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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO219) 2015年の初頭に思う事¨天は自ら助くるものを助く¨ ( 2015/01/11 )

 
 天は自ら助くる者を助く

 
 帯津良一先生直筆の色紙

 
 今日を生きる事は一歩前進した姿でありたい

 
 楊名時先生直筆の書

 
 リーダーたる者は自らがその見本であるべきです。

 
 一隅を照らすはこれ国宝なり。

 2015年の幕が開きました。私はここ数年来、新しい年の初めに何かしらの教訓を自分に言い聞かせておりますが、今年私の頭に明確に浮かんで来た教訓は、¨天は自ら助くる者を助く¨と言う言葉でした。

 どうしてそんな言葉が浮かんで来たかと言えば、それは新年1月3日の夜、たまたま或るTV番組で、野球の長嶋茂雄さんの10年間に亘る闘病生活と、激闘とも思えるリハビリ人生の様子を見ているうちに、いつの間にかその言葉が私の頭に拡がっていたのです。

 私は、人の命は天なる神様に委ねられたものと思ってはいるのですが、それはそれとして、どうやら人生には天なる神様までもが応援しないではいられない程に、一生懸命の人生を生きようとしてる人がいる事を、私はあのTVの中で発見したのです。長嶋茂雄さんのひたむきな¨生命への執念¨は必ずや天をも味方にして、不死鳥の如くに甦るに違いないと私は思わずにはいられませんでした。

 余談になりますが、私は長嶋さんとは同じ年の生まれです。あまりにも偉大な長嶋さんとは比べるのもおこがましいのですが、私も紆余曲折の人生ではありましたが、とにかく今日まで大きな病気もなく元気に生かされている事だけで、私は感謝感謝の人生であります。願わくばこれから先も、天なる神様に見放されない¨我ながらの人生¨を懸命に生き続けてみたいと念ずるばかりです。

 余談の余談になりますが、ここ4〜5年の私が年の初頭に綴った自分への教訓の言葉は次の様なものでした。自分で忘れない為にも、今日のコラムに書き残しておこうと思います。

(その一) 今日よりも一歩前進良い明日!!。
  埼玉県川越市にある帯津三敬病院の玄関には『今日よりも良い明日』という帯津先生の書が壁に掛けられております。私は数年前に初めてこの病院を訪ね、この言葉を目にした時から、この言葉を私の最も大事な座右の銘とさせていただいております。

(その二) 今日を生きる事は、一歩前進した姿でありたい!!。
 これは日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞された(故)湯川秀樹博士の言葉です。(その一)の¨今日よりも良い明日¨と共に私への大事な教訓と心得ております。

(その三) 太極拳は芸術であり、文化であり、健康哲学なり。あせらず、おごらず、おこたらず!!。
 この言葉は私の生涯の大恩師である太極拳の父、(故)楊名時先生から教えられた言葉です。私は今から13~14年前の65歳の時、帯津良一先生とのご縁から、楊名時先生と親しくさせていただく好運に恵まれ、以来私は楊名時先生に憧れ続けております。

(その四) 指導者たる者、自らがその見本であるべきです!!。
 この言葉は、心理学者として世界に知られるアメリカのアンドレ―ワイル博士の言葉です。ワイル博士は健康人生のリーダとして、常にその第一線を歩み続けておられます。ささやかながらも、気功・太極拳人生の指導的立場に置かれている私には、片時も忘れてはならない大事な教訓だと思っております。

(その五) 一隅を照らすは、これ国宝なり!!。
 これはあまりに有名な伝教大師¨最澄¨の言葉です。人間この世に生まれたからには、一人一人がどんなかたちであれ、一つの灯明となって、世の中のお役に立つことが、人間に与えられた大事な使命である!!、と私は理解しております。

 * 2015年の年頭に浮かんだ言葉は¨天は自ら助くる者を助く¨です。
  私はこの教訓を深く心に刻んで、2015年を一歩一歩前に進めたいと願っっておりす。
               (2015・1・10日の記)


奥田のコラム(NO218) 私の2014年・反省と感謝の1年 ( 2014/12/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私の2014年は沢山の気付きと、沢山の反省と、そして沢山の感謝の1年でした。
2014年6月26日から、私は78歳の人生を過ごしております。77歳から78歳にかけての1年間、私はこれまでにない身体の変化に気付かされております。主なる身体の変化をここに記して、これからの人生の大きな反省の糧にしなければならないと思っています。

(1) 歩くのが随分遅くなっております。 脚力が衰えているのです。75歳になって後期高齢者のレッテルが張られた時などは、どうしてこんなに元気な人間を、いっぱひとからげに老人扱いにするのであろうかと、随分憤慨したものでした。事実その頃の私はまだ3〜5Kの走り歩きが日常の出来事でありました。

 78歳になった或る日、突然自分の歩きが遅くなっている事に気付いてからは(コラムNO205に記載)、その傾向は元に戻る方向には行っておりません。そんな訳で、今では¨走る¨と言う意識は私の頭の中には存在しなくなっております。せいぜい天気の良い日に2〜3K位歩いてみようか・・・と思うぐらいが精一杯です。
50〜60歳代はマラソン人生に夢中で、¨マラソン青春真っただ中¨の日々を過ごしていた自分を振り返ってみると、まるで夢の世界を生きていたような気がしております。

(2) 私の口から出るヨイショ!!の言葉が半端な数ではありません。椅子から立ち上がる時、ことにソファーから立ち上がる時などは2〜3回のヨイショを繰り返しながら立ち上がる事も珍しくありません。ズボンを履く時の片足立ちもかなり苦戦です。靴下を履く時は100%椅子に座って履いております。

(3) 階段の昇り降りもヨイショの掛け声と、手摺の存在が有難く思える様になっております。私が今のマンションに移り住んだのは今から4年前の事です。その頃は5階建てのマンションの階段を2〜3往復していた事を思い出すにつけ、この1〜2年で随分と大きな身体の変化が起きている事に気付かされるのです。残念ながら75歳はやはり後期高齢者への分岐点なのかも知れません。

(4) 人の名前がなかなか覚えられません。そして思い出せません。ただこの件については余り気にしてはおりません。忘れていく人は自然体に忘れ、覚えておかねばならない人の名前はまだしっかりと覚えているつもりですので、これは私の¨わがまま¨の世界の出来事かも知れません。

(5) 今一番困っている事は家の中にある筈の老眼鏡がなかなか見つからない事です。今では机の前に2個、食事の場所とトイレ(新聞を読むため)とちょっとした別室と車の中とポシェットの中にもそれぞれ老眼鏡が置かれている有様です。有難い事に老眼鏡は100円ショップで安価に買えるので大変助かっております。

(6) 車も遠くへの運転は気が進みません。自分の欲しい物を買いたい時以外は殆ど家内の運転にゆだねております。私とは10歳年の差があるその家内も、最近はちょっとおかしい所があって、どうやら私達夫婦は2人で1人前の境地に入りかけているのかも知れません。

(7) 最近の要注意点は時々訪れる腰の痛みと左腕の痛みとおなかのでっぱりです。サプリメントを中心にいろいろと試してみるのですが、なかなか満足のいく結果は得られておりません。いろいろと気長にトライしてみる他はないと思っております。

* 以上の様な現実を知るにつけ、かなりの老化現象である事に間違いありません。
¨老いは突然やってくる¨のだそうですが、この1年間はまさにそんな現実をイヤと言う程知らされた年でありました。
 問題はこれから先の人生です。私の2014年は神様から大きな忠告をいただいた貴重な年と心得ております。多くの苦難を乗り越えていける人にしか本物の健康人生への道は開かれていないのかも知れません。この事はしっかしと肝に命じておかなければならないと思っています。

* 80歳を目前にして思う事は、¨健康こそは人生の一番の宝物¨、そしてその宝物は
¨自分自身の心掛けと、一歩一歩の努力の積み重ね以外にはない¨と私は日々自分に言い聞かせているところです。私の心の中には¨日々是健康道場¨の言葉が刻み込まれているのです。

* 私は必ず2014年の自分から甦って、2015年以後の人生の立て直しを誓うものであります。そして私とのご縁を結んで下さった方々の健康人生のお役に立ち続ける事を心に誓っているのです。
 2014年に心からの反省と感謝を捧げて、新しい年に向けての心を定めたいと思っております。2014年に感謝です。2014年、本当に有難うございました。
                        (2014・12・30日の記)


奥田のコラム(NO217) 第30回NAHAマラソンと川内優輝選手 ( 2014/12/13 )

 
 第30回NAHAマラソン大会風景

 
 中間地点を独走で通過する川内選手

 
 川内選手激走のゴール

 
 ゴール前で待機する桜友会のメンバーと応援の旗

 
 慰労会で歓談する桜友会メンバーと川内選手

 
 慰労会で川内選手との記念写真

 今年のNAHAマラソン(2014年12月7日)は、第30回という記念大会となり、出場者数も29,566人がエントリーすると言う超ビッグな大会となりました。
今から30年前の第1回大会は2~3000人を集めるにも大苦戦で、私(当時48歳)など、マラソンのマの字も解らない者までが駆り出され、私は死ぬ思いで20キロ地点まで辿り着いた苦い(今となっては懐かしい)思い出となっております。

 人生は解らないもので、マラソン大嫌いだった私が、その後の15年位は、いつの間にかマラソン人生(市民マラソン)の真っ只中に身を置く事になっていたのですから、本当に人生は解らないのです。私はNAHAマラソンは10回完走させてもらいましたが、NAHAマラソンからは沢山の貴重な人生勉強をさせてもらったと思っております。(私のマラソン人生についてはコラムNO119,120,121,122に記させてもらっています)。

 さてNAHA マラソン第30回大会の¨華¨は何といっても、日本を代表するあの激走ランナー、川内優輝選手が招待選手としてこの大会に参加してくれた事ではないでしょうか。後で知ったのですが、同日に行われた福岡国際マラソンを断ってまで、彼がNAHAマラソンに参加を決意してくれたのには、二つの理由があっての事だったのだそうです。
 
 その@は;沖縄がマラソン王国になってもらいたい事。そしていつの日にかこの沖縄から自分の記録を越える選手が誕生してもらいたい事。その為に自分は今大会でも全力疾走して、沖縄の人達にその姿を見てもらい、マラソン王国への起爆剤にしてもらいたかった事。
 そのAは;NAHAマラソンを、2年後のリオネディジャネイロ五輪の参考にしたかっ事。何故なら、リオの大会は沖縄とほぼ同じ気候(18℃〜26℃)なので、沖縄でどれだけの記録が出せるかを体験しておきたかった事だそうです。

 川内選手のNAHAマラソンの完走タイムは、これまでの大会記録を9分22秒も縮める2時間13分43秒。彼は間違いなくリオ五輪の日本代表に選ばれるに違いありません。
 以下に書くエピソードは、たまたま偶然によるものですが、その偶然のエピソードをお伝えして、川内優輝選手の人柄を紹介させていただこうと思います。

 私は以前から川内選手の燃え尽きる激走ぶりが大好きで、その都度心の応援をしていたのですが、今回のNAHAマラソンも、一介の市民マラソン大会ながら、彼の変わらぬ激走ぶりには只々感動あるのみでした。その川内選手が何と、私の50年も後の大学の後輩である事を今回のNAHAマラソンを通して知る事となり、本当にびっくり仰天でした。

 川内選手の出身大学は学習院です。その学習院大学からこんな¨怪物¨が出現するとは夢の夢にも思った事などありませんでした。
 学習院大学の卒業生で組織されている同窓会は「桜友会」と言います。その桜友会沖縄の現会長である竹内正さんから、川内選手のNAHAマラソン応援と、大会後の慰労会のお知らせをいただき、私は心をときめかせて彼の激走ぶりを応援したのは勿論の事ですが、大会終了後の慰労会では、私は川内選手の隣に座らせていただく事になり、彼との会話を通して、あまりに素晴らしい彼の人柄に、私はすっかり彼のファンになってしまいました。

 彼はNAHAマラソンを走るに当たり、下記の決意文を書いて竹内会長の元に送り届けていたのです。
『私は恐らく今後現役を退くまでは(福岡マラソンの関係もあり)、NAHAマラソンには戻ってこれないと思いますので、今回は招待選手として大幅に大会記録を更新して優勝したいと思っています。牽制レースはしません。スタートから先頭を走り、沖縄の方々に現役の日本代表の力を見て頂くつもりです。
 レース後のレセプションに関しては、「那覇マラソン優勝」のタイトルと共に喜んで参加させていただきたいと思います。併せて勝手なお願いではありますが、初めての沖縄ですので、ステーキよりも、ソーキそばや、シークァーサー、豚足などの沖縄料理(特に魚より肉系)を期待しております。』

 大会当日の慰労会の席で、私は最年長者故に、乾杯の音頭をとらされるはめになってしまいました。何を言ったかはあまり詳しくは覚えていませんが、多分次の様な挨拶をしたのではないかと思っています。

『川内優輝さん、私はあなたの激走マラソンにいつも感動を覚えます。今回のNAHAマラソンにも更なる感動を覚えました。恐らく沖縄中があなたのマラソンに感動したに違いありません。
 私には大好きなスポーツ選手がいます。その一人目は野球のイチロー選手、二人目はスケートの高橋大輔選手、三人目はテニスの錦織圭選手です。そして四人目は今日から川内優輝選手にする事を心に決めました。
川内優輝さん、福岡国際マラソンをキャンセルしてまでNAHAマラソンに参加して下さり本当に有難う!!。そしてぶっちぎりの優勝おめでとう!!。
 私は大学を卒業して55年になりますが、あなたのような¨怪物¨が後輩として出現してくれた事は、この55年の中で一番嬉しい出来事です。学習院が自分の母校であった事を今日程嬉しく思った事はありません。本当に有難う。感謝です。感動です。それではみなさん、ご唱和願います。カンパーイ!!、カンパーイ!!。カンパーイ!!。
             (2014・12・12日の記)


奥田のコラム(NO216) 沖縄県民・新知事に翁長雄志さんを選出!! ( 2014/11/23 )

 
 タイムス県知事選結果報道

 
 新報県知事選結果報道
(両新聞社報道写真より)

 
 

 
 

 
 

 
 

 私は政治に関する事には、出来る限りかかわらないでいたい人間ですが、今回の沖縄県知事選だけは、絶対に無関心であってはならないと自分に言い聞かせ続けておりました。

 今回の知事選の最大の争点は、世界一危険と言われる米軍普天間飛行場を、沖縄の北部にあって、沖縄で最も美しい、ジュゴンの住む辺野古の海に移転させようとしている日本政府の計画に、賛成か反対かの信を問う、沖縄の将来の命運がかかった選挙であったと思います。
 2014年11月16日の選挙で、沖縄県民は約10万票の大差をつけて¨辺野古への基地移設絶対反対¨の公約を掲げて立候補した、前那覇市長の翁長雄志さんを当選させました。

 普天間飛行場の辺野古への移設に同意した仲井間現知事は、4年前の選挙では、普天間飛行場は県外か海外へ・・・、という公約を掲げて知事になった人です。その知事がいつの間にか心変わりをしてしまい、昨年の暮れには、県民の70%余りが反対の意思を示している辺野古への移設を容認し、日本政府との契約に調印したのです。

 日本政府との約束に調印した後の記者会見で、当の仲井間知事は次のような言葉を口にしております。『日本政府から(基地移転との引き換えに)、毎年3000億という沖縄振興予算をいただけるという、驚きの約束を取り付け、こんなめでたい事はありません・・・』。この言葉を耳にした大多数の沖縄県民は余りの事に、只只呆然とする他はありませんでした。
今回の選挙で10万票の大差がついたのは、その時の沖縄県民の無念さの表れであったに違いありません。

 日本政府はアメリカ政府との約束から、何が何でも辺野古の海に基地移転をさせねばならない裏事情があるのかも知れませんが、それにしても沖縄県民の大多数の声を無視し、更には多くの自然科学者たちの要請にも耳を傾けることなく、強引に事を進めようとしている日本政府のやり方には、世界中の著名な文化人からも異論の声が湧き上がってきております。
 アメリカと言う国は民主主義の先頭に立っている国です。沖縄県民の苦汁を真摯に説明して説得すれば、必ずやアメリカ国民は沖縄県民の心の叫びを理解して下さると私は確信したいのです。

* つい最近になって知る事となった3つの¨おどろき¨をここに記しておこうと思います。

(1)辺野古の海を埋め立てる為に、徳之島から想像を絶する量の土砂を船で運ぶ計画があって、相当のお金が提示された筈なのに、徳之島の人達は、はっきりと    NO!!との結論を出されたそうです。徳之島の人々に私は深く敬意を表したいのです。

(2)元NHKアナウンサーであられた池上彰さんのTV番組から学んだ事ですが、人間今のまま無反省の人生を生きていると、100年後には世界の海から砂浜が消え、海岸は真っ赤に染まって、すさまじい地球破壊が現実のものになるのだそうです。そしてそうなる最大の要因は、森を破壊し、海を汚す人間のおろかな行為がそうさせるのだそうです。
 100年後は遠い先の事にも思えますが、それは我々の孫達が生きる時代です。子孫の命を脅かす出来事に、我々は絶対に無関心であってはならないのです。

(3)私達の住む沖縄は、北部の山々には美しい亜熱帯の森が茂っております。島々は世界に誇れる美しい海に囲まれております。その美しい沖縄の森は、オスプレー基地建設の為、樹木が見るも無残に切り倒され、海は新基地づくりの為、死の海に姿を変えようとしております。
 私達ウチナンチューは、沖縄の美しい森も、宝の海も、ただ単に沖縄の為だけではなく、世界中の人々の為にも、このかけがえのない自然を守らなければならないのです。21世紀の地球は、まさに地球上に生を受けた全ての人達が、世界中の全ての人達の為に、心を一つにして守らねばならないのではないかと私は思うのです。
               (2014・11・23日の記)
写真上:タイムス県知事選結果報道
写真下:新報県知事選結果報道
    (両新聞社報道写真より)


奥田のコラム(NO215) 結婚45周年に考えた事 ( 2014/11/06 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2014年11月1日は、私達夫婦にとっては結婚45周年の日でありました。
45年を振り返ってみると、まさかまさかの連続の人生であったような気がしておりますが、今はまだあまり深く過去を振り返る気持ちになっておりません。私が80歳を少し越える結婚50周年の頃には、深く静かに結婚50周年を振り返ってみようと思っているところです。

 さて、45年の結婚人生が長いのか、それ程長くもないのか、私は自分の両親や年の離れた兄弟達はどうであったのであろうかと、この数日間はふとそんな事を考える長い夜が続いておりました。
 両親の結婚についての詳しい事を、私は殆ど知り得ておらず、10歳も年下の、しっかり者の妹に聞いたところでは、父母の結婚は父が32歳、母が19歳の時で、両親は13歳の年齢の差があったとの事です。

 私達は、7人兄弟(男6人、女1人)として生まれており、母は20歳で長男を生み、44歳で一番下の妹を生み、その2年後に父は他界しております。
とすると、母は何と46歳で7人の子供をかかえる未亡人としての人生を生きていた事を今になって知り、私は只々愕然とする他はありませんでした。
 母は88歳まで元気でいてくれましたが、私はそんな母に、どれ程の母親孝行をしていたのであろうかと思うと、誠に残念ながら、満足のいく答えは浮かんでこないのです。両親へのせめてもの償いに、私はこれからの人生を日々父母に手を合せ、必ずや父母が喜んでくれるであろう人生を生きようと、改めて強く心に誓ったのです。母は生きていれば今年111歳になるそうです。

 年の離れた兄弟のうち、長兄、二男、三男はすでにこの世を去っております。
その3人の兄についても詳しい結婚の事を私は知っておりません。3人は共に70歳前後で他界しておりますので、仮に30歳前後で結婚しているとして、40年前後の結婚人生ではなかったかと推測するのです。
 現在もまだ元気いっぱいの4男(84歳)、5男(81歳)の二人の兄は、既に50年を越える結婚人生を過ごしております。私と10歳の年齢差のある妹夫婦も40年位の結婚人生と思われます。上記の様な事を考えれば、私達夫婦の45年はほぼ平均的な結婚人生を生きている事になるのかも知れません。

 私は自分の運命は100%天の導きにお任せする覚悟は出来ているつもりですが、とりあえず自分自身の目標人生は、2年後の80歳の峠を飛び越えて、その後は5年、5年単位の元気人生を積み重ねながら、人生の最後まで精一杯楽しく、¨ときめきの志¨に生き続けたいと念じております。
私の目指すときめき人生とは、なるだけ世の中に迷惑をかけない¨元気な100歳人生¨です。

 今回のコラムを3つの感謝で終わりたいと思います。

その一:この45年間私達夫婦とのかかわりをいただいた全ての方々に、心からの感謝を捧    げます。

その二:わが父母には生涯をかけて、父母が喜んで下さるであろう人生を生きる事を誓い    ます。父母が喜んでくださる人生とは、¨一隅を照らす¨人生と、¨情けは人の    為ならず¨の人生と心得ております。

その三:45年の苦楽を共にしてくれた家内には特別の感謝です。5年後の結婚50周年に     は、今の私に出来る最大級のサプライズを提供しようと思っているので楽しみに    していて下さい。私のサプライズは元気でないと成立しないので、くれぐれも元    気いっぱいのお母さんでいて下さい。
    お母さん(家内の事ですが)、45年間、色々と本当に有難うございました。
              (2014・11・5日の記)
 追伸
   このコラムを書いている最中に、私が最も敬愛する帯津良一先生からの最新本が届きました。本の題名は『粋な生き方』です。本の中味はまだチラッとしか目を通しておりませんが、次の様な事が書かれているようで、私の胸はときめきを覚えています。

(1)挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる。
(2)あきらめない、こだわらない気持ちがある限り、人生の奇跡は起こる。
(3)日々にときめいて生きる事が大事な人生。
(4)恋は生きる上で最高のエネルギー
(5)人生は青雲の志に生き、凛として老いる事。
(6)どうなるか解らない先の心配は止めて、今を生きる事が大事。
(7)生きる事とは命を育てる事。そして死ぬ事もまた更なる命を育てる事。

 こんな内容の最新本が、今この時、私の手元に届いた事に大いなる不思議を覚えず
にはいられません。本当に驚いています。感謝です。感動です。帯津先生本当に有難うございます。
写真上:結婚45周年の記念写真
写真中:帯津先生の最新本『粋な生き方』

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