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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO204) 5月の嬉しい出会い ( 2014/05/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 新緑の5月も終わりの日を迎えようとしております。
私の住む沖縄は全国に先駆けて、今は一足早い梅雨の真っただ中にあるようです。
 梅雨が明けると沖縄は一年中で最も気持ちの良いと言われる¨うりずん¨の季節が訪れます。そのうりずんの季節を待ちわびている昨今の私ですが、つい先日、思いがけないビッグな好運に恵まれ、憂鬱な筈の梅雨も、どこかに吹っ飛んだ気分になっております。

 週2回を目標にしている夕方のウォーキングを終えて家に帰る途中、何かしら心惹かれるものを感じて、ふと立ち寄ったJA沖縄の野菜コーナーに、目を疑うばかりのパパイヤのような果物が置かれていたのです。近づいてみるとまさしくそれはパパイヤで信じられない程の大きさです。

 パパイヤ大好き人間の私はしばしその前に立ち止り、こんな大きなパパイヤを育てた人のご苦労や喜びや、パパイヤがどんな思いでこんなに大きくなって、今ここに置かれているのか・・・など空想しているうちに、私はいつの間にかこの巨大パパイヤを腕の中に抱き抱えておりました。
 この巨大パパイヤは私に買い取られるのをずっと待ち続けていてくれたに違いないと確信したからです。値段は¥1400でした。家に持ち帰り重さを量ってみたら3.6キロもありました。

 我が家はパパイヤとは特別の因縁があり(コラムNO94に記載)、パパイヤの季節になると殆ど常時、冷蔵庫の中にはパパイヤが入っているのです、なかなか食べきれないので家内がジャムにして保管してくれているのですが、この日は3.6キロの巨大パパイヤがまた新たに加わって、家内の苦労は増すばかりの様です。私は心中、家内に謝りながら、自分の責任において、何としてもこのパパイヤは最後まで食べ尽してあげなければならない・・と一大決心をしているところです。

*パパイヤ騒動に明け暮れる中、今年もまた北海道から見事なグリーンアスパラガスの贈り物が届き、我が家の食卓はパパイヤとグリーンアスパラで埋め尽されている感があります。
 グリーンアスパラを送ってくれた送り主は、書道の好きな人ならきっと誰もが知っているに違いない著名な書家の石飛博光さん(日展会員・全日本書道連盟常務理事・毎日書道会理事・創玄書道会副理事長・他多数の肩書)です。

 書の達人から贈られたグリーンアスパラを食べると、少しは字が上手になるかも知れないと思い、その都度心して食べるのですが、そんな事があろう筈もなく、私の場合は年を取るに従って増々字が雑になり、下手になっていくばかりです。
 なにはともあれ、北海道のグリーンアスパラは本当においしいのです。
 石飛先生、有難うございました。夏になったら沖縄からマンゴーを送らせていただきます。                                (2014・5・30日の記)
写真上:見たこともないような巨大パパイヤ
写真中:以前住んでいた家(庭)になっていたパパイヤ
写真下:石飛先生から届いた北海道のアスパラ


奥田のコラム(NO203) 風薫る5月・母の日と子供の日に感謝です ( 2014/05/12 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

5月の季節を表す言葉の中で、私が一番好きなのは¨風薫る5月¨です。
¨薫風¨とは初夏に向かって吹く風の事を指すのだそうです。沖縄はこれからその薫風が吹き始める最も気持ちの良い季節になる筈なのに、何故か今年は5月に入るや否や、いきなり梅雨入り宣言が出され、残念ながら5月初めから、梅雨を絵にかいたような小雨交じりの淀んだ曇天の日が続いておりました。

 5月11日は¨母の日¨でした。お天とう様も、さすがに母の日に雨を降らせてはならないと思ってくれたのかも知れませんが、母の日は5月に入って一番とも思える程の青空が、空いっぱいに広がる一日となりました。
 私は5月の風を感じたくなって、その日は午後4時頃から2時間余りのウォーキングに出かけました。それはそれは気持ちの良い爽やかな風で、私は上半身裸になって、しばし5月の風と命の語らいを続けておりました。

 さて、母の日です。私は唯今77歳です。母が亡くなってすでに20年の歳月が流れており、私にとっての母の日は遠い日の想い出の中にしか残っておりませんが、
今年の母の日はこれまでになく、深く母を思い、深く母に感謝しないではいられない母の日となりました。その事に改めての気付きをさせてくれたのは¨こどもの日¨の連休に私達老夫婦を訪ねてくれた4人の小さな孫達でした。

 私達老夫婦には今6人の孫がおりますが、訪ねてくれたのは石垣島に住む小学5年生の長男孫(拓夢10歳)と、新潟県三条市に住む小学4年生の尊(9歳)と5歳の幼稚園児(悠人)の二男孫、それに昨年8月に生まれたばかりの長女孫(希望・のぞみ)、いずれも男ばかりの4人の孫でした。
 あと、三男に2人の女の子がいるのですがAnika(6歳)Marika (2歳)、彼女達はアメリカ在住なので、インターネットによる映像訪問でしか会えません。

 孫達は一週間程の滞在でしたが、この年齢の子供達と一緒に過ごす一週間がどれ程すさまじいものであるかは筆舌に尽くせるものではありません。この年齢の子供達は眠っている時以外は一瞬たりとも立ち止まる事はないのですから、老夫婦にとってはたまったものではありません。孫達が我が家を去ってくれた後の2〜3日は、疲労のあまり私は唯呼吸をするのが精一杯の日々でありました。

 何はともあれ、孫達のお陰で私は改めて子供を育てる母親の偉大さに気付かされました。私自身に関して言えば、4人の子供達を育ててくれた家内には改めての感謝です。
 今から70〜80年も前に7人の子供を育ててくれた今は亡き母のご苦労を思うと、生涯を子育て一筋に尽くしたであろう母親のご恩は生涯忘れてはならないと思いました。いずれは私も母の元に行くのですから、その時には精一杯の母親孝行をしようとの思いを新たにしたのでした。

 今年の母の日、私は朝一番に、近くにあるJAの花屋さんを訪ね、小さなバラの花束を3つ買い求め、それとなく家内に渡しました。渡した後にもう少し立派な花束にすれば良かったと思いました。来年からそうしようと思います。
                (2014・5・12日の記)
写真上:こどもの日に集まった4人の孫たち
写真中:アメリカ在住の三男と2人の孫
写真下:母の日のバラの花束


奥田のコラム(NO202) 韓国旅客船犠牲者に祈りを捧げます ( 2014/04/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎年4月になると、私は桜前線の開花と共に、過去の楽しい思い出ばかりが蘇って来る筈なのですが、今年に限ってはそれらの思い出もなるだけ控えめにして、心静かに祈りの日々を過ごさないではいられません。
 4月16日、多数の修学旅行生を乗せた韓国旅客船¨セウォル号¨の沈没事件は、日を追うごとに悲しみが深まるばかりです。

 セウォル号は、2012年9月までの18年間は¨なみのうえ丸¨と言う名前で沖縄―奄美―鹿児島間を繋ぐフェリーとして活躍していた船でした。沖縄に住む私達は何らかの形でこの船にはお世話になり、私は船内の様子もある程度記憶の中に残っているだけに、沈みゆく船室から脱出出来ず、寒くて暗い海中でもがき苦しんで亡くなられた青年たちの事を思うと、何ともやりきれない思いになってしまうのです。

@ もう助からないかも知れないと覚悟を決めた高校生が、母親に送ったメール『もう会えないかも知れないけど愛しています。』には涙が溢れました。

A 一旦船外に逃れていながら、船の中に取り残されて泣いていた子供を助けるために船に引き返し、自分の命と引き換えに子供を助けた青年の行動。

B 自分の身に着けていれば助かったであろう救命胴衣を、次々と他者に与え続けながら犠牲になった若い女性の船員さん。韓国の若者たちの行為には唯々深く頭が下がるばかりです。

C 事件発生後一週間が過ぎ、犠牲者の慰霊祭に参加した高校生が書き残した言葉にも胸を打たれました。その言葉とは『もう一度生まれ変わっても、自分は船で亡くなった諸先輩と一緒の後輩でありたい』でした。

 とても悲しく、とても残念な出来事ですが、私は今回の出来事を通して韓国の青年たちを心の底から好きになりました。自分の子供や孫達には、是非とも将来韓国の青年達とも仲良くなってもらいたいと思いました。

 何一つ役に立たない自分がもどかしいのですが、心から、心から、尊い命を海中に沈めた青年たちのご冥福を祈り、後に残されたご家族の皆様には衷心からお悔やみを申しつつ、残された2014年4月の日々を深い祈りの中で過ごしていようと自分に言い聞かせている昨今の私です。
                  (2014・4・25日の記)
写真上:元なみのうえ丸の写真
写真中:沈みゆくセウォル号
写真下:献花(黄色いバラの花)


奥田のコラム(NO201) 2014年3月は悲喜こもごもの月でした ( 2014/03/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎年3月の声を聞くと、これまでの私であれば、桜前線の開花と共に大いなるときめきを覚える筈なのに、何故か今年の3月は少しのときめきも湧かないばかりか、恒例のコラム書きさえも手につかないままの日々が過ぎるばかりでした。思い当る原因はどうやら下記のような出来事にあったのかもしれません。

(1)2013年3月11日は東日本大震災の3周年目に当たる日でした。もう3年にもなるのですから、かなりの復興の足音が聞こえてきてもいい筈と思っていたのに、新聞・TVから流れてくるニュースでは、被災地の人達の苦悩は深まるばかりのようで、本当に心が痛むのです。
 東日本大震災では、死者と行方不明者を併せると18,000人余り、東京電力福島第一原発事故では260,000人余りの人達が、今も避難生活にあえいでいる事を私達は忘れてはならないと思うのです。

 つい先日、とても悲しいニュースを知りました。福島から原発事故の影響で沖縄に引っ越してきた母娘が、放射能被爆者という中傷を浴びせられ、また福島に逆戻りを余儀なくされたという悲しいニュースです。¨情けの島¨を信条とするウチナンチューの志情は何時から消えてしまったのであろうかと本当に悲しかったのですが、これはごく一部の人であると私は沖縄に40年間住んでみて、そう確信するのです。人間から情心が無くなればもう人間では無い筈です。私はこの地球上に原発を存在させてはならないと思う人間であります。

(2)私達の住んでいる沖縄では、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設が、大多数の県民、市民の反対を無視して、日本政府と仲井間知事の間で進められています。美しい自然の海を埋め立る辺野古への基地建設には、100人を超える世界の著名な知識人の反対声明にもかかわらず、辺野古の海は政府と沖縄県警による100隻の舟にガードされながら、埋め立ての杭が打ち込まれる寸前のところにきているようです。

(3)前東京都知事の5000万円借入金問題は、どうやら罰金50万円の略式起訴で幕引きがされるようですが、ちょっと納得のいかない感もありますね。
 新しく浮上したみんなの党代表の8億円の借入金問題には、一体どんな結論が下されるのでしょうか。政治家の裏の世界は、国民の幸せとはまるで無縁の闇の世界に包まれている事は確かの様です。

(4)NHK会長のあまりに常識を越えた言動にも目をそむけてはいけないと思います。会長職を引き受けて最初にとった行動は、全理事にサイン入りの白紙の辞表届を提出させたと言うのですから、放送独裁者と言われても仕方のない事でしょう。こんな独裁者に対抗する視聴者の取るべき行為は、NHKを視ない、聞かない、そのかわり受信料は払わない行動で一致団結する他はないのかも知れません。すでにそれを実行に移している人もいるとの事ですが、私は大好きなNHKがこれまでのように常識ある健全な姿で在り続けて欲しいと希望したいだけの事です。

(5)現代のベートーベンともてはやされていた佐村河内なる人物のウソ発覚と、新万能細胞STAPの発見を世界に発信した小保方晴子さんの論文が寄せ集めであった事が発覚した時は本当に失望させられました。この二人には一度死んだつもりで、もう一度人生の出直しをして、名誉の挽回を図ってもらいたいと切望します。

(6)沖縄の慶良間諸島が自然文化遺産に登録された事は、沖縄県民としては誠に嬉しい出来事です。
 しかし大きな心配もあるのです。 数年前に世界遺産に登録されたセイファーウタキは、その直後から急激な観光化が進み、神聖と神秘をうたい文句にしていたウタキへの道はお土産品通りと化し、歴史の神秘さに手を合せる厳粛な雰囲気などは皆無に近い状況になっているとの事です。関係者の猛反省を胸に刻んで、貴重な慶良間の海の美しさに最大の心配りをしてもらいたいものです。

(7)海外に目を向けると、マレーシア航空機の行方不明事件にはただならぬ不思議を覚えないではいられません。人間の生命がこんなにも簡単に亡きものにされる事など、今の時代にあって断じて許されるものではありません。一日も早く世界に真実を発表し、乗員家族に罪の償いをしなければならないと思います。

(8)4月1日からの消費増税を前にして、日本中の主婦が右往左往して買いだめに走る姿には何かしら日本人の哀れを感じないではいられません。
 私はこれを機に、増税になる分以上に買い物を控えて、質素を旨とした生活を目指そうと決意を新たにしております。

*2014年3月が終わろうとしていた直前、私は日本のスケート選手の大活躍に救われました。フィギヤ―世界選手権は羽生結弦選手(19歳)が、ソチ五輪の金メダルに続いて再び金メダルに輝きました。町田樹選手(23歳)はほんのわずかの差で2位になりましたが、スケートの歴史で日本選手が一位・二位の表彰台に立ったのは初めての事だそうです。この大会に高橋大輔選手の姿が見られなかったのは残念以上のものでした。

 女子は浅田真央選手(23歳)が、本人も納得の演技で世界の頂点に返り咲きました。鈴木明子選手(29歳)のスケート人生最終と決めて臨んだ演技は実に見事で美しく感動を覚えました。今や日本のスケート界は世界一のスケート王国に成長した感があります。
 お蔭様で、私の曇りがちだった3月の心は、きれいさっぱりと晴れ渡り、希望の4月に立ち向かえる心意気に変身する事が出来ました。沢山の感動を有難うございました。
                (2014・3・30日の記)
写真上:震災3周年目を迎えた被災地への祈り
写真中:世界選手権で金メダルを取った浅田真央選手
写真下:世界選手権で競技生活最後の演技をする鈴木明子選手
(琉球新報社より)


奥田のコラム(NO200) ソチ五輪2014年に有難う(その三) ( 2014/02/27 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 


 浅田真央選手がソチ五輪のSP(ショートプログラム)で思うようなスケートが出来なかった事について、事もあろうに、日本の元首相にして2020年東京五輪・パラリンピック組織委員長でもある森善郎氏は、『あの娘は大事な時には必ず転ぶんです』と発言されたのに対し、当の真央さんは後日、次の様なコメントを口にされました。『人は誰も失敗しようとして失敗する訳ではありません。森さんはあの様な発言をされて後悔なさっているのではないでしょうか・・・』

 両者の言い分を聞いてどちらかに軍配を上げるとしたら、1対100位の割合で真央さんの方ではないでしょうか。
 スポーツ界ではどんなに頑張っても失敗はあるのです。失敗者に対して思いやりのかけらも持たない人物に、東京五輪の¨おもてなし¨を伝える資質があるとは思えません。東京五輪は日本人の品格が問われる大会になると私は考えます。

 2014年2月23日の琉球新報『金口木舌』に、私の思いをそっくり伝えてくれる文章が載っておりますので、その全文を紹介しようと思います。

◆ 感動の演技に感謝したいー。多くの国民がソチ冬季五輪フィギア・スケート女子6位に入賞した浅田真央選手に対し、こんな思いを抱いているのではないか。
ショートプログラム(SP)での出遅れをフリーで挽回、銀盤にメダル以上の輝きを残した。

◆ 大きな期待を担って臨んだSPだったが、トリプルアクセルで転倒後、呆然と「どう乗り切れるのか自分でもわからない」と語る姿は痛々しかった。
メダルは遠のいたが、逆に「頑張れ真央!」との思いからフリーに注目が集まった。期待以上の演技だった。次々とジャンプを決め、SPとは別人かと思う程だった。母を亡くした後のスランプを克服し、一回り大きくなった浅田真央がそこにいた。

◆ そんな中、元首相で東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森善郎氏の暴言が、浅田選手やその支援者を傷つけた。『あの娘、大事な時には必ず転ぶんですよね』。スポーツマンシップがみじんも感じられない。
森氏には重圧と闘い、演技をする選手への敬意がない。今後、世界のスポーツ界と交渉する人物としてふさわしくない、と感じる国民も多い筈だ。

◆ 県内でも真夜中の演技を見守った人は少なくなかっただろう。今季限りでの引退を表明した浅田選手だが、来月、国内で開かれる世界選手権に出場する。
浅田選手の輝きを目に焼き付けたい。
                    (2014・2・26日の記)
写真上: 浅田真央選手
写真中: 鈴木明子選手
写真下: 村上佳菜子選手

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