベッドの角々にぶつかって悲鳴を上げる日々が続いています。
 忘れ物もあきれるばかりですが、忘れる事に関してはもうあまり気にしない様にしているところもあるのです。

G 以上の様な状況下にある昨今の私ですが、神様はもしかしてまだ私の健康を秘かに応援して下さっているのかも知れません。
 毎朝約1時間の自己流体操(呼吸法と柔軟体操)と週2回の水泳(25メートルプール30往復)と週2回のウォーキング(約1時間)と車の中の一人カラオケと、週7か所の太極拳教室には嬉々として出掛けて、100人余りの生徒さん達と一緒に最高に楽しい時間を過ごさせてもらっております。

* 77歳の人生を振り返ってみると、人生には本当にいくつもの思いがけない節目(試練)があって、それらの節目を一つ一つどう乗り越えるかの心掛けが、その人の人生を左右する事になるような気がしております。
 私は今日から78歳です。78歳には78歳の予想もつかない人生の節目が待ち構えているに違いありません。78歳の誕生日は覚悟の誕生日と心得る事にしようと思っております。

*私の母は20年前に88歳で亡くなりましたが、母の口癖は¨仲良く楽しく¨、と¨情けは人の為ならず¨でした。私も母のこの言葉を心に深く刻みながら、加えて¨天地に恥じず・己に恥じず¨、そして父母が喜んでくれるであろう、ささやかながらも¨社会の一隅を照らせる人生¨でありたいものと念ずるばかりです。
78歳の誕生日に感謝です。
            (2014・6・26日・78歳の記)
写真上:誕生日に訪ねてきてくれた一番年下の孫・希望(のぞみ)10か月
写真中:誕生日が私より2日早いアメリカ孫ANIKA 6歳
写真下:誕生日が私より2日遅い一番年上の孫拓夢11歳

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