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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO194) 帯津良一健康講演会「健康長寿と攻めの養生」(その二) ( 2013/12/29 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

  <帯津先生のときめき3題>

その一: 東京市ヶ谷にある駿台予備校は、医者を目指す若者たちが集う予備校です。私(帯津先生)はこの学校で19年連続の講義をやり、いよいよ20回目を盛大にやろうと期待していたら、突然20回目が中止になったのです。後で解ったのですが、この中止はある国立大学から、私のホメオパシー医療へのパッシングだったのです。
 しかしある出版社が、19年間の講義集を出版してくれる事になった事、そしてある人の英断で、この講義を復活する事になり、今年10月に記念すべき20回目の講義を済ませる事が出来ました。感無量です。この講義はこれからまた続く事になるそうです。

その二: 今から2年前に東北大医学部から、2年後の記念講演を頼まれておりました。この話は途中で消えるものと思っていたのに、何と今年それが現実のものとなったのですから嬉しいのです。
 東北大医学部と言えば、第一級の権威ある学部です。私がこの時に選んだ講演題目は『最後の晩餐と人間の尊厳』でした。殆ど医療とは無縁のような話だった筈なのに、高い評価をいただく事になり、東北大医学部はやはり第一級の学部だと密かに胸をなでおろしたのでした。
 東北大医学部では心臓の手術をするのに、心臓に音楽を聞かせるのだそうです。私はすっかり東北大医学部の大ファンになってしまいました。

その三: 白隠禅師を祀るお寺として有名な白隠寺から講演の依頼がありました。そのこと自体が嬉しいのに、加えて富士市にあって、やがて40年ぐらい前から立ち寄っていた居酒屋が、日曜日は休みの筈なのに、私の為にわざわざ店を開けて下さったのには感激でした。友人、知人に呼びかけ、6人で至福のひと時を過ごす幸運に恵まれました。

       <帯津先生の最後の晩餐>

 私(帯津先生)の一日は夜9時にベットに入り、朝は2時に目を覚まし、3時半には病院に入ります。病院では朝の早い時間に亡なる人が多く、死はいつも身近にあるのです。私は出来る限り亡くなる人に付き添ってあげたいと思う様になっております。
 そんな思いにさせてくれる様になったのは、写真家の青木新門さん(映画おくり人の原作者)です。青木さんはご自分の本の中で『死の恐怖におののいている人を癒せるのは、その人よりも一歩でも死に近い所に居る事です』と書いておられるのです。

 私は病院で亡くなる人達を見送る生活が続いているうちに、人間は毎日が¨最後の日¨かも知れないと思う様になりました。そして夕食は毎日が¨最後の晩餐¨と思うようにもなりました。以下は私の最後の晩餐風景です。

・ 病院の仕事を6時半に終えると、私は一目散に病院の食堂に駆け込みます。30年来私の食事をセットしてくれる人がいて、私はその時間から最後の晩餐に集中するのです。最後の晩餐には必ず湯どうふがセットされています。湯どうふ以外のものは季節によって変化しますが、湯どうふだけは不動です。ビールとウイスキーも欠かすことは絶対にありません。

<私(帯津先生)の食の養生・気の養生・心の養生>

・ 私の食養生について: 食に対する自分の意念を決めていて、他人の言う事にはとらわれないで、なるだけ心ときめく物を食べるようにしています。ときめく物であれば少々の毒であっても良薬に変身するので気にする事はありません。
 私のときめく食べ物は@湯どうふ、Aうな重(時にはかつ丼でも良い)、B時々のステーキ(ステーキは東京と長野の店以外では食べません)、C何といってもお酒です。(酒は百薬の長にして天からの授かりもの、そして私には養生食の極みでもあるのです。)

・ 私の気の養生と太極拳: 気功との御縁は1980年に中国の病院を訪ねた時からです。中国ではガンの治療に針麻酔をしてから手術をするのが常です。そして、その手術の前に3週間の気功法をさせるのです。私は早くから調和道呼吸法に接していたので、その気功が呼吸法である事にすぐ気付きました。
 その時から32年間、自分の病院に気功道場をつくり、今では病院を支える大黒柱の一つになっております。気功は自然治癒力を高めるのに効果があります。私は太極拳気功を楊名時先生に学び、以来太極拳気功にとりつかれています。
 毎朝5時半には病院の気功道場に入り、一人で無心に太極拳を舞っております。太極拳は武術から生まれたものですが、相手が人間ではなく大自然、虚空だと思えば、大自然、虚空と一体になれる喜びに浸る事が出来るのです。私の描く虚空は、モンゴルの大草原と天空に拡がるぬけるような青空です。

・ 私の心の養生について: 私の心の養生はずばり心のときめきであり、青雲の志です。人間死ぬまで青雲の志を生き続け、死ぬ瞬間に生命のエネルギーを最高に高めて虚空の世界に飛び込む人生を私は理想の人生と考えております。

* 第二部では帯津先生指導による新呼吸法『時空』の実技と、てぃるる教室卒業生による太極拳演舞がありました。

* この日の夜は場所を変えて、帯津先生を囲む懇親会があり、31人の出席者と共に楽しい感謝と歓喜のひと時を過ごす事が出来ました。合掌です。

               (2013・12・29日の記)
写真上:帯津先生「時空」実演
写真中:「時空」実演風景
写真下:太極拳演舞


奥田のコラム(NO193) 帯津良一健康講演会「健康長寿と攻めの養生」(その一) ( 2013/12/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 去る12月22日(日)、沖縄県女性財団¨てぃるる¨主催による上記の講演会があり300人余りの人達が集まりました。
帯津先生の講演会は、これまで何度かありましたが、いずれも私達沖縄養生塾の主催によるもので、今回は沖縄県の外郭団体主催によるものであった事に意義深さを感じます。
これは多分、今年の9月に沖縄県が大々的に長寿県日本一奪回宣言をした事による一連の動きであろうかと思う次第です。
 私のメモを辿りながら講演会の内容をお伝えしようと思いますが、決して十分でない事をお詫びいたします。

        <健康長寿と攻めの養生>

・ 以前,五木寛之さんと長寿について話し合った事がありますが、何歳以上からが長寿であるかの分岐点は見つかりませんでした。
歴史に残る宗教家を例に挙げれば、浄土真宗の親鸞聖人は90歳、法然さんも長寿であったようです。一方曹洞宗開祖の道元禅師は53歳、空海さんは61歳でした。

・ 著名な作家を例にとれば、夏目漱石は49歳、正岡子規は36歳でしたが、二人とも50歳未満の人生ながら偉大なる業績を残されているのですから、長寿と業績とは必ずしも一致しないと言えるかも知れません。

・ 健康養生法を唱えた人たちの寿命としては、太極拳の楊名時先生は80歳、調和道呼吸法の村木弘昌先生は79歳、正座法の岡田虎次郎さんは68歳、江戸時代に生きた貝原益軒さんは当時としてはまれにみる84歳の長寿を生きております。

・ 帯津先生は現在まだパワー満開の77歳ながら、腹囲は98センチ、γGTPの数値はめったな人には負けた事のない数値の持ち主ながら、γGTPの値で病院を訪れる患者さんを元気づける為には、自分の偉大なる数値を落とす訳にはいかないのです。限りなく300に近いのだそうです。

・ 帯津先生の優れているところは、前立腺が少年の様で、脳こうそくの跡が全く見られない事です。特別の事は何もしないのですが、50年間毎日欠かさず食べ続けている¨湯豆腐¨によるイソフラボンのせいかも知れません。

・ サプリメントは何も使用していなかったのですが、数年前に免疫学の大家であられた多田富雄先生が脳梗塞で亡くなられたのをきっかけに、ある製薬会社から送られてくるナット―キナーゼを毎日二粒飲み続けております。

・ 健康の条件は病院の検査が示す数値だけではありません。大事な事はダイナミックに生きようとする¨ときめき¨なのです。単なる守りの養生では心はときめかないのです。攻めの養生こそが心のときめきとなり、心のときめきが凛とした老いを生きる最大の条件となるのです。

・ 凛として老いている(生きている)人の例として@ 青森県で「森のいすきや」という民宿を経営している佐藤初音さん(91歳)の姿が真っ先に頭に浮かんできます。佐藤さんの作る¨おにぎり¨は有名で、このおにぎりを食べると誰もが元気になるそうです。佐藤初音さんの笑顔と歩く姿は天下一品の美しさです。

・ つい最近会った人の中では、女性登山家として初めてエベレスト登頂に成功された田部井淳子さん(74歳)です。田部井さんはガンを3回患い、余命三か月を宣告されながらも、山登りを止めなかったのです。抗がん剤治療で苦しみながらも、大好きな山登りを続けているうちにガンは消えたのだそうです。山登りのときめきと山頂の感動が彼女のガンを消滅させたとしか思えません。(田部井淳子さんは新年から帯津先生のもとでホメオパシー医療を希望されているそうです)

・ 歌手の五月みどりさんは74歳ながら色気が漂うばかりです。五月みどりさんは今でも9センチのハイヒールを履くそうですが、9センチのハイヒールは腰の筋肉を持ち上げる効果があるので、止める訳にはいかないのだそうです。

・ 凛として生きておられる人達の共通点は、¨心のときめき¨に他なりません。胸に燃えたぎるものを持って生きている人の姿には生命のエネルギーが溢れております。
              (2013・12・28日の記)

写真上:帯津良一健康講演会ポスター
写真中:帯津先生講演
写真下:講演会会場風景


奥田のコラム (NO192) フィギアスケート、ソチ五輪日本代表 ( 2013/12/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 ソチ五輪のフィギアースケート日本代表に誰が決まるのか、スケートファンなら誰もが気にしないではいられない激闘の日々が続いておりました。
 私達夫婦もスポーツに関して言えば、スケートだけは共通の関心事で、その度にテレビの前で一喜一憂の時を過ごしておりました。

 私達夫婦の共通した応援選手は高橋大輔選手(27歳)でした。彼は今回はもしかして選ばれないかも知れないとの心配が半分位あったので、最後に高橋選手の名前が呼ばれた時には、思わず飛び上がる程の喜びでした。選考からはずれた小塚選手と織田選手の健闘ぶりには心からの敬意を表したいと思います。

 私は、近年の高橋選手のスケートには¨動く芸術¨を見るような思いをしておりました。第1、第2番に名前を呼ばれた羽生選手(19歳)と町田選手(23歳)のスケートには、溢れるばかりの勢いがあって、4回転ジャンプも実に見事なものでしたが、総合的なスケートの魅力から言えば、私は高橋選手のスケートが気に入っているのです。
 それに日本のスケート界をここまで高め、リードしてきたのは何といっても高橋選手であろうという気がしていて、長い間のご苦労も含めて、高橋選手には特別の有難うと、3回目の五輪出場おめでとう!!を伝えたい気持ちで一杯です。

 次に女子の方ですが、浅田真央選手(23歳)の素晴らしさは早くから世界が認めるところです。今大会では期待のジャンプに失敗しましたが、彼女ならこの失敗を必ずやソチ五輪への糧として昇華させてくれるに違いありません。何といっても真央さんは日本スケート界の至宝であります。

 村上佳菜子選手(18歳)の頑張りと成長にも驚かされました。彼女には魅力一杯の笑顔と情熱と好感度に溢れています。男子の羽生選手と共にこれからが本当に楽しみな選手です。

 私が密かに応援していたのは鈴木明子選手(28歳)でした。28歳のスケート選手には言葉にならないご苦労があったに違いありませんが、彼女はそんなところはみじんも見せることなく、毎年毎年自分のスケートを昇華させておられたと思います。昨今の彼女のスケートは、高橋選手と同じように芸術の域に達していると私には思えました。

 今大会ではまさかの215.18点という¨大輪の花¨を開花させて日本一の座に登りつめたのです。彼女の努力と彼女を取り巻くコーチや関係者にも深く頭が下がる思いです。どうぞこの上昇気流に乗りきって、ソチ五輪を目指して欲しいと切望します。

 最後にこの大会を期に選手引退を決められた安藤美姫さんと織田信成さんに感謝します。本当に長い間、日本スケート界の中心選手としてスケートの魅力を私達に披露し続けてくれました。美姫さん、信成さん本当に有難うございました。
               (2013・12・24日の記)

写真上:ソチ五輪日本代表に決まった選手たち
写真中:鈴木選手、圧巻の初V(215.18点)
写真下;安藤美姫さん最後の演技
(写真:琉球新報社より) 


奥田のコラム(NO191) やなせたかし 「明日をひらく言葉」 ( 2013/11/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 昨日の事です。なにげなく本屋さんに立ち寄り、ふと目にとまり、何のためらいもなく私の手の中に納まっていたのが上記の本でした。
 やなせたかしさんは、日頃から敬愛してやまない郷土(高知県)の大先輩ですが、今あらためて思う事は、人の縁と言うものは、その対象が人であっても物であっても、今日のような本であっても、何かしらの不思議を感じないではいられません。
 ふとした出会いがすぐに忘れる事もあれば、今日のこの本のように、間違いなくこれからの私の人生に大きな励ましを与えてくれる、座右の書になってくれそうな出会いもあるのですね。
 この本のごく一部でしかありませんがご紹介しようと思います。

 人生の歩み方(やなせたかし)

* 私はイケメンでなくて本当に良かった。人並み以上の容姿に生まれついていたら、この性格では、仕事なんかそっちのけで羽目を外し、人生の軌道を大きく外してしまった可能性が大である。それを抑制する為に、神様が容姿風貌を制限されたのだと大いに感謝しなくてはいけません。

* 私の人生が開花したのは69歳の時でした。遅咲きも遅咲き、「大器晩成」とおだてられますが、いやいや「小器晩成」の典型だ。大器でも小器でもいい、なんとかなるさと辛抱して、とにかく生きていれば人生は捨てたものではない。やがて道は拓けてくる。それが私の実感だ。

* 仕事は人と人との繋がりで来るものだ。いろんな事をやっていく中で、めぐり合う人が新しいチャンスや可能性を連れてきてくれる。チャンスを捕まえるか捕まえないかが人生の分岐点となるのです。
 チャンスは誰にでも平等にある。「どうせ俺はダメだ」と言っている人は、チャンスをつかもうとはしていないのではありませんか。何事も足元から一歩一歩と進むうちに、必ずいい結果に向かっていくのです。

* ¨運は自分で拓くもの¨、¨運は自分が呼び込むもの¨。つまり、運は天が定めたものではなく自分で動かすものなのです。「継続は力なり」と同時に、「継続は運」なのです。
 今の仕事に不満を持っていたら、天職には出会わない。自分で工夫して誰かに喜んでもらえたら、それが天職だと思えるようになっていくのです。

* 私は悔しさをバネに遂にスター(星)になれました。僕のファンがいてくれ、この人が発見した小惑星を「Yanase星」と、「Anpanman星」と命名して下さったのだ。ノーベル賞をもらうより嬉しかった。

* 長い人生を生きてきたが、星の命に比べたら、百歳まで生きたって、瞬間に消え去っていくのと変わらない。人間は宇宙的に言えば、ごく短い時間しか生きれないのだ。
つかの間の人生なら、なるべく楽しく暮らした方がいい。人は何が一番楽しいんだろう。私の答えは「よろこばせごっこ」だった。私は人を喜ばせるのが一番嬉しい。

* 人間が生きる事を感じるのは悲しい事の方が多いのです。家内は乳がんを患い余命3ヵ月の宣告を受けましたが、余命宣告よりも5ヶ年永らえました。この5年間は命の尊さを実感する充実の日々でした。
 最後の入院となった日、カミさんの体を拭いてあげたら、「ああ、天国にいるみたい」と僕を見て笑ったカミさんの顔が今も脳裏から離れません。

* 悲しい時、絶望しそうになったら、握り拳をつくってみてください。そしてその握り拳で涙を拭くのです。そうすれば、もう一度生きようと立ち直ろうとする自分が涙の中から生まれてくるのです。

* 一歩一歩平凡に生きていく事は、人生の記憶には残りにくい。だが、その平凡な事を何十年も続けていくと、いつの日か、遠大な目標を果たされるのです。小さな事をおろそかにしては、目標や希望には到底手が届かない。長い人生を生きてきて僕は心からそう思う。

* 東北が天災に襲われ、信じられないような大きな被害を受けた時、全ての言葉はむなしく、一体何をすればいいのか呆然とするばかりでした。ところが大震災から3日後、あるラジオ番組に「アンパンマンのマーチを流してください」とのリクエストがあり、早速放送したところ、子供たちがラジオに併せて大コーラスを始め、大人たちも涙をこぼして感動したそうです。それからは、ラジオは連日この歌を流したと言う。僕が作った歌や、僕が生み出したアンパンマンが、こんな時に少しでも役に立ったとすれば本当に嬉しい。

* 人間80歳を過ぎると人生のマニアルもなければ、お手本になる人生もそうそうない。「老人は老人らしく」しなくてもいいのだ。「いい年」だからこそ、やりたいことをどんどんやっていこう。恥をかいてでもとにかくやれば何かしら得るものがある。
 今までも過去を振り返った事は殆どない。いつも楽しい現在と未来だけを見ていた。
未来こそ重要なのだ。未来に乾杯!!


 以上はやなせたかし「明日をひらく言葉」に記されている文章の一部です。
やなせたかしさんは、今年10月13日に94歳で奥様の所に旅立たれました。

           ( 2013・11・30日の記 )
写真上:PHP文庫から出版された最新書
写真下:ポプラ新書から出版された最新書


奥田のコラム(NO190) 三浦雄一郎沖縄講演会『夢&生き甲斐』 ( 2013/11/14 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2013年5月30日に80歳と224日という高齢ながら、3度目の世界最高峰エベレスト(8843m)登頂を成功させた三浦雄一郎さんのお話を聞くチャンスが、11月3日にありました。70分ほどのお話でしたが、ほかの誰にも語れない三浦ワールドにすっかり魅せられたひと時でした。
 今日のコラムは、その時のプログラムの余白に書いていた自分のメモを見ながら、印象に残っている事をお伝えしようと思います。(講演内容の一部でしかない事をお詫びいたします)。

  <講演内容>
 ・ エベレスト山頂は8000mを超える世界です。人間の身体は5000mの高さで裸になると5分で死に、8000mを超えると瞬時に爆発する程の過酷な世界です。

 ・ 人間の身体は20歳を100%の体力とすれば、それ以後は毎年1%づつ体力が落ちていき、70歳では約半分位になると考えられます。エベレスト山頂にあっては、20歳の人でも70〜90歳位の体力に落ちてしまうので、80歳でのヒマラヤ登頂は想像をはるかに超える危険な行為と言えるでしょう。

 ・ 三浦雄一郎さんは、お父さん(故三浦敬三さん)の影響もあって、子供のころからスキーと登山に夢中になっていて、学校の成績はいつも最下位のところをさまよっていたそうです。大学もその当時、最も競争率の低かった北海道大学の獣医学科に入り、卒業後も同大学の仕事に従事しておりました。

 ・ 50歳の頃までは元気一杯の人生でしたが、50歳を過ぎた頃からは、¨飲めや食えやの大騒ぎ人生¨となり、体の異常に気付いた時には、余命3ヵ月の宣告を受ける体になっておりました。
 当時のお父さんは、モンブラン滑走者として脚光を浴びていて、その父に申し訳ない一心と、余りにふがいない自分への猛反省から、意を決して体質改善に取り組む事となりました。取り組んだ体質改善方法とは、両足首と背中に重りをつけて歩く事でした。この行為がその後の人生を大きく蘇らせてくれる事になりました。

 ・ 65歳から山登りを再開させ、最初の試みは北海道の藻岩山(531m)でした。半年後には富士山を登り、夢はヒマラヤへと膨らんでいきました。ヒマラヤを選んだのは、父親がモンブランだったので¨俺はヒマラヤだ¨という単純な発想でした。

 ・ 三浦雄一郎さんの最初のエベレスト登頂は70歳の時、2回目は75歳、そして3回目が今回の80歳です。ここに至るまでの人生は苦難の連続で、度重なる骨折と3回の心臓手術、その度に再起不能と宣告されながらも、手術の度にお医者さんが驚くばかりの回復力でした。その要因となったのが全身に負荷を加えたゆっくり歩きでした。年齢は70〜80歳になっていても骨や筋肉の細胞は20〜30代の若さが保たれていたのです。

・ 80歳で3回目のエベレストに挑戦した時も、直前の3ヵ月前には3回目の心臓手術をしたばかりでした。人間の身体には信じられない程の回復力が潜んでいる事を改めて知りました。

 ・ 食事で気に掛けていた事は@ 肉、魚(鮭の頭丸ごと)にんにく、しょうが、シイタケ類、野菜のごちゃ混ぜ鍋と、A 納豆、山芋、オクラ、海藻類などの¨ねばねば¨食品を食べる事でした。

   <三浦雄一郎さんからの健康提言>

 ・ 人間の体には不思議な能力が備わっていて、年齢を重ねても、心掛け次第では元気になる細胞は何度でも蘇り、若さを保つ事が出来るのです。体を動かす事が大事です。

 ・ 両足首に女性は1s、男性なら1.5s位の重りをつけて、一日20分位ゆっくりと歩く事を勧めます。階段の昇り降りは歩きの何倍もの効果があると思われます。ゆっくりが大事です。 両足に負荷を加えたゆっくり歩きは、体力がつくばかりか、血糖値を下げたり血圧の正常化にも役立ちます。

・ 人間は出来ない理由を探すよりは、出来る事を見つけて行動に移すことが大事です。

・ 中途半端な人生を送っていると死が怖くなります。死に直面すると死を乗り越えようとする不思議な力が湧くものです。死ぬ程やりたいと思える事に出会い、それをやり続ける事が一番幸せな人生かも知れません。

 ・ 大自然の素晴らしさに気付く事です。私達は動物としてこの世に生かされている事に気付く事です。人間以外の動物は誰にも迷惑をかけずに、自分自身で自然に帰って行きます。人間も動物である人生を全うしたいものです。

 ・ 守りの健康は後退です。攻めの人生は前進します。私(三浦さん)は夢に向かってドキドキ、わくわくの人生こそが人生の生き甲斐と思って生きております。

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 * このコラムを書いている最中に玄関のチャイムがピンポ〜ンと鳴りました。家内が大きな声で『お父さん、北海道が送られてきましたヨー』と叫びました。
 そういえば毎年この時期になると段ボール一杯の¨大地の恵み¨が届くのです。送り主は旭川出身の書道家・石飛博光さんです。石飛先生とは30年来のお付き合いで、孫達を除けば、私がこの世で最も会いたい5人の中に入る人物です。
石飛先生、今年も有難う!!

* 先月(10月)には私の大好きな¨利平栗¨が送られて来ました。栗の送り主は3〜4年前から有難いご縁をいただいている名古屋の大城孝志さんご夫婦です。
大城さんにも心から有難う!!です。      
                 ( 2013・11・13の記)
写真上:三浦雄一郎沖縄講演会
写真中:北海道から届いた大地の恵み
写真下:名古屋から届いた利平栗

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