21世紀養生塾沖縄
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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO259) 我が家の¨アメリカからの里帰り¨ ( 2016/11/30 )

 
 アメリカ家族の来沖

 
 アメリカ家族はカラオケ大好き

 
 アメリカ息子とアニカ(長女)

 
 7年ぶりに集合した息子・娘達

 
 ジージ・バーバと5人の孫達

 
 アメリカ家族空港見送り

「第6回・世界ウチナンチュー大会」が終わって丁度1ヵ月が経とうとしております。
5年に一度開催される今年の大会には、世界中に42万人も住んでいるウチナンチュー(沖縄出身者)の中から、7000人あまりの人達が、沖縄に里帰りされたとの事で、沖縄の新聞・TVは未だにその時の様々な感動の出来事を報じ続けております。
           
 私事ですが、私の生まれ故郷は土佐の高知です。高知人生18年、東京・横浜人生15年、そしてご縁をいただく事となった沖縄人生は、やがて45年にもなろうとしている、まさに¨逆ウチナンチュー人生¨を歩んで今日に至っております。

 沖縄に生まれ育った4人の子供達の内の3人は、小・中・高校とも沖縄ですが、末息子だけは中学を終えるや否や、突然アメリカにスポーツ留学をする事となり、以来今日まで23年間、この息子はアメリカ人生を歩み続けているのです。
この間にアメリカ女性と結婚、2人の女の子にも恵まれ、5年に一度位の割合で、沖縄に帰って来てくれております。

 今回のアメリカ息子家族の帰沖は、必ずしもウチナンチュー大会に合わせての里帰りではありませんでしたが、殆どウチナンチュー大会と時を同じくしての帰沖でした。
5年前の里帰りは家族3人でしたが、今回は家族も一人増えて4人、それに加えて今回は アメリカ嫁の両親と両親の親戚3人が加わった合計9人の来沖でしたので、我が家そのものがちょっとしたウチナンチュー大会でありました。

 この度、末息子家族の沖縄帰りを通して、改めて人生の学びを頂く事となりましたので、感じるままを書き留め、これからの更なる人生の糧にしなければならないと思っているところです。

(1)人生は同じ家族に生まれ育っても、大きくなれば誰もがそれぞれに異なった人生を歩み、それぞれの生涯を、自らの責任で全うしなければならない運命にあるのです。
家族が遠くに離れれば離れる程、それぞれの家族を思いやる心の強さは大きいものがあるのです。

(2)私の家族は、今は沖縄(石垣島も含めて)と新潟とアメリカに分かれておりますが、アメリカ家族と会えるのは3年〜5年に一度ぐらいが精一杯です。
今の時代、スマホやスカイプ(テレビ画像)での連絡は日常の出来事となりましたが、やはり生の身で会える喜びに優るものはありません。
今回のアメリカ家族の来沖に合わせて、石垣島からも、新潟からも、兄弟や孫達が沖縄の我が家に集まってくれた事は、私達夫婦にとっては望外の喜びでした。

(3)4人の子供達にはそれぞれに孫がいてくれて、今回は全員の孫達がアメリカ孫とも顔を合わせる事が出来ました。きっと子供心にも、お互いが親戚関係にある事を、それなりに確認してくれたに違いありません。今中学1年生になる長兄孫などは、突然アメリカに興味を持ち始めたのですから、私は心の中で、思わず¨大成功¨と叫んでしまいました。

(4) アメリカの息子家族と一緒に来沖してくれた5人のアメリカの大人の親戚一同をどんな風におもてなしをすれば良いものかと気になっていたのですが、彼、彼女達とも2週間余り生活を共にして思って結論は、¨人間みな同じ¨、¨人類親しくなればみんな兄弟、家族¨と言う事でした。
これからの時代は、出来る限り世界中の人達が交流を深め、仲良くなり、世界中に一人でも多くの親戚を増やす事が、世界平和への一番の¨いしずえ¨ではないかと、私は思っているのです。

(5)私は、はからずも末息子が我が家の先陣を切って、アメリカに行ってくれた事を密かに誇りに思っているのです。これからの時代は、地球そのものが家族の様な時代になる事を私は願いたいのです。そんな夢を私は孫達の時代に託してみたいと思っているのです。
                        2016年11月30日の記


奥田のコラム(NO258) 第6回世界のウチナンチュー大会in沖縄 ( 2016/11/06 )

 
 開会式・セルラー・スタジアム

 
 ブラジルから1000人の来訪者

 
 ハワイからは800人

 
 遠くボリビアからも・・・

 
 閉会式・セルラースタジアム

 
 また5年後に会いましょう

 ¨世界に響け、ウチナンチューの躍動と感動¨をキャッチフレーズに掲げた、第6回「世界のウチナンチュー大会」が開催され、この数日間は沖縄中がその熱気に包まれていた感がありました。(10月26日〜30日)。
 世界のウチナンチュー大会とは、沖縄にルーツを持ち、世界に躍進している沖縄出身者とその子孫たちが、5年に一度沖縄に里帰りをする一大フェスティバルの事であります。

 今から100年以上も前から始まっている沖縄からの移民の歴史は、今では世界中に42万人にも拡がっているのだそうですから、本当に驚くばかりです。そして今回の大会に里帰りをされた世界のウチナンチューは7000人を越えたとの事です。世界に拡がるウチナンチュー(沖縄出身者)の行動力の凄さに完服です。
 今大会の開会式で発表された宣言文に、沖縄人の心意気の全てが集約されていると思われますので、その全文を紹介させていただこうと思います。

<第6回、世界ウチナンチュー大会大会宣言>
〇 ウチナーンチュ、今ここに集まった私達は、ウチナーンチュ。国境なんて関係ない
沖縄への強い郷土愛。沖縄の魅力を感じ、誇りを持った私達はウチナーンチュ。

〇 ありがとう。来てくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。そして、沖縄を忘れず、愛してくれてありがとう。

〇 笑顔。笑顔は世界共通。笑顔は楽しいを共有できる。相手への愛が素直に伝わる唯一の手段だ。ここ沖縄を、そして世界を、笑顔あふれる場所にしてほしい。

〇 つながり。私達はゆいまーるの精神を持っている。海を越えて、心と心でつながっている。沖縄でしか築けない絆を築いていこう。

〇 未来。今ある沖縄がこれからも続いて、より良い未来になるよう、沖縄から世界へ、世界から沖縄へ。ここに集まったみんな、そして私達が沖縄と世界を結ぶ架け橋に、なりたい、なります、なりましょう。

〇 いちゃりばちょーでー。ここにいる皆さんはお互いちょーでー。一度会ったらみな兄弟。この精神を忘れずに、ウチナーンチュ大会を盛り上げていきましょう。

〇 ウチナーの躍動、感動、世界へ響け。第6回世界のウチナーンチュ大会、開幕!

                  2016・11・6日の記
 写真提供:琉球新報社より


奥田のコラム(NO257) 「天遊会」20周年記念発表会     (その3)ー奥田清志傘寿の祝いを共にー  ( 2016/10/24 )

 
 火曜・てぃるる上級教室出演者

 
 水曜・あやかりの杜教室出演者

 
 木曜・武道館教室出演者

 
 土曜・豊見城教室出演者

 
 宮古島教室出演者

 
 生徒さん代表から花束を贈呈される奥田代表

 
今から20年前のお正月の夜明けに、私はとても不思議な夢を見ているのです。
その夢とは、白髪の老人が白い衣を身にまとい、滝が落ちる大きな池の中の岩石の上で、実に美しい舞を舞っている夢でした。あまりに美しくあまりの不思議さに、私は我を忘れてその老人に近づき、年齢を聞いたら何と100歳だと言うのです。

私は本当に驚いて、今度は恐る恐る老人の前に回ってそっと顔をのぞいて視たら、何とその顔はまぎれもなく私の顔でありました。私は本当に本当に驚いて、気付いた時にはふとんから飛び起きて、その場に座り込んでおりました。暫く経ってから、私はそばにあった紙に『気功元年・100歳人生』と書き留めていたのでした。
 今から思えば、あの時あの老人が夢の中で舞っていたのは、間違いなく今私達がやっている気功と太極拳をたして2で割ったようなものでした。

私は20年経った今でも、あの日の夢の中の出来事を忘れた事がありません。どうしてあんな夢を見たのであろうかと、何度も自問自答してみるのですが、あれは天なる神様が、¨あなたはこの際しっかりと気功・太極拳の世界を学んで、100歳人生を生きる見本になりなさい¨、とのお告げであったように思えて仕方ありません。
以来20年間、自分なりに一生懸命に気功・太極拳の世界を勉強してきたつもりですが、私は気功・太極拳の原点は、大宇宙の摂理と身心を共にして、呼吸を通して宇宙と響き合う事であると結論付けているのです。

21世紀は¨100歳を生きる時代¨と言われるようになりました。私も同感でありますが、元気な100歳を生きる為には、それなりの心掛けと、天なる神様からの応援もいただける好運に恵まれなければ、100歳人生は至難の業であろうとも思います。

私の母親は生前、口癖のように¨お天とう様が見ているヨ¨、¨天に恥じないようにネ¨、と申しておりましたが、今80歳になって母親の言葉が神言の様に思える時があるのです。
私が今自分に言い聞かせている一番の教訓は、¨天は自ら助くる者を助くる¨であります。とりあえず今は、元気な80歳を生きて、生かされている事に感謝して、これから更なる100歳人生に向けての一歩一歩を歩み続ける事にしようと、心新たにしているところです。
                  2016・10・23日の記



奥田のコラム(NO256) 「天遊会」20周年記念発表会     (その2) −奥田清志傘寿の祝いとともにー ( 2016/10/23 )

 
 指導者養成クラス 奥田泰子リーダーと共に

 
 指導者養成クラス 三枝祥子リーダーと共に

 
 指導者養成クラス 新崎洋子リーダーと共に

 
 指導者養成クラス 垣花美恵子リーダ^ーと共に

 
 指導者養成クラス 喜屋武幸子リーダーと共に

 
 宮古教室の演舞

 2016年10月、私は只今80歳の真っただ中を生きて生かされているところです。80歳になると、まさかと思える身体の変化や異常に気付かされる日々の連続です。
身体のどこも異常が無かった頃は、人間生きている限り、何かのお役にたてる人生であらねばならないと思っていたのですが、80歳になった今は、人間生きている限り、これからは、なるだけ世の中に迷惑をかけない人生を心掛けなければならない、、と思う様にもなってきているのです。

 80歳の人生を振り返ってみると、あまりにいろいろな事があり過ぎて、どうにも筆が前に進みそうにもありません。今日は、私が気功・太極拳人生を送るに至ったいきさつを少し書かせていただき、80歳の区切りにしたいと考えます。

 今から20年前の私は、まだ60歳で元気そのものでした。50歳〜60歳の10年間は、私は何故かそれまでの人生で一番好きでなかった、マラソン人生に明け暮れておりました。そしてこの年、私にとってはまさかと思える三つの大事業をやり遂げておりました。

@ 「日本縦断さくら駅伝3000K走」の仲間の一人として、沖縄波照間島から北海道宗谷岬を目指して駆け抜けておりました。かかった日数は述べ3ヵ月でした。
A ボストンマラソン100回記念大会にもまさかの出場が許され、無事完走を果たしました。
B この年1996年はアメリカ・アトランタオリンピックが開催された年でもありましたが、私は聖火ランナー日本代表の一人に選ばれると言う好運にも恵まれておりました。

 私にとって1996年(60歳)は、まるで夢の中をさまよっているような人生でしたが、人生はいつ何が起こるか、本当に解らないのです。その年の8月の或る日、家内がまさかの突然の事故で、救急車で病院に運び込まれると言うハプニングに見舞われたのです。病院に着いた時の家内の血圧は、上が40で、まさに生死をさまよう状況でありました。
 家内の病院生活は3ヵ月で何とか車椅子で移動できるまでに回復したのですが、そんな中、私は病院のリハビリ室の廊下に張られた一枚の紙に目を奪われました。その紙には「気功で元気になりませんか?」と書かれておりました。

 わらをもつかみたいその時の私は、すぐさまその貼り紙の部屋を訪ね、その日から何が何だかわからないまま、私の気功人生の第一歩が開始されたのです。勿論家内も車椅子で参加しておりました。
 その後の私は、帯津良一・楊名時というその世界の大先生に巡り会える幸運にも恵まれ、いつしか20年の歳月が流れているのです。

 家内はその後すっかり元気になり、今は二人の小さな孫(1歳と3歳)と中学生の孫の世話に悲鳴を上げながらも、私と一緒に、気功・太極拳の助手として私を支えてくれるまでになっております。
 私はその後も増々、気功・太極拳の世界に魅せられ、我が信ずる人生の道を歩ませていただいております。毎日が感謝の日々であります。
                            2016・10・23日の記


奥田のコラム(NO255) 「天遊会」20周年記念発表会      (その1)  ー奥田 清志傘寿の祝いと共にー ( 2016/10/22 )

 
 

 
 20周年発表会プログラム表紙

 
 20周年記念発表会プログラム

 
 帯津先生から贈られた花

 
 生徒さん一同から贈られた花

 
 男性による八段錦・三枝祥子リーダー

 丁度今日で一か月が過ぎましたが、先月の今日(2016年9月22日)、上記の発表会を無事に終える事が出来ました。一か月が過ぎた今でも、しみじみと心に残る、感謝と感動の思いが消えませんので、今日のコラムに少し書かせていただきます。

 今回の発表会に至ったいきさつを申しますと、今年は私の気功・太極拳人生が20年になるのと、たまたま私が今年80歳になった事、それに20(年)+80(歳)=100
という数字のごろ合わせから、私の妹が発案してくれて、天遊会教室の皆さんが賛同して下さり、実現の運びとなったものであります。
何故¨100¨なのかについては、後方のコラムに書かせていただきます。

 さて、今回の発表会には7か所の気功・太極拳教室から60名余りの生徒さん達が参加して下さいました。太極拳歴10年近いベテランも10人程はいたものの、太極拳を始めてまだ一年にも満たない人達も10人位いて、平均すると体験歴4〜5年の混合チームによる発表会でした。
 果たしてうまくいくものか心配の要素の方が大きかったのですが、いざ本番のステージは、出演者全員に太極拳の魂が乗り移ったかのような迫力が感じられて、私は本当にびっくりさせられてしまいました。

 この度の発表会を通して私が学んだ事は、¨一生懸命¨に優る感動のエネルギー源は無いと言う事、そして¨感動¨こそは人生の宝物であると言う事です。
 あの日のステージに立たれた人達の一生懸命は、これからの人生を10歳位若返らせる力になるのではないかと私の目には映りました。出演者の顔は、みんなほれぼれする程に素敵でした。

 この度の発表会は私にとりましても実に意義深いものがありました。気功・太極拳人生に導かれた20年の歴史の中でも、今回の発表会は特別に嬉しく、意義深いものとなりました。そして今回の発表会は、更なる気功・太極拳人生への意義と勇気を与えてくれました。

 この度の発表会に係って下さった全ての方々に、心からの感謝と、心からのお礼を申し上げます。本当に有難うございました。
                 2016・10・22日の記


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